進路
「おかえりなさい。」
「ああ。ただいま。」
昨日頑張った甲斐あって、今日は無事に高森の顔を見ることができた。
……もちろん、関係各所への説明やら幹部への報告やら、まだまだトラブルの後始末は山積みなんだけど。
でも少なくとも、いつもの時間には帰れた。それくらい落ち着いた状況になった。
「昨日は悪かったな。だいぶ待ったんじゃないか?」
「いえいえ。お仕事、お疲れさまでした。じゃ……帰りましょうか。」
「だな。」
……本当に。
昨日みたいなことがあると、こうして普通に過ごせることがとても幸せに感じるから不思議だ。
いや、この関係を「普通か?」と聞かれると、それはそれで……別の問題がある気もするけど。
ともかく。
今日は、気持ちよく帰ることができる。
それって、すごく幸せなことだったんだ。
もっと、大事にしないといけないな……。
この時間。
◇◆◇◆
「幡豆さんって、どんな仕事してるんですか?」
そうして歩き始めてから程なく。
高森が口を開いた。
そっか……。
今までそういう話って、なかったかも。
昨日の「今日は遅くなる」な出来事もあったし。余計、気になったのかも知れないな。
「機械とか電気とか……いわゆる設備屋さん、かな。」
「……設備屋さん?」
「今は下水処理場のメンテナンスの仕事してる。動かしたり、止めたり、点検したり。あと、たまに壊れたら直したり。」
「なるほど……いかにも理系って感じですね。」
「そうだね。」
まぁ……正直、「理系だから」とか「文系だから」とかって、就職したらあまり関係ない。
結局、命じられれば「何でも」やる。
それがサラリーマンの宿命だと思う。
……なんて。
若者の夢にドロップキックかますような発言。しない方がいいだろうな……高森には。
「今の仕事に就きたいって、いつ頃決めたんですか?」
「いつ……か。難しいな。それ。」
「……高校生の間には、決めてました?」
「いや……高校の頃なんて、そんな具体的な目標持ってなかったよ。まぁ……機械とか電気とか好きだったから、そっち方面に進みたいって曖昧には思ってたけど。」
……ごめん。
正直なところ。
実は就職活動を始めるまで、俺は
「どんな仕事で生きていくか?」なんて、
明確に考えたことなかった。
何なら今の職場だって、あちこち就活する中で偶然採用して貰えたから就職したって感じだし……。
……なんて。
若者の夢にドロップキックかますような――以下省略。
「でも。『機械とか電気とか』っていう目標は持ってたんですよね……。やっぱり。」
「……?」
「いえ……その。今日、学校で進路希望を書くように言われちゃって……。来週末までに出さないといけないんです。」
「あぁ。なるほどね。」
……そういうことだったか。
昨日遅くなったのがどうとか、俺の仕事内容がどうとか、そういうことが気になったわけじゃなかったらしい。
でも。
進路希望……ねぇ。
「とりあえず、今回は『理系希望か、文系希望か』と『進学したい大学と学科』が書ければ良いんですけどね?……でも。それって、将来の夢とか決まってないと選べないじゃないですか。」
「……まぁ、うん。そうだよな。」
「この先、どういう一生を過ごすか?なんて、漠然としすぎてて……。」
「……まぁ、進路を選ぶだけなら、得意な教科を元に選んだって良いと思うけどね。」
「得意……。数学とか物理とかは、割と好きですけど。」
……いや。ならその時点で。
考えるまでもなく理系に進もうよ!!
いいよね “リケジョ”!
カッコいいよね ”作業服女子”!
――じゃなくて。
いかん。落ち着け。
すーはーすーはー。
……。
というか、真面目な話。
高森がどこに悩んでいるのか。
イマイチ俺には理解できない。
「気を悪くしたらごめん。身も蓋もないこと言うかもだけど……。」
「……はい。」
「じゃ、とりあえず『理系』って書いて、自分の成績に見合った大学名と好きな学科書けば、完了じゃない?いつか目標が決まったら、その時に変えたって良いんだし。」
「そうですね……。でもそれで出すと……。」
「……?」
「その……今度、三者面談があるんですよ。そこで保護者の意向も確認して、来年以降のクラス分けを決めるみたいで。」
ほう……?なるほど。
高森の学校は、そういうシステムなんだ。
……で?
「それで……。私の両親……というか、母は私に『公務員になれ』って言ってるんですよね。」
「公務員?」
「はい。市役所の職員さんとか。」
「あぁ……。」
……ようやくピンときた。
そういうことか。
たしかに『公務員』っていうと、文系の大学行って法学部とか出て……ってイメージあるよな。
「だから、確実にモメるんです。理系って書くと。三者面談のとき。」
「なるほどな……。」
「はい。」
「……。」
――沈黙。
それは、触れて良い話題かわからなくて。だからこれまで、うやむやにしてきたことで。
初めて高森を自宅まで送った日。
空っぽで、真っ暗で、
人のいない家を見た。
偶然会った高森を自宅まで送った日。
風邪ひいても、熱があっても、
誰も看病してくれない家を見た。
そこから推測される高森と両親の関係性は……どう考えても、良いものではないだろう。
だから、あえて避けてきた。
この話題を。
「それで決められなくて、悩み中ってわけか。」
「はい。」
……。
だからこそ、やはり慎重にいきたいと思った。この話題に触れるのは。
だから……。
「……っ!?」
すぐ隣にある頭に、そっと右手を乗せる。
なるべく、優しく。
「提出期限は来週末なんだろ?慌てなくていい。」
「……。」
なるべく、ゆっくりと。
柔らかい声で。
それだけを意識しながら、喋る。
「俺もさ、相談くらいは乗るから。どうするか、少しずつ考えていこう。……な?」
……。
ううむ。
ちょっと芝居がクサ過ぎたか……?
「……。」
立ち止まった高森は、俺の手を頭にのせたままポカンとした表情で。
驚いた、というか。
魂が抜けた、というか。
そんな感じで。
「……どした?」
「いえっ……!その。あのっ!」
俺が顔を覗き込むと、急に何かのスイッチでも入ったかのように高森はパタパタと慌て始めた。
「その……はい。そうですね。まだ締切は来週末なので。」
「うん。簡単じゃないとは思うけど、焦る必要はないと思うからさ。」
「はい。もう少し、考えてみます。」
「だな。」
うん。よしよし。
表情に少しだけ、
明るさが戻った気がする。
それを確認して……まだ頭の上に乗せたままだったことを思い出して、右手を戻す。
「あ……。」
「ん?」
「あっ!いえ!何でもないです。」
「?」
少し頬が赤いような。
気のせいのような。
「……あ。では私、これで失礼しますね。」
「ああ。気をつけてな。おやすみ。」
「はい。おやすみなさい。幡豆さん。」
そう言って、少し慌てた感じで。
自転車に乗って去っていく高森。
……いつもなら、
ここは自転車を押して歩いていくのに。
そんな後ろ姿を見送りながら、
俺も自転車を反転させた。
「……。」
……思えば。
これまで、毎日のように顔を合わせて。
時々、週末にも会ったりして。
……でも。
俺たちは基本的に、
当たり障りのない話ばかりしてきた。
家庭の事情、とか。
抱えている問題、とか。
そういう深い話や暗い話をすることは、
あまりなかった。
そんな関係が、心地よかったから。
そんな関係が、丁度よかったから。
……でも。
いつまでもそんな、
都合の良い時間だけ続くわけがない。
人と人が一緒にいれば、
良いことと同じくらい、
悪いことだって起こる。
だからその時は、なるべく親身になってやれるように頑張らなければならないと思う。それが、俺が高森にしてやれる、唯一のことだろうから。
「……。」
右の掌に残る、柔らかな髪の感覚。
その温もりを逃すまいと……
強く強く、握りしめた。
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