保留
帰りの電車の中。
いつものようにヒマをつぶそうと、
右手にスマホを持ってはいるのだけど。
……その指は、全く動かなかった。
何しろ、頭の中は別のことで
イッパイイッパイになってるわけで。
つまり、昨日の高森の表情が
どうにも脳裏を離れないわけで。
どうしても、気になって気になって。
どうしても、落ち着かなかった。
……いや。テストの結果が悪くて親にお小言をもらうのは、別におかしな話じゃない。むしろ誰だって一度や二度は経験する話だ。
もちろん、人によって感じ方は違うだろうし。親の言い方、𠮟り方も色々だとは思うけど。
でも……。
それだけで、あそこまで違和感というか……あんな極端に無口になるほど、凹んだりするものだろうか?
あんな痛々しい笑顔になるだろうか?
「……。」
昨日の高森は、本当に口を開かなかった。
一応、俺からの問いかけには応じてくれたけど。でも、全く話は膨らまなかった。
手短に答えたら、すぐ黙ってしまう。普段なら……そもそも俺が何か言う前に、あっちから話しかけてくるのに。
……。
なのに……だ。そんな高森を、俺はきちんと支えてやれたか?
その答えは「否」だ。慰めてやることも、楽しませてやることも。何ひとつしてやれなかった。
ただただ黙って、隣を歩いていただけ。しっかりしろよ昨日の俺!と、声を大にして言いたい。
でも……。
じゃ、今日の俺は何かできるのか?
と、問われたら。
やはりどうしたら良いかわからない。
答えは未だ、見つからなくて。見つからないから、さっきから溜息吐いているわけで。
「はぁ……。」
人目も憚らず、再び溜息。
そして……ふと顔を上げれば、
電車はいつもの駅に到着していた。
考えても考えても、
何の結論も得られなかった。
◆◇◆◇
「お待たせ。いつも待たせちゃって、悪いな。」
兎にも角にも、話をしようとする姿勢は大事かな?と思ったので。こちらから声をかけた。
……いささか不自然だったろうか?
「いえ。お仕事お疲れ様です。」
「ああ。じゃ、遅くならないうちに帰るか。」
「はい。でもその前に……。」
そう言いながら高森は……カバンの中から小さな包みを取り出した。
「スコーン焼いてきたんです。よかったら、食べてください。」
「スコーン?」
「はい。その……昨日はごめんなさいでした。何か、態度悪くて。」
「……。」
……呆れた。
ホトホト呆れはてたわ。
いや、高森に対してでなく。
俺自身に。
高森は自分のことをきちんと自覚していた。そして、その上で俺に気を使ってくれた。
……そんな高森に対して、俺はどうだ?
俺は、高森より遥かに年上なのに。“保護者的な立場” であろうと思ってるのに。
……最近ちょっとその辺は、
揺らいでしまっている気もするけど。
でも。
その気持ちに嘘はないわけで。
なのに蓋を開けてみれば、何の手助けもできないばかりか、逆に高森に気を使わせる始末。
ダメじゃん。俺……。
「あの……やっぱり、怒ってました?」
急に黙った俺の態度を、悪い意味に捉えてしまったらしい。高森が不安そうな顔で、俺を見上げる。
……いかん。
そこだけは早く否定せねば。
「いやいや!そんなことない。こっちこそゴメン。何か……気を使わせちゃって。ありがとな……。」
高森から包みを受け取りつつ、ホントに今更だな……と思いながら謝る。
「いえ、大丈夫ですよ。むしろお菓子作ると気分転換になるので。」
「そういうもんか……?」
日頃、あまりお菓子なんて作ることがない俺には、正直よくわからない感覚だけど。
でも……気分転換か。
そういうのって、確かに大事かもしれない。凹んだとき、辛いときの対処として。
ちなみに。
受け取った包みを触った感じ……中身は1個ではないらしい。
持った感じ、いくつか入っている模様で。
……で、あるなら。
「じゃ、せっかくだから、ちょっと寄り道していかない?飲み物買って、そこの公園で一緒に食べよう。」
「いいですよ。」
「よし。じゃ……どれがいい?」
ちょうど近くにあった自販機を差して、問う。前にもこんな会話したな、と思いながら。
……だから当然。
答えなんて聞くまでもない。
「ホットゆ(ガタン!)ずがいいです。」
言い終わる前に、押してやったさ。
◆◇◆◇
「いただきます。」
「はい。どうぞ。」
高森が作ってくれたスコーンは4つ。
だからありがたく、2つずつ頂くことにした。ちなみに飲み物は……。
高森がホットゆず。
俺はホットコーヒー。
「あ。美味っ。」
「ですか?よかったです。」
「スコーンって、実は食べたことなかったんだけど……美味しいんだな。コーヒーに合う。」
「作るのも、割と簡単なんですよ?焼き時間さえ気を付ければ、失敗しにくいですし。」
「ほ~。そうなんだ。」
「気に入ってもらえたなら、何よりです。また作りますね。」
そう言いながら、はむっ……と。
スコーンの端を口にする高森。
……えぇい。食べ方からしてイチイチ可愛いな。もう。
でも。
それっきり……再び会話が止まってしまった。
高森は、静かにスコーンを口にしたり、ホットゆずを一口飲んだり、その繰り返し。
俺は俺で、何か言わなきゃと思いながらも……この空気を打開する良い話題なんて、すぐには思いつかなくて。
結局、焦りばかりが積み上がっていく。
――と、その時。
「……ぅぉ。」
「……っ!」
ぶわっ!っと。
突然の木枯らしが吹いた。
落ち葉が舞い上がって、すぐそばの枝が揺れて。街路樹の葉が、ガサガサと音を鳴らして。
いや……ビビった。
本気でビビった。
「……大丈夫だったか?」
「ええ……でもちょっと、ビックリしました。」
「やっぱり、もう冬だな。」
「えぇ……。温かい飲み物が、ありがたいです。」
高森は、首をすくめて困ったように笑いながら、ホットゆずを両手で抱えた。
……でも、たぶん。そのホットゆず、既に「ホット」じゃないよな?
何しろ俺の缶コーヒーも、随分前にアイスコーヒーになっちゃってるんだから。
このまま黙って座っていたら、また風邪をひかせてしまう可能性もある。いい加減、腹を括らないとマズいか……。
「改めて……俺の方こそ昨日はごめん。何か……気の利いたことも言えなくて。」
……結局。
本当に、結局。
いつもどおりの見切り発車。
思ったことをそのまま口に出した。
……でも。
こうなったら何でもいい。
喋って、話して、言うだけ言って「じゃ、そろそろ帰ろうか。」という方向に持っていければ、もうそれで良いだろう。
脈絡なくても格好悪くても、高森が風邪をひいてしまうリスクとは比べられないのだから。
「いえ。こちらこそ……テストの点がどうとか、親がどうとか、幡豆さんには関係ない話で……。」
「でもさ、そういう時こそ、何か言わないと……って思ってた。思ったんだけどさ。ごめん。結局、何も言葉が出てこなくて。結局、何もできなくて……。」
……うう。
やっぱり見切り発車で喋ってるから、どうにも話にまとまりがなくて、情けない。
「……そんなことないです。」
けれど。
何故か、高森は笑顔で。
……たぶん、本物の笑顔で。
ハッキリ首を振った。
「何も言わずに、一緒に歩いてくれました。」
「……?」
予想外の言葉に、頭が追いつかない。
いや。何もできなくて、何も言えなくて。
結局、ただ歩くだけだったけど……?
「そうやって……一緒に歩いてくれるだけで、『心配してくれてるんだな。』って思えて。」
「そりゃ……心配はするけどさ。」
心配するだけならサルでもでき――
……サルって「心配」って感覚あるかな?
いや。ともかく。
誰だって、心配くらいするさ。
「それで安心したというか……何か、色々『いいや。』って思えたんです。幡豆さんに一緒にいてもらえて。」
「そういうもんか……?」
「はい。」
ん~。その言葉、素直に信じて良いものだろうか?
俺に心配かけまいと “都合の良い言葉を並べてるだけ” ってことはないだろうか?
――と。
「幡豆さんは、どうして私に……こんなに、優しくしてくれるんですか?」
「……。」
……気づけば。
高森の顔から、笑顔が消えていた。
まっすぐに俺を捉える真剣な瞳に。
何も言葉が出てこなくなってしまった。
――どうして優しくするか、って?
もちろん、ちゃんと理由はある。
でもそれは、一言では言えない。
さらに加えれば……
話せない要素も多分に含まれてる。
だからもし、その問いに答えるなら、
慎重に言葉を選ばなければならない。
これ、普段の会話の中で聞かれたのなら、きっと適当な理由を連ねて、当たり障りなく返せたんだろうと思う。
でも今は……。
今の高森に、
適当な誤魔化しはしたくなかった。
「……。」
「……。」
言葉が出てこない。
高森も言葉を発しない。
そんな沈黙の時間は。
永遠かと思うくらい長かった。
――そして。
「ふふっ。ごめんなさい。何か変なこと聞いちゃって。今の忘れてください。」
「いや、俺の方こそゴメン。何か……こう、真正面から聞かれると、どう答えたらいいか分からなくなっちゃって。」
「いえいえ。私も何か……思わず。あはは……。」
誤魔化すように笑う高森。
……また俺は、
高森に気を使わせてしまった。
申し訳ない。
本当に本当に、申し訳ないと思う。
でも、助かった。
「じゃ、スコーンも食べ終わりましたし。そろそろ……。」
「ああ。帰るか。」
「はい!」
元気に答えて、高森は立ち上がった。
……ふぅ。
とりあえず無事に、当初の目標だった「そろそろ帰ろう」の方向に辿り着いたらしい。やれやれ、だ……。
自転車を押して歩き出すと、
一歩遅れて高森が隣に並んだ。
ただ、何故だろう?その顔が、気持ち赤くなってる気がした。たぶん、勘違いではないと思う。
ひょっとして……。
高森は……。
……。
――でも。
やっぱり、保留にした。
今はそれ以上、考えたくなかった。
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