指先
高森へ
期末テストおつかれさま。
寝不足なってないか?
今日は早く帰って
ゆっくり休もうな。 幡豆
貼りつけた場所は自転車のハンドル。高森が自転車に乗ろうとすれば、間違いなく気づくはずだ。
もちろん剥がれて落ちたりしないように、マスキングテープでしっかり固定した。これならイタズラでもされない限り、高森に届くだろう。
だけど……。
職場に着いて。
仕事して。
美味しくない昼食をとって。
再び仕事に戻って。
……心配になってきた。
いや、「メッセージが読まれたか?」「読まれなかったか?」ではなくて。
(高森のやつ。まさか今日、待ってたりしないだろうな……?)
今日は、期末テスト最終日。
学校は午前中で終わるはずだ。
最終日ってくらいだから、
試験が終われば自由の身。
高森の行動パターン的に、
今日は平然と待っていそうな気がする。
「当然です。」って。
「試験は終わったので。」って。
だからこそ貼り付けたメモに「今日は早く帰って」と、ハッキリ書いておいた訳なのだけど。高森のことだ。言い訳の一つや二つ、すぐ見つけるだろう。
例えば「さっきまで自習室で勉強してて、いま帰ってきた所です。待ってませんよ?」とか、普通に言いそうだよな……。
……いやいや。
そうは言っても、午前中で学校終わりだぞ?いくら高森だって、そこから夜までずっと自習室に居残りするとは思えない。
そう。さすがに今日は待ってる訳がない。
訳がない……んだけど。
それでも気になるものは気になる。
というか、ぶっちゃけ心配だし。
それに正直言えば、ちょっと会いたいとか思っちゃってる自分も居たりするわけで。
そんな感じで、さっきから思考が堂々巡り。全く仕事が手に付かなくて「あ~もう!」な感じ。困った。
……。
いかん。
落ち着け、俺。
「おい。大丈夫か?さっきから画面睨んだまま、七面相してるけどさ。」
「あぁ。敬太か。」
「『あぁ、敬太か。』じゃないっつの。さっきから手が止まってるぞ?何か間違ってたか?」
……そうだった。
すっかり意識が飛んでいたけど、敬太が組み上げた設計のチェック中だっけ……。
「とりあえず……ここ。値が変な気がする。たぶんだけど、修正前の図面から数字拾ってないか?」
「げ……。マジか?だとすると……全滅?」
「や。そこまで致命的じゃない。こことここと……ここは再計算かな。あとは……悪い。まだそこから先はチェックできてない。急いで見る。」
待たせてるのは事実なので、ひとまず詫びて再び画面に向かおうとしたのだけど──
「いや。ストップ。それなら、いっぺん返して貰っていいか?全体的に見直すわ。」
「ん?」
何故か敬太に止められた。
いや、確かにミスってはいるけど、全体的には誤差のレベルだ。チェック自体は続けられると思うんだけど。
……が。敬太は無言でクイっと顎をしゃくる。その先には時計。
「この時間から修正してちゃ、どうせ明日には間に合わない。1日伸ばすわ。」
「大丈夫なのか?」
「あぁ。まだ日程的には余裕あるし。それに、あんまりお前に無理させんなって厳命されてるしな。」
……?
「誰に?」
「課長に。……いやさ。何かお前、ここ数日よくぼ~っとしてるし。しかも何か突然、溜息吐いたりするし。それで『例の
……マジか。
そんな風に見られてたのか、俺。
というか溜息なんて吐いてたのか、俺。
完全に無自覚だったんだけど……。
……あとついでに、課長。
『
すげぇ死語だな。
久しぶりに聞いたわ。
……。
で。
「当然、否定してくれたんだよな?親友よ。」
無駄だとは思いながら、
目の前の問題児に問う。
でも当然、帰ってきた答えは……。
「『そうですね。温かく見守ってやって下さい。』って、言っといたさ。友達想いだろ?俺。」
……グーで殴っていいか?
◆◇◆◇
……そんなこんなで。
設計のチェックという今日の仕事は、敬太が修正を終えるまで延期されてしまった訳で。
そうして手が空いてしまったからには……勤務時間を終えたら速やかに帰ることも、昨今の働き方改革の観点から大事な責務であると思う。よって、今日は早く帰る。
決して、「高森が駐輪場で待ってるんじゃないか?」と気になったから早く帰るわけではない。ないったら、ない。
ということで……。
「ああ。おつかれさん……。」と、妙に優しげな視線で見送ってくれた課長に「お先に失礼します。」と一礼して、職場を出たのが少し前。
駅まで歩いて。
しばし電車に揺られて。
いつもの駅で電車を降りて。
今に至る。
「……寒っ!」
駅の改札を抜けたところで急に強い風が吹いて、思わず首をすくめた。
当たり前と言えば、当たり前の話か……。
今や11月も下旬。
すっかり冬らしくなった。
特にこの時間は冷え込むわけで……。だから、さすがに居るはずがない。常識的に考えて、そこに居たらおかしい。
……もし本当に待ってたりしたら、𠮟るべきなんだろうな。“保護者的な立場” として。
「こんな時間に、不用心だろ?」って。
「早く帰れって、メモ残したろ?」って。
……だけどさ。
「あ。おかえりなさい。幡豆さんっ!」
……その笑顔を見てしまったら。
『叱る』なんて選択肢。
俺が選べるはずがないんだなぁ……。
うん。わかってた。
この数日で、嫌というほど思い知らされたんだ。俺、つくづく高森に甘い。
「ただいま。期末テストは無事に終わったか?」
「はい。でも……今回は本当に、長かったです。」
「そっか。」
適当に相槌を打ちながら。
改めて、久しぶりに高森の姿を見る。
制服姿の上にコートを羽織った、冬の装い。期末テストを挟んで、季節がもう一歩進んだ感じがする。
「……どうかしました?」
ちょこんと首を傾けて、不思議そうな顔をする高森。
「いや。コート姿だな……と思って。」
「寒くなりましたからね。この時間は特に。」
……そう。
だからこそ。
「そりゃ、こんな時間まで待ってたら寒いだろうさ。いつから居たんだ?」
「私もさっき帰ってきたところですよ?自習室で復習してたので。」
「午前中でテスト終わって、その後ずっとか?」
「……はい。」
今の微妙な間。嘘だな。
……いや。
この際、それはどうでも良いか。
いま俺がすべきことは、少しでも早くこの子を自宅へ帰らせることだろう。
あとは……。
無事に期末テストを終えた頑張り屋さんに、ちょっとくらいご褒美をあげたいと思った。それくらい、良いだろうと思うから。
「……寒いし、温かいものでも飲みながら帰るか。何がいい?」
ちょうど目の前にある自販機を指差しながら、高森に声をかける。
……と言いつつ、声掛けておきながら何だけど、答えなんて聞くまでもない。最初からわかってるさ。
だから答えを聞く前に、俺は手を動かす。
だって、どうせ答えは――
「ホットゆずが良いです。」
<ピッ♪>
高森の返事が早かったか。
“ピッ♪” という電子音が早かったか。
「ゴトン」という音ともに落ちてきたボトルを取り出すと、俺はそれを高森に差し出した。
すっかり見慣れた黄色いボトル。
それを高森に手に預ける。
「ありがとうございます。」
「……。」
「……?どうかしました?」
「いや。期末試験お疲れさま。じゃ、帰るか。」
「はいっ!」
機嫌よく頷くと、
高森は自転車のカギを開けた。
俺も自転車のカギを出すべく、
カバンを漁りながら。
……高森に気づかれないように、
そっと溜息を吐いた。
(コイツ、やっぱり――)
さっきの高森の答え。
やっぱり嘘だ。
本当はずっと、
ここで俺が来るのを待っていたんだ。
……なぜなら。
ホットゆずを受け取った、高森の指先は。
すごく冷たくなっていた。
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