手書き


 ……昨日はあれから、ずいぶん遅くまでメッセージのやりとりが続いてしまった。



 勉強の邪魔をしてはいけない。

 そう思っていた。


 翌日に備えて、早めに寝せない。

 とも思っていた。

 


 ……なのに。



 どうにも話題を打ち切るタイミングがつかめなかった。結果、そのままズルズルとやり取りが続いてしまった。


 まぁ、そもそも論として……。


 試験勉強の大事な時期に、雑談メッセージに付き合ってる時点で “保護者的な立場” として、失格なんだろうけど。



「……。」



 車窓を流れる朝の景色をぼ~っと眺めながら、そんなことを思ったり思わなかったり。


 ちなみに今朝。いつもの駐輪スペースには、ちゃんと高森の自転車が止めてあった。


 どうやら寝坊したり遅刻したりはしてないようなので、その点は少しホッとしている。



 まぁ……何だかんだシッカリしている子なので、そのあたりの心配はないだろうとは思っているのだけど。


 でもやっぱり、寝不足では試験の成績にも良くないだろうし。今日からは気を付けてやらないとな……。



 それに、ひょっとしたら高森からは話を打ち切りにくかったのかもだし。


 本当は早く寝たかったのに、俺に気を使ってメッセージを返していたのだとしたら、それは大問題だ。


 どうしたって俺の方が年上な訳で。なら、俺の方からきちんと「ここで終わり。」というタイミングを提示すべきなのだろう。



 よし……。



 今日の方針は決まった。


 俺のすべきことは、高森の愚痴や不安を聞いて、そして高森の試験勉強を応援してやること。


 その上で、高森の試験勉強の邪魔にならないようにする。そこを見失ってはいけない。



(俺が高森にしてやれることなんて、それくらいしかないんだから……な。)



 そう心の中で呟いて、自分を戒める。


 気づけば窓の外の景色は、俺の降りる駅が近いことを示していた。



 一日が、始まる。




   ◆◇◆◇




 ……そして迎えた、いつもの帰り道。

 

 ここへ至るまでには、いつもどおり間違いだらけの仕様書と戦ったり、食堂で注文した「肉じゃが定食」に『肉』と思われる物が一切入ってなかったり。


 とにかく何か……色々あった気がするけど。兎にも角にも疲れたけど。


 

 ……だけど。



 たぶんそんなアレコレは些末な問題であって、気にする必要はない。だって今は、他にもっと気にするべきことがあるのだから。



 改札を通り過ぎて、駐輪場へ向かって歩く。

 

 そういえば一昨日は、このタイミングで高森からメッセージが来たのだけど。今日は届いていないようだ。


 もしメッセージが来たら駅前のカフェに入って……とか、頭の片隅でいろいろ検討していたのだけれど。


 どうやらその辺は全て杞憂に終わったらしい。



「……。」



 でも、何だろう?少し淋しい気分。


 メッセージが来ないということは、高森が試験勉強に集中できているという証拠。結構なことじゃないか。


 でも、ひょっとっしたら、体調を崩したりして寝込んでいる可能性も?……いやいや。それは心配のしすぎ、というものだろう。



 ……。

 


 でも心配だから、こっちからメッセージを送ってみるか……?


 いや。いかんいかん。


 高森の試験勉強の邪魔をしてはいけないって、今朝、自分に言い聞かせたばかりだろうに、俺。


 でも……。

 心配なものは心配なんだよなぁ……。



「……んん。」



 ……。



 最近、気付いたのだけれど。


 どうも俺、すっかり“高森”という存在に振り回されていると思う。


 別に、日常生活に支障が出ているわけでもないし。仕事に穴をあけたりはしていないはずだし。だから、特に問題ないといえば問題ないと思――



 ……社内で変な噂が流れてしまった問題は、問題っちゃ問題か。地味に痛手な気がする。


 でも。

 それはともかく、として。



 そういう社会的な面では問題なくても、精神的な面でここまで揺さぶられているのは、問題ではなかろうか?



「はぁ……。」



 ついに溜息なんて吐いてしまったよ、人目も憚らず。


 何をやっているんだか、俺。こんなもの、考えたって答えは出ないだろうに。



 ……そうして。



 溜息とともに辿り着いた、いつもの駐輪場。当然、高森の自転車はない。そこにあるのは俺の自転車だけ。黄色い付箋紙とともに。



 ……。



「って。付箋紙??」



 思わず足が止まって。

 ついでに独り言まで溢れてしまった。



 俺の自転車のハンドルに、黄色い付箋紙が貼り付けられていた。


 しかもご丁寧なことに、風で飛ばないようマスキングテープまで貼ってある。イタズラにしては手が込んでいるよな……。



 いや、確認もせずにイタズラって。

 疑ってかかるのも良くないか。



 まず「付箋紙を貼る」ってイタズラは聞いたことがないし、そもそもイタズラなら「付箋紙を貼る」意味が解らないし。マジで意味が解らん。



 ……いや、冷静になれ、俺。


 引っぺがして、ゴミ箱にポイ。

 それだけのことじゃないか。



 そうして付箋紙に手を伸ばして……そこでようやく、付箋紙にメッセージが書かれていることに気づいた。


 細字のボールペンで書かれた、丁寧だけど少し丸っこい文字。



  幡豆さんへ

   お仕事おつかれさまです。

   気を付けて帰ってくださいね。

               みやび



 ……心がじわっと温かくなる、不思議な感覚。


 どうやら高森、昨日の反省をもとにこの時間にメッセージするのはやめて、代わりに手書きのメモを残してくれたらしい。



 別に俺は……全く気にしていなかったし、むしろ嬉々として返信していたくらいなのにな。


 実際には高森の方が、俺の帰りが遅くなることを気にしてくれていたらしい。


 まったく。

 律儀というか、何というか。


 そもそも高森とは、昨日もメッセージをやり取りしたのに。そこではそんな話題、一度も出なかったのに。



 もし気にしていたなら、

 そう言ってくれれば良かったのに。


 「全然気にすることないよ」って。

 「むしろ俺も楽しかったし」って。


 ちゃんと伝えたのに。



「……。」



 急に、頭の中で「カチっ」と音がして。

 何かが繋がったような感覚。



(……なんだ。俺も同じじゃないか。)



 高森は、昨日のメッセージについて。

 俺の帰りが遅くなったのを気にしていた。


 でも、俺には話さなかった。



 俺は、昨日のメッセージについて。

 就寝が遅くなったのを気にしていた。


 でも、高森には話さなかった。



 そんな俺が、高森に「気にしていたならそう言ってくれれば……」なんて言おうものなら、逆に高森から「お前もな。」と返されかねない。


 ……まぁ、たぶん。

 高森はそんなこと言わないだろうけど。



 俺は俺。

 高森は高森。


 昨日の夜、遅くまでメッセージを続けたこと。高森は気にしているだろうか?それを知っているのは、本人だけだ。



 他人の俺がどんなに心配したって。

 他人の俺がどんなに気を使ったって。


 高森自身が気にしていないのなら、

 そこには何の意味もない。



 なら、俺が今すべきことは……?



「……。」



 考えは、すぐにまとまった。


 せっかく高森が気を使ってくれたんだ。

 まずは少しでも早く、家に帰ろう。


 そして、落ち着いたらメッセージ送ろう。



 書置きありがとう、って。

 昨日は遅くまでゴメン、って。


 テスト期間中だし早めに寝ような、って。



 とりあえず、自転車を引き出して。

 無言で付箋紙を剝がして。


 剝がした付箋紙は、丸めてポケットへ入れ……ようとして、思いとどまった。



 剥がしたマスキングテープを折り返して。

 手帳に挟んでカバンに仕舞った。




(しばらく、捨てられそうにないな……。)




 そんなことを、思いながら。



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