約束


 朝。



 いつも駐輪場には、いつもの見慣れた自転車があった。どうやら無事、高森は学校へ向かったらしい。

 

 一応、熱が下がったことは昨日メッセージを貰って知っていたけど。でも、改めて回復したことを実感できた。ひと安心。



 ……。



「……さて。」



 そうとわかれば、俺もノンビリしていられない。電車に乗り遅れてしまう。


 自転車に鍵を掛けると、俺は改札口へ急いだ。




    ◆◇◆◇




 そうして、何だかそわそわした気分を押し殺しつつ、仕事を片付けて。


 それでも何だか落ち着かなくて、残業を早めに切り上げて……そうして辿り着いた、いつもの駐輪場。



 そこでようやく、

 高森の顔を見ることができた。



「こんばんは。」


「無事に復活したみたいだな。」


「はい。ありがとうございました。」



 穏やかに、高森が微笑む。

 

 ……うん。やっぱり高森は、

 こういう顔の方が似合う。



 そんなことを思いながら、自転車を引き出して帰り道を歩き出す。一歩遅れて、高森も隣に並ぶ。



「幡豆さん特製『玉子とじうどん』のおかげですね。今度レシピ教えてください。」


「レシピって言われても……。味付けは『麺つゆ』そのままだしなぁ……。」



 麺つゆ温めて、水溶き片栗粉、溶き玉子、冷凍の刻みネギを順に入れる。


 で、それを電子レンジで温めたうどんにぶっ掛けて終わり。インスタントラーメン並みの手抜き料理。



 ……だから「おかげで」なんて言われてしまうと、何だか申し訳ない気分になってくる。



「でもホント、こんなに早く回復したの初めてです。いつも、もうちょっと長引くので。」


「そっか。」



 まぁ、気に入ったなら何より。

 そういうことにしておこう。



「とはいえ。一人暮らしで風邪ひくと大変だよな。高森はよく風邪ひく方?」


「いえ?そうでもないんですけど。」



 そこで高森は「はぁ……」と溜息。



「……実は私、幼稚園からずっと皆勤賞だったんですよ?なのに、これで通知表に『欠席1』って付いちゃうじゃないですか。それだけは、何だか悔しいですね。」



 ……と、心底残念そうに言うものだから。

 思わず笑ってしまった。



「いや、笑わないでくださいよ。本当に悔しいんですからね?」


「ごめんごめん。いや、残念がるポイントが、何とも可愛いなと思って。」


「もう……。」



 少し顔を赤くして、ムスッとした表情の高森。そんな表情も、また可愛い。


 ……絶対に口には出さないし、出せないけど。



「でも……ま、そうだな。残念だったな。」


「はい。ちょっと油断ました。ちょっと体冷やしちゃったんですよね。結局、流れ星も見られませんでしたし……。」


「……流れ星?」



 高森の口から飛び出したワードに、何か引っ掛かるものを感じた。あれ?「流れ星」って……?


 思わず視線を向けると。



「……。」



 ちょっと焦った表情で口を噤む高森。

 ……間違いないな。



「ひょっとして……。」

 

「何でもないです。」

 

「……。」

 

「……。」


「……。」

 

「……見たかったんです。しし座流星群。」

 

「やっぱりか。」


 

 根負けした高森が、俯いて白状した。



「幡豆さんとお話ししたあと、庭で空を見てたんです。でもちっとも流れなくて……。それで、つい粘って夜更かししちゃったんです。」


「……。」



 ……俺のせいだな。

 高森が風邪引いたの。


 

 いや。夜更かししたのも、十分な防寒をせずに星を見たのも、最終的には全て高森の自己責任だけど。


 でも俺は先週、高森と流れ星の話をした。「しし座流星群」の時期であることを教えた。


 なのに俺は、大事なことを1つ、教えなかった。



「悪い。しし座流星群は、正直あまり流れないんだよ。」


「そうみたいですね。」


「知ってたのか?」


「昨日ヒマだったので調べました。33年おきに流星雨になる、って。」


「そう。しし座流星群には周期があって、次のピークはまだ何年も先なんだ。加えて言えば、街灯のある住宅街でも見えるくらい明るい流れ星なんて、滅多にない。」


「……。」


「ごめん。俺がきちんと教えてればよかったな……。」


「いえ!私が勝手にしたことなので。幡豆さんは何も。」



 高森が慌てた表情で否定する。まぁ……高森ならそう言うだろうけど。



「でも、今回のことでいろいろ勉強になりました。」


「?」



 俺が何を言うべきか考えていると、高森が先に口を開いた。



「もっと暗い所に行かないと、流れ星は見られないんですよね?あと、そもそもあの日は、『しし座』も見えませんでした。もっと遅い時間じゃないとダメだったんですよね?」


「いや。必ずしも『しし座』が見えてないと流れない訳じゃないはずだけど……。でも、深夜の方が街明かり減って、見やすいのは事実かもな。」


「なので、次は『ふたご座流星群』でリベンジです。12月ですよね?」


「……よく知ってるな。」



 どうやら高森、本気で調べたらしい。


 確かに、12月中旬にもう一度流星群がある。つまりそれが『ふたご座流星群』。


 こちらは、毎年コンスタントに流れるはずだ。数は少ないけど。



「今度はちゃんと厚着して、明け方に見ることにします。場所も近所の公園にします。明かりの少ない所なら、きっと見れますよね?」



 目を輝かせて計画を披露する高森。

 先ほどまでの沈んだ表情はどこへやら。


 ……でも。



「ちょっと待った。そんな深夜に一人で出歩くってのは、どうかと思うけど……。」


「……。」



 そう。そこを見逃す訳にいかない。


 自宅の庭ならまだしも……。いや、高森家は両親が不在なのだから、自宅の庭だとしても不用心か?


 ともかく。そんな深夜に女の子を一人歩きさせるのは、さすがに不安がある。まして「明かりの少ない所」な場所なんて、もってのほかだ。



「……。」


「……。」



 今日はやけに沈黙が多いような……。

 いや、それも当然か。


 高森は本気っぽいし。止めなければならないと思ってる俺もやはり本気だ。互いに引けない。



 ……。



 いつもの曲がり角まで、あと少し。


 足を止めて、高森が「では。」と言ったら、そこで時間切れだ。もう猶予がない。


 「ダメだ」「やめなさい」と言うのは簡単だけど、高森が素直に従う保証はないし、従う義務もない。


 でも、今回ばかりはリスクが大きすぎる。事故が起こってからでは遅いのだから。



 で、あるならば……。



「……。」


 

 最後にもう一度、躊躇して。

 考えて。考えて。


 そして俺は、口を開いた。





「じゃ……一緒に見るか?」






 我ながら、過保護だな……と思いながら。




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