第2章 近づく距離

意識



「……お前、やっぱ彼女できたろ。」



 向かいに座った敬太がそんな発言をぶっ込んできたのは、昼休みの食堂で日替り定食を受け取って……溜息を吐いた、その瞬間だった。



 いや。

 何が溜息か、って?


 決まってるじゃないか。

 定食を見て落胆したからに決まってる。



 今日の日替わり定食は『すきやき丼』


 だけど……糸こんにゃくの構成比率、

 高すぎじゃないか?これ。


 ぱっと見、糸こんにゃく6割、

 あとは玉ねぎ3割に、小さな肉片が1割。


 

 ……。

 

 

 いや。いま大事なのはそこじゃない。

 そこじゃなくて。



「前にも言ったろうが……。彼女など居ない。」


「隠すなって。」


「隠してない。というか、隠す理由がどこにあるよ。」


「またまた〜。」



 待ちに待った昼飯の時間だというのに。開口一番、何をトチ狂ったことを言い出すんだ?こいつは。


 しかも、これだけハッキリ俺が否定しているというのに、まだ「嘘つくなよ~」って表情してやがる……。



「先週だか先々週だか忘れたけどさ。噂のことなら俺ハッキリ否定したろ?何をいまさら蒸し返すよ?」


「いや、こないだの噂が云々じゃなくて。俺の見立てとして、だ。」


「……?」


「わかった。じゃ、少し譲って『彼女』じゃないとしよう。でも、誰か『気になる相手』できたろ。」



 ……。



「……はぁ?」



 油断したところに不意を突かれて、反応がわずかに遅れた。


 直後、ニタッと表情を崩した敬太を見て……そこでようやく「しまった」と思ったけれど。時既に遅し。



「ほら、その反応。俺の目は欺けないな。」


「……。」



 肯定することも否定することもできず、沈黙。その時点で、半ば認めたようなもんだけど……今更どうしようもない。



「照れるな照れるな~。ま、これ以上は聞かないが。そうかそうか。恋はいいぞ~?恋は。」



 何故か嬉しそうに「うんうん。」と首を振って、熱弁を振るう敬太。


 というか、声がデカいぞ声が。もう少し周りのお客さんへの配慮をだなぁ……。



「日々仕事に追われ疲れ果て、ようやく土日を迎える。訪れた恋人との時間。待ちに待った熱い夜。心も体も満たされて迎える朝。そして再び俺たちは戦場へ!……それが俺たちサラリーマンの生き様ってもんだろ!」



 ……。



「……自慢か。」


「おうっ!」



 もう、これ以上ないってくらい。

 思いっきり肯定しやがった……。



 前にも記したとおり、敬太には “あかねさん” という恋人がいる。


 たしか……あかねさんのほうが2つ歳上で、他県の大学で研究員をしているとか。だから週末に、互いの家を行き来している……という感じだったと思う。



「はぁ……。わかったわかった。ごちそうさん。」



 そんな「心も体も満たされて」なんて自慢されても。手を出したら犯罪だしなぁ、俺の場合……。



 ……っ!?



 慌てて口を噤む。ちょっと待て。

 俺は今、何を考えた?

 

 まさか無意識に口に出してたり……

 しなかったよな?



「……。」


「大丈夫か?何かいま、物凄い形相になったけど。」


「何でもない。」



 ……どうやら独り言を呟いたりはしてなかったらしい。助かった。つか、危ないぞ……俺。



「……飯に変なものでも入ってたか?」


「いや、そうじゃない。……しばらく糸こんにゃくは食いたくないけどな。」


「そこは激しく同意。この丼に対して『すきやき丼』は詐欺と言わざるを得ない。」


「だな。」



 そしてどうやら、話を逸らすことにも成功したっぽい。危ない危ない……。



 ……と、油断したところに。

 敬太が一言。



「まぁ。ともかくだ。お前はまた一歩、踏み出そうとしてる。俺としちゃ、嬉しく思うわけよ。しっかりやんな。んじゃっ。」



 そう言い残すと、空になった器を持って敬太は席を立ってしまった。


 ……全く。最後の最後まで、ひとこと余計なヤツだ。



 「……。」



 踏み出すも何も。


 俺と高森の間に、敬太の期待するような展開はあり得ない。あってはならないんだ。

 

 倫理的にも。

 社会通念としても。



 ……そろそろ、昼休みが終わる。


 器に残った糸こんにゃくを溜息交じりにかきこむと、俺も席を立った。




   ◆◇◆◇




「こんばんは。」


 

 いつもの時間。

 いつもの駅。

 

 いつもの駐輪場で、

 高森の出迎えを受けた。


 

「ああ。お疲れさん。いつも待たせて悪いな。」


「いえいえ。私が好きで待ってるだけですから。」



 当然、高森は昼休みの話など知らないわけで。……ということは、俺が不自然な態度を取ってはならないわけで。



「……どうかしました?」



 でも……。


 昼休みの敬太との会話が、全く気にならないかと言われたら?



 そりゃ多少なりとも意識してしまうのは仕方がないことだろう。こればっかりは許して欲しいところだ。


 実際……こうして改めて見ると、やっぱり高森って可愛い子だと思うし。



「……幡豆さん?」



 ほら、こうして小首を傾げる感じとか。

 何というか……。



「幡豆さんっ!」


「えっ……!?」


「何か……あったんですか?」


「いやいや。ごめんごめん。ちょっと仕事のこと。急に思い出しちゃったことがあって……。」


「そうなんですか?」



 いかんいかん。


 どうやら完全に、あっちの世界へトリップしてしまっていたらしい。


 敬太め……全く。

 トンデモない爆弾を植え付けやがって。



「……さ。遅くなっちゃうし、帰るか。」


「はい。」



 何とか笑顔を取り繕って、高森を促す。


 とにかく今は、余計なことを考えずに高森を家まで送り届ける。それだけを考えるべし。そういうことだ。



「そういえば……。あれから自転車、大丈夫そうか?」


「ええ。ありがとうございました。おかげさまで快適です。」


「それは良かった。」



 そうして話題転換を図りつつ。

 俺は、高森の隣に並んで歩き出した。


 ……。



 いつもの帰り道。


 その隣にはいつものように、今日の出来事を楽しげに喋る高森。


 俺はその話に相槌を打ちながら……頭の片隅で、全く別のことを考えていた。



 今朝まではそんなこと、全く意識していなかったというのに。……いや正しくは、意図的に「考えない」ことにしていたのに。


 昼の敬太との会話のせいで、意識せざるを得なくなってしまった。


 俺はこの先、この子とどう接してゆくべきなんだろう?……と。





 前よりも少しだけ近づいた距離感。


 果たしてそれは。

 喜ぶべきなのか、警戒すべきなのか。





 悩ましい問題に直面してしまったな……。



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