トラブル転じて
いつもの時間。
いつもの駅。
いつもの駐輪場に、
いつもの顔があった。
……困り果てた顔で。
「……こんばんは。」
「ああ。何かあったのか?」
「ええ。これ……です。」
高森が指差す、その先には――
……あぁ。
なるほど。
「パンクか。ツイてないな。」
「はい……。」
いつも見慣れた、高森の自転車。
その後輪は……見事に潰れていた。
それはもう。
完膚なきまでに、ぺちゃんこ。
「……。」
一縷の望みをかけて、バルブのネジを触ってみる。もしこれが緩んでるだけなら、きちんと締めて空気を入れ直せば……だけど。
残念。
ネジは緩んでいなかった。
パンク確定だ。残念ながら。
「……どうする?押して帰るなら手伝うけど。」
「いえ。今日はここに置いて帰ろうと思います。明日お休みなので。」
「なるほど。」
明日は土曜日。学校は休み。
だから慌てて押して帰らなくても、明日ゆっくり取りに来ればいい。何ならそのまま、自転車屋さんに持ち込んで修理して貰えばいい訳だし。
っていうか……
パンク修理くらいなら俺でも――
「……。」
ふと、そんな提案が頭に浮かんで。
それを口に出そうとして。
……そこで躊躇した。
これ以上は、余計なお世話じゃないか?
というか踏み込みすぎじゃないか?
高森の事情に。
「……どうかしました?」
急に口ごもった俺を見て。
高森が首を傾げる。
いかんなぁ……。最近、妙に多い気がするぞ?このパターン。
「いや。パンク修理くらいなら、俺やろうか?って思ったんだよ。もしまだ自転車屋さんに頼んだりとか、してないなら。」
「出来るんですか!?」
「いや、そんな驚かなくても……。自転車のタイヤくらいなら、道具さえあれば誰でも直せるよ?」
「そうなんですか……?」
「ああ。」
高森は、心底驚いた表情。
まぁ……確かにそうか。
パンク修理なんて、実際にやってみれば大して難しくないんだけど。でも実際に自分でパンク修理をする人間って、そんなに多くない。
俺は……自分の親父が、大抵のことは自分で直すタイプの人だったから、自転車のパンク修理くらいは当たり前って感覚になってるけど。
身近にそういう人が居ない環境で育ったら、パンクは自分で直せるってことを知らなくても、無理はない。
「ちょうど明日から週末だし。もし暇してるなら……って思って。どう?」
……言ってしまったな。
これ、現実的には「土日に会おう」って、俺から誘ったようなもので。やっぱり少々、問題ありな気もする。
まぁ、一応……。
ちゃんと「もし暇してるなら」って言葉は添えた。高森が嫌なら「用事がある」とでも言って、断ってくれれば良い話だ。強制はしていない。だから俺に罪はない。
……って言い訳も、
無理があるか。やっぱり。
「……。」
高森は、しばし沈黙。
思案するような表情を見せて――
……そして、口を開いた。
「……本当に、お願いしても良いんですか?」
その言葉に。
ホッと一息。
どうやら答えは『OK』らしい。
そっか。
OK、か……。
「いや、こっちから誘ってるんだし。もちろん。」
「では……お世話になります。」
「ちなみに土日、どっちが都合がいい?」
「特に用事はないので……幡豆さんの都合の良い方で。」
「そっか。じゃ明日、ささっと片付けちゃおうか。昼すぎに集合でいい?」
「はい。よろしくお願いします。」
……フワッと髪を揺らして。
きれいな角度で頭を下げる高森。
相変わらず、礼儀正しい子だ……。
……と。
その姿を見て、あることに気づいた。
「で……悪い。話が長すぎて、冷めちゃったよな?それ。」
高森の手には、ホットゆず。たぶん、俺が来る前に駅前の自販機で買っていたのだろう。
礼儀正しい彼女は、俺の姿を確認すると同時にキャップを閉めて。そして俺と話している間、ずっとそれを飲まずにいた。別に、そんな気を使ってくれなくて良いのに……。
「いえいえ。大丈夫ですよ?」
「……でも、全く飲んでないよな。それ。」
「おかげさまで、指先はあったかくなりました。」
「指先?」
「私、冷え性なんですよね……。この時期になると、指先が冷たくなっちゃって。」
……そう言いながら。
ホットゆずを両手でコロコロする高森。
なぜだろう……?
何か、小動物っぽい。
「そうなんだ……。ホントに寒がりなんだな。」
「ですね。」
「……じゃ。これ以上冷えないうちに、帰るか。」
「はい。」
高森が頷くのを確認すると、俺は自分の自転車を押して歩き始めた。その隣に……いつもと違って、自転車のない高森が並ぶ。
いつもの時間。
いつもの帰り道。
でも今日は。
ちょっと違った。
一つは、
高森が自転車を押していないこと。
もう一つは、
初めて明確に “会う” 約束をしたこと。
そして何より違うのは。
隣を歩く高森の表情が、
いつも以上に輝いて見えたこと。
……いや。
きっと気のせいだな、最後のは。
そういう事にしておこう……。
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