第5話 計画倒れ 芝浦山手の場合

教室の窓から見える空は、もうすっかり夏のそれで。


明日から始まる長い休みに向けて、クラス全体がどこか浮ついた空気に包まれている。


でも僕の頭の中は、そんな浮かれた気分とは程遠い綿密な計画でいっぱいだった。


ターゲットはもちろん、城之崎光哉。


問題はどうやってこの夏休み中に、アイツとの距離を縮めるかだ。


まずは手堅く、部活の時にアプローチをする作戦。


……でもこれは、夏休み中には文芸部の活動がないから使えない。


次に考えられるのは夏祭りや花火大会といった、いかにもな夏のイベントに誘う作戦。


……いや、これもムリだな。


あの城之崎が、人混みと喧騒しかないようなイベントに興味を示すとはとても思えない。


もし行くとしたらそれはきっと、アイツが『あたたかい気持ちになる』と言っていた相手――鷲那と一緒の時くらいだろう。


そう、鷲那豊樹。


あの王子様。


これがまた厄介なヤツだ。


学園祭での一件を見る限り、城之崎と鷲那はかなり仲がいいように見えた。


その鷲那は王子様みたいなルックスと人当たりの良さで、特に女子から絶大な人気がある。


城之崎だってそう頻繁に、あの有名人を捕まえられるわけじゃないはずだ。


競争率は、絶望的に高い。


そしてもう一人、警戒すべき人物がいる。


大庭咲良、城之崎の幼馴染。


明らかにアイツのことが好きな、綺麗系巨乳女子。


夏休みという解放的な期間に大庭が城之崎にべったりくっついて過ごす、なんてシナリオも十分に考えられる。


考えれば考えるほど、障害は多い。


僕の手持ちの武器は、あまりにも少ない。


城之崎がゲイであるという、あの日無理やり暴いてしまった秘密を共有しているということ。


これだけだ。


ただ学園祭の控室でのことを思い出す限り、この事実を知っているのは僕だけのはず。


だとしたらこれは他の誰にもない、僕だけのアドバンテージになるんじゃないか?


使い方を間違えなければきっと……。


よし!


そうと決まれば、善は急げだ。


夏休みが始まる前に早速、城之崎をどこかに誘ってみよう!


……なんて勢いよく決めたところで、僕には一つ致命的な問題があった。


先日返却された期末テストの結果が、見事に赤点だらけだったのだ。


当然のように明日からの夏休みは、絶賛補習まみれになることが決まってるのである。


……なんでっ!


なんで僕はいつもこうなんだ!


自分の頭の悪さを呪う。


いやまだだ、まだ終わらんよ。


補習の合間を縫って、なんとか時間を作るしかない。


そうして僕は再び、決意を固めたのだった。




そして翌日、夏休み初日。


補習授業が行われる教室の空気は、重たく淀んでいた。


特に現文の時間は地獄だった。


天敵である城之崎がいないのをいいことに、現文ばばぁはまさにフルスロットル。


普段の授業で溜め込んだ鬱憤を晴らすみたいなねちっこい質問と課題の嵐で、僕たち補習組を徹底的にいたぶり抜いた。


……本当にげんなりだ。


魂が半分抜けたような状態で教室を出て、昇降口へ向かおうとしたその時。


「あ」


ヤバい、忘れてた。


スマホの充電ケーブルを文芸部の部室に置きっぱなしにしていたんだった、回収しとかないと。


仕方なく、重い足取りで引き返す。


どうせ誰もいないだろう、と静かに部室のドアを開けると――。


「……あれ?」


そこには、いるはずのない人物がいた。


窓際の、いつもの指定席。


分厚い文庫本を開いて静かにページをめくっている、城之崎光哉。


「え?なんで、いんの?」


そんなマヌケで失礼な質問をしていた。


僕の声に気づいた城之崎は本から顔を上げると、心底面倒くさそうな表情を浮かべた。


「……別に、夏休みはやることがないからな。ここは静かで丁度いい」


「へ、へぇ……」


そう言って城之崎は、再び本に視線を落とす。


その無駄のない仕草と、集中している横顔。


……せっかく会えたけど、邪魔されたくないだろうな。


僕が黙ってケーブルだけ回収して出て行こうとすると、城之崎が低い声で言った。


「……おい」


「へ? な、なに?」


またマヌケな声が出てしまった。


「……そこにいるなら静かにしろ、邪魔するなら帰るからな」


「わ、わかった!静かにする!邪魔しないから!」


僕は必死にそう言って、一番遠い席にそっと腰を下ろした。


……静かにするなら、いていいんだ。


心の中でそうツッコんだけど、城之崎と同じ空間にいられるという事実に思考が上書きされてしまう。


早速カバンから適当な本を取り出して開いてみる。


まぁ当然だけど、全く内容なんか頭に入ってこない。


文字を目で追ってはいるものの、意識はすべて部屋の奥で静かに読書を続ける城之崎に向いてしまっている。


どうしよう。


何か話しかけたい。


でも、何て言おう?


さっきみたいに邪魔者扱いされるのは避けたい。


……あ、そうだ。


僕は本を閉じて、できるだけ自然を装って声をかけた。


「なあ城之崎、夏休みはなんか予定とかあんの?」


城之崎はチラリとこちらに目をやっただけで、すぐに本へと視線を戻した。


「……特にない、せいぜい図書館に行くくらいだ」


「わりと、暇してる感じ?」


「まあ、そうだな」


これはチャンスだ!


……あ。


でも、僕には補習があるんだった。


赤点だらけの、壊滅的な成績が。


ハァ……、せっかくのチャンスなのに。


……いや待てよ。


「あのさ!城之崎!」


僕は勢い込んで立ち上がりかけたが、彼の冷たい視線に気づき慌てて座り直す。


「……なんだ、騒々しいな」


「いや、その……さ。もし、もし暇だったらでいいんだけど……」


僕は少し声を潜め、拝むように両手を合わせた。


「僕に勉強、教えてくれませんか……?」


神様、仏様、城之崎様。


これで断られたら、僕の夏休み計画は始まる前に終わってしまう。


お願いします……!


心の中で祈りながら、彼の返事を待つ。


城之崎はしばらくの間、無表情で僕の顔を見つめていた。


やがてふい、と視線を逸らして小さくため息をついた。


ああ、やっぱダメか……。


そう思った、次の瞬間。


「まぁ別に、構わんが」


「………………え?」


予想外にもほどがある、あっさりとした返事。


僕は一瞬、自分の耳を疑った。


「え?い、いいの? 本当に?」


「あぁ、どうせ暇だしな」


そう言って城之崎は、再び本に目を落とした。


まるで何てことない、普段の会話のように。


……マジかよ。


意外にもあっさりとOKが貰えたことに、僕はしばらくの間呆然としていた。


やった……!


心の中でガッツポーズをする。


まさか、こんなに簡単に第一関門を突破できるなんて。


頭が悪くて良かったなんて、思う日が来るとは!


理由はどうあれ、これで夏休み中彼と会う口実ができた。


計画はまだ始まったばかりだけど、僕は確かな一歩を踏み出せたんだと嬉しくなった。

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