第8話
その晩、実家には親父が帰ってきた。
案の定、想定していたことが起きた。
「それ、返して」
私は床に倒れ込んだまま、必死に声を絞り出した。
目の前には、私の松葉杖と車椅子を手にした父親が立っている。
「お前には必要ねぇよ」
上から睨みつけられている。
「お前なんか寝てりゃいいんだ。余計なこと考えるな」
「……何が目的?」
足の痛みを堪えながら、私は父親を睨みつける。
父親はニヤリと笑いながら言った。
「お前が事故ったおかげで、保険が下りる」
――やっぱり、それが目的か。
「この家にいる限り、俺の言うことを聞け。病院に行って保険をもらわない限り、お前に食わせる飯もねぇ」
そう言い残して、父親は部屋を出ていった。
私の体はまだ思うように動かない。
閉じ込められた。
食事もない。
松葉杖も車椅子も取り上げられた。
「……っ、クソが」
私はベッドの上で息を整えながら、冷たい天井を睨んだ。
父親は、部屋の外から鍵をかけていった。
窓には鉄格子がある。
完全に閉じ込められた。
松葉杖も車椅子もない。
まともに立つことすらできない。
おまけに食事も与えられず、空腹で頭がぼんやりする。
「……最悪やな」
でも、私は笑った。
こんなの、想定内や。
あのクソ親父が、保険金が下りるまで私を好きにできると思ってるのはわかってた。
だから、こうなることも覚悟してた。
「けどな、あんたの思い通りにはならへんで」
私はゆっくりと息を吐きながら、部屋の中を見回した。
この状況でできることは何か。
「助けを呼ぶ?」
いや、無理や。
スマホは、父親に取り上げられた。
そもそも、ここで大声を出しても誰も助けには来ない。
「じゃあ、自力で脱出?」
部屋のドアは頑丈やけど、開けられないわけじゃないかもしれん。
窓は鉄格子があるけど、何か細工ができるかも。
「それとも――」
ここで待つ?
お兄ちゃんが異変に気付いて、迎えに来るのを?
いや、それは嫌や。
「もう、誰かに助けてもらうだけの私ちゃうねん」
配信を始めたとき、私は自分の人生を変えようと決めた。
引越し費用も、事務所から出してもらった給料から出そうと思っている。
なら、ここでも戦わなあかん。
……私はもう、「ただ耐えるだけの紗倉」じゃない。
「……ほな、やったるか」
私は、逃げる方法を探すために、必死に動き始めた。
だが、それはただ体力を消耗するだけの行為だった。
時刻は刻一刻と過ぎていき、やがて朝になっていた。
「やばい…もう限界…」
紗倉の体力は底をつきそうになっていた。
「仕方ない…」
紗倉は唯一の連絡手段であるパソコンを開き、SNSで『めめ』に連絡を送った。
『助けてお兄ちゃん…今にも死にそう…』
紗倉はそう送った。
すぐに既読がついて、連絡が返ってくる。
『今向かってる。あと十分でつくから窓際に荷物置いて待ってろ』
少ない体力を振り絞り、キャリーケースと段ボールを窓際に移動させる。
あとは待つだけだ。
約十分後、窓からノックが聞こえた。
紗倉はその音を聞き、心臓が一瞬跳ね上がった。
窓際に移動させていた荷物をそっと押しのけると、暗闇の中から顔を覗かせたのは、お兄ちゃんだった。
「お兄ちゃん…!」
紗倉は驚きと安心の入り混じった表情で、その姿を見つめる。
お兄ちゃんは一瞬、外の状況を見回してから、低い声で言った。
「大丈夫か?すぐに出るぞ」
紗倉はうなずき、窓を少しだけ開けると、お兄ちゃんが差し伸べた手を力の限り握った。
「でも、どうやって出るの?」
窓に鉄格子がはめられている。
すぐに思い浮かぶのはそのことだった。
お兄ちゃんは静かに笑みを浮かべ、素早く窓枠の上を見上げた。
そして、鉄格子に手をかける。
すると、あっさりと取れた。
「こんなの見掛け倒しなんだよ」
紗倉は兄の観察眼に見惚れた。
「すごい…!」
お兄ちゃんは、気づかぬ間に手を伸ばして窓の外に取り付けたロープを引っ張り上げる。
紗倉は目を見開いた。
お兄ちゃんの手際の良さに驚きつつ、もう少しで逃げられると思うと、気持ちが昂ぶる。
「いいか、急いで降りろ。すまないが、荷物は最小限だけしか持ってけない」
「父親が気づいたら、すぐに逃げられなくなるから」
お兄ちゃんが急かすように言った。
紗倉は少し迷ったが、すぐに窓の枠に手を掛け、外へと身を乗り出した。
お兄ちゃんがしっかりと後ろから支えてくれる。
「怖いけど…」
窓から下を見ると、足が怖気付く。
体力もない関係、足がすくんでいる。
だが、兄はそれを見越して手を握ってくる。
「大丈夫だ。俺が支えてるから、しっかりしろよ」
お兄ちゃんの言葉に力をもらって、紗倉は一歩ずつロープを使って降りていった。
足元が震えるが、これ以上耐えられないことは分かっていた。
自由が目の前にある。
「あと少し…」
お兄ちゃんが支えながら、最後までしっかり降りることができた。
地面に足がつくと、お兄ちゃんはすぐに自分の肩を貸してくれる。
「お前、無事だったな。さきに車に乗っててくれ。キャリーケースとパソコン類を持ってくる」
兄はそう言って、私の部屋に入って行った。
数分後、お兄ちゃんはキャリーケースとパソコンを抱えて窓から降りてきた。
「よし、行くぞ」
お兄ちゃんは私の肩を抱き、車へと急いだ。
エンジン音が静かに鳴る。
夜の闇に紛れながら、私たちは実家を後にした。
バックミラーに映る家を見て、私は小さく呟く。
「……もう、戻らへん」
お兄ちゃんは私の頭を軽く撫でると、前を向いたまま言った。
「当然だろ。もうお前は自由なんだから」
そう言って、兄は運転しながらおにぎりを渡してくる。
「あのメッセージの感じ、飯食わせてもらってなかっただろ」
紗倉は無言でおにぎりを受け取った。
包装を開ける手が震える。空腹すぎて力が入らない。
「……ありがとう」
一言そう言って、紗倉はおにぎりを口に運んだ。
米の甘みと塩の加減がちょうどよく、噛み締めるたびに胃に沁み渡る。
それがたまらなくて、涙がこぼれそうになった。
「食えるうちに食っとけ。体力落ちてんだから」
「……うん」
お兄ちゃんは前を向いたまま、慎重にハンドルを握っている。
深夜の道は静かで、街灯がぼんやりと光っていた。
「このまま、東京に戻るん?」
紗倉がそう尋ねると、お兄ちゃんは少し考えるように間を置いてから答えた。
「ああ。時間かかるから寝とけ」
体はもう限界だった。
脱出するために力を使い果たし、おにぎりを食べたとはいえ、完全に回復したわけではない。
「SAでまた起こすから」
「…うん」
紗倉は助手席で眠りについた。
数時間後、時刻は午前三時。
大架は隣で寝ている妹を起こそうと体を揺らす。
「一旦休憩だ」
妹は眠たそうな目を開けた。
「ん…」
かなり疲労が溜まっていそうだ。
「手貸すから、一旦降りろ」
大架はそう言って車からさきに降りる。
助手席の扉を開けて、妹を下ろす。
「…家に行く前に松葉杖買いに行かなきゃな」
大架はそう言葉を漏らす。
「トイレ大丈夫か?」
「…行きたい」
大架は何も言わずに手を貸す。
そして、トイレ前まで案内した。
「やばかったら叫んで呼んでな」
「…ありがと」
妹はそう言うと、中へと入っていった。
「なんか買うか」
大架は自販機の前に行って、いくつか飲み物を買う。
外で少し待っていると、妹が肩足立で帰ってきた。
「戻るか」
二人は車内に戻り、目的地に向かって進み始めた。
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