Familiar -勝田翔平の物語-【BL】

キオ

第1話 ray 1





 僕の目に映る世界はちょっと皆の目に映る世界とは違うみたい。

 その事に気がついたのは中学三年の夏。

 うんん。

 本当はずっと昔からなんとなく気がついてはいた。


 小さな頃から僕が好きな子はいつも男の子だった。

 ‪‪〇〇ちゃんが好き。

 あの感覚がずっと男の子に向けられていた。

 周りはそれを親愛とか、そういうものだと思ってたし自分でもそうだと思ってた。

 いつかは自分も女の子に恋をする日が来るんだと信じて疑わなかった。





「自分、こんな時間にこんなとこ居ったら襲われんで」

 鈍い痛みが頭をゴンゴンと殴りつけていて、考える事が酷く億劫おっくうに感じる。それでも声を掛けられたんだと気がついて、のろのろと顔を上げた。

 視線の先では見た事もない細身のお兄さんが僕に傘を傾けてくれてた。

 あれ?

 そういえば僕はいつからここに居たんだっけ?

「具合、悪いんか?」

「……すみません」

 僕を気遣ってくれる言葉にどう答えていいかわからなくて、取り敢えず謝った。

 そうだ、夕立だ。

 夕立に追い立てられてシャッターの閉まった店の軒下に転がり込んで、自動販売機に凭れ掛かって止まない雨を膝を抱えて見つめてたらそのまま夜になったらしい。

 風が出てきていたみたいで、気がついたら霧雨だか跳ね返った雨だかで全身びしょ濡れになりながら眠りこけてたらしい。

「すんませんて……あー、アレか。家出少年」

「ハズレ。家無し少年ですわ」

 精一杯笑った。

 つもりだったんだけど、お兄さんを見上げたまま世界がぐるんと回転した。

 ひぃぃいいん……って酷い耳鳴りがして、おでこの真ん中あたりが割れそうな位に痛んだ。


「おぃっ!」


 ガンガンガン…………。


 頭が割れちゃうんじゃないかってくらい痛い。

 何も考えられない。





『翔平、俺はお前をそんな風に育てた覚えはない』



 はっ、と目を開く。

 薄暗い部屋で、目をしばたたかせると少し目が慣れて見慣れない天井が視界に広がった。

 今日起きた事が夢なんじゃないかと錯覚を起こす。

 そんなはずないのに。

「気ぃついたか」

「え……」

 掠れた自分の声に驚いた。

 横たわった体は驚くほど力が入らなくて、頭がぼぅっとする。ざりざりする喉は息をするのが精一杯で、ベッドの横に座ってた声の主が俺を抱え起こして、ペットボトルにストローを挿して水を飲ませてくれた。

「物凄い熱が出とる。朝んなったら病院行くで」

 声が出なかったから、首を横に振って行きたくないって伝える。

 よく見れば彼はさっき僕に傘を差してくれたお兄さんだった。

 どう見ても厄介な訳アリの子供を見捨てられずに拾ってきてしまうなんて、きっとこの人は優しい人なんだ。


 僕が病院は嫌だと首を横に振った事に少しだけ目を眇めて小さく息を吐いた。

「死ぬぞ」

「……それ狙いで」

 別に狙った訳じゃないけど。

 行く場所も、生き場所も、居場所もないから。

 消えてしまいたい。

 お兄さんは真剣な表情で僕を見た。

「死にたいんか」

「……はぃ」

「ほんなら、死なせるわけにはいかへんな」

 熱でぼぅっとした頭で考える。

 何を言ってるんだろう?

 この人と会ったのはついさっきなのに。


「要らん命なら俺にくれ」


 結局その後すぐに意識を失った僕は三日三晩熱に浮かされ、四日目に我に返る。

 僕、勝田かつた翔平しょうへいは、この時に命の恩人四谷よつや千春ちはる君のモノになった。





 事の始まりは本当に些細な事。

 中学二年生の春に、高校受験の為に通ってる個人塾の先生とクラスで行われた顔を知る為とかいう簡単なレクリエーションの罰ゲームでおふざけのキスをした。

 その冗談みたいなキスが開けてはいけない箱を開けてしまった。

 僕の心の中のパンドラの箱。

 先生は男の人だった。


 僕は男の人にしか欲情しない。


 致命的な事に僕は気が付いてしまった。

 気が付いてしまったら、友達が貸してくれたAVもエロ本もただただ気持ちの悪い、グロテスクな物にしか見えなかった理由が解ってしまった。

 年頃になって自身を弄る時に思い浮かべるものは決して異性の淫らな姿ではなかった。


 ポツポツと言葉を零す。

「左様か」

 半分夢を見ているような状態で言の葉を唇から零す僕に、彼は端的に返事をする。

 返事と言っても、僕と距離をとった窓側でタバコを吹かしながら相槌を打つ程度だけど。僕に煙が来ないように気を使いながら、ゆるゆると紫煙を吐く。

 窓を薄く開けていて、そこから吹き込む風がさやさやと無造作に伸ばされた彼の髪を揺らす。

 とても綺麗な男性だと思った。

「で?」

 続きを促されてまた言の葉を紡ぐ。


 最初は些細な綻びだったはずなのに、次第に取り返しがつかない程の大きさになって、とうとう親の知るところとなった。

 隠し切る自信も、貫く度胸も無かった僕は、親に全て話してしまった。

 僕の親なら僕が普通とは違ってても受け入れてくれるんじゃないかって期待をした。

 家族なら、僕を否定しないんじゃないかって。


 甘かった。


 保守的な家族には僕と言う異端をゆるす事は出来なかった。うんん。認めたくなかったって言った方が正しいと思う。

 まずは精神科に引っ張っていかれて、色んなカウンセリングを受けた。カウンセリングを受けたところでどうなるものでもなくて、カウンセラーのお姉さんはとても同情してくれたけど結局はどうともならなかった。

 変な漢方とかそういうのも飲まされたけど、体の不調じゃないし、そもそも不調だなんて自分では思ってないし。

 何をしても無駄だったから、家族は僕の行動や言動に異常なまでに過敏になった。

 なるべく刺激しないようにしながら、そういう事を言わないように気を付けて息を潜めて暮らしてはきたんたけど。

 ある日、ついに限界がきた。

 事ある毎に同性愛の異常性を刷り込むように言われたり、それはおかしい事だと、治せるものだと言われ続けて疲れていたんだと思う。


「そんなに僕はおかしいの?」


 言ってから、しまった!と思ったけどもう遅かった。

 僕が我慢していたように、家族も我慢してたんだ。


 父親は僕のその言葉で何かが切れてしまった。

 みるみるうちに顔色が真っ青になって、そのまま僕に絶縁を言い放った。

 母親は驚いて泣いていたけど、僕を庇ってはくれなかった。可哀想にお姉ちゃんはどうしていいかわからなくておろおろしていた。

 そんな家族を見て、僕は仕方ないなって諦めた。

「わかった。出てく」

 家族に絶望したのかもしれないし、自分自身に絶望したのかもしれない。

 僕を認めてくれない家族に。

 異常を認めろと言って平凡な家庭をぶっ壊した僕自身に。

 僕は絶望したのかもしれなかった。

「保険証ちょうだい」

 身分を証明する物はそれと学生証くらいしかない。

 ありったけのおこづかいと、貯めたお年玉を下ろす為の通帳と印鑑。

 学生証とスポーツバックに入るだけの服。

 これだけを持って家を飛び出した。


 また彼がふぅ……と紫煙を吐く。

「そら、豪気やな」

 自分でも何やってんだって思う。

 中学生に何が出来るわけもないし、僕が知る限り一番遠い繁華街へ行ける切符を買ってこの街へ来た。

 来たはいいけど、やっぱり僕には何も出来なくて。それでも家に蜻蛉返とんぼがえりなんてしたくなくて。どうしようもなくて、いっそ電車にでも飛び込もうかと思ったけど、それも出来なくて。

 途方に暮れていたら雨が降り出して、荷物に傘が入ってなかった僕は雨に追い立てられて蹲って、惨めで、悲しくて、悔しくて。

 傘ひとつ用意出来ない僕が。この先一人でどう生きていいのか全く分からなくて、ただただ膝を抱えるしか無かった。


 このまま消えてしまいたくて。

 けど、死ぬのは怖くて。

 自分からなんてとてもじゃないけど死ねなくて。

 息をするのも億劫で。


「で、あそこ居ったんか」

「はい」

「知らんみたいやけど、あそこは治安最悪や。自分顔も見た目も悪くないから、そういう方向に堕っこちるって可能性もあったぞ」

「そら、まぁ……なったら、なったで。飯が食えるなら」

 どういう方向かは子供で世間知らずの僕にでも想像がつく。

 だから彼はわざわざ僕を拾ってきたんだ。

 彼はやっぱり底抜けにいい人なんだと思う。

「ひとつ聞いてええか?」

 じっと黙って僕の話を聞いていた彼がゆっくりと問いかけた。

 こちらを射抜くように見つめる瞳は真剣で、真っ直ぐで、一切の曇りを排していた。


「自分、今まで誰かと全力で戦った事あるか?」


 戦う?

 首が自然に横に倒れる。彼の言葉の意味がわからない。日本語としての意味はわかるけど、えーっと、わかるんだけど。

 真っ直ぐに僕を射抜く視線は真剣そのもので、冗談ではなさそう。

「スポーツってことぉ?」

 静かに首を横に振られてまた僕は考える。

 戦う?

 そんなのゲームの中くらいかな?

 普通に生活していて戦う事なんてないような気がした。

「譲れないモノを守って、戦った事はあるか?」

「えっ」

 ──ない。

 反射的に首を横に振る。

 そんな事した記憶はない。

 スポーツでだってそんなにむきになった事はない。

「絶対に退けない。退いたらアカンて時が、中坊んなるまで生きてりゃ一回や二回あったはずや」

 僕はまた首を横に振る。

 周りの人達の気分を害してまで主張したい何かを持った事なんかない。

 そんな僕に気がついたらしい彼が、口を真一文字に引き結んでじっと何かを考える。

 それからふぅっと息を吐き出した。

「たったひとつ。誰かを犠牲にしても守らなあかんもんがあると俺は思ってる」

「うん」

 なんだろう?

 誰かを犠牲にしてまで守ろうなんて、考えた事ないなぁ。


「己自身や」


 思わず息を詰めた。

 自分自身?

 僕を見つめる彼は強い眼差しを逸らずにじっと僕を見つめている。

 その髪を強くなった夜風が掻き回す。

「なんで家族に理解しろって言わなかった?」

「そんなん無理でしょ。僕がお姉ちゃんから恋人が女の人って言われたら困るのと同じでしょ?」

「違う」

「えっ……!?」

 何で言いきれるんだろう?

 夜風は彼だけじゃなく、僕の髪と胸の中もめちゃくちゃに掻き回す。

 どうして?

 どうしてそんな風に言うんだろう?


「お前は、何もしてへん」


「でも」

「逃げただけや。ぶつかりもせんで分かってくれへんていじけて逃げただけや」

「そんなんっ!」

「死んでもいいとか軽々しく言うな!」

 一喝されて身が竦んだ。

 我ながら頭が悪いとは感じてた。見通しの甘いガキだってその唇が吐き出す言葉を聞きながら他人事みたく感じてた。

「……身分証明書出せ」

「え?」

「住所分かるやつ」

 親に連絡されるのかなって思いながら差し出した学生証と保険証を眺めてから彼は立ち上がる。

 そのまま部屋を出ていこうとするから、僕はどうしたら良いのか悩んでその細い背中を見つめる。


「お前は俺のモンになったんやから、俺がええって言うまで死ぬ気で生きてもらう」





 この数日後、僕は彼に連れられて東京へ行く事になった。




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