終演ラプソディ

広川朔二

終演ラプソディ

【scene1:最前列の恋】

ライブハウスの最前列。熱気と汗の匂いが入り混じる中、彼女はただ一点、ステージの中央に視線を注いでいた。


——祐也。


マイクを握るその男は、観客一人ひとりを見つめるような視線で歌っていた。美沙はその目が、自分にだけ注がれていると錯覚した。


「ライブ、来てくれてありがとね。目、合ったよな?」


終演後、祐也が話しかけてきたとき、膝が震えた。ほんの数分の会話と、打ち上げの誘い。すべてが夢のようで、美沙は喜んでついて行った。


二人の関係はすぐ始まった。祐也は「君だけは特別」と何度も囁いた。SNSでは非公開アカウントを作り、過激な投稿をした。二人だけの秘密を。一つの画面を頬を寄せ眺めては「表に出せないから、余計に燃えるね」と笑った。


しかし、三か月後。突然、連絡が取れなくなった。電話は着信拒否、メッセージアプリは既読にもならない。ライブを見に行ってもまるでいないものとして扱われた。


その理由を、彼女は数ヶ月後に知る。祐也は新しい「最前列の子」と、新しい関係を築いていたのだ。




【scene2:MVの嘘】

「今度MVを作るんだけど、それに出てくれないかな?君の雰囲気、曲のイメージにぴったりなんだ」


そう言って祐也が声をかけたのは、学業の傍ら読者モデルとして活動する彩香だった。


「えっ、私でいいんですか?」


今は雑誌に数ページ小さく乗るだけだが、いつかはドラマで主演をしたい、そんな夢をもっていた彼女は彼の言葉に胸を高鳴らせた。ライブに招待され、練習スタジオに呼ばれた。音楽には疎い彩香だったが、特別な何かになれたような気がして舞い上がっていた。仮撮影の話をして、衣装の話をした。その時に伸びた祐也の手を受け入れてしまい、気づけば身体の関係になっていた。撮影は来月だということで、彼は何度も彩香の部屋に泊まり、彼女を抱き、眠くなるまで構想だのロケ地だのと語った。


しかし、MVの撮影は一度も始まらなかった。ある日、彼のインスタに別の女性との「制作会議中」と題されたツーショットが投稿されていた。


彼女は初めて知ったのだ。MVなんて最初から存在していなかったことを。




【scene3:消えた結婚指輪】

香澄は、結婚を控えていた。友人に連れられたライブで祐也のことを知った。友人に誘われ打ち上げに参加した。


「もうすぐ結婚するんです」


そう惚気た香澄に祐也は言った。「俺なら、君をもっと幸せにできるよ」と。


酒には強い香澄だったが、気が付けば祐也と一夜を共にしていた。記憶はないが、彼が困惑する香澄に見せたのはベッドの上のあられもない自分の姿を映した画像だった。


「二人だけの秘密だよ」


そう言った祐也に何度も呼びつけられた。そしてある日、香澄の指から婚約指輪が外されていた。必死で探す彼女に対し、シャワーを浴びた祐也は「ああ、君を縛り付ける指輪なんて排水溝に流したよ」と事もなげに言った。


「酷い!警察に通報するわ!」


「したきゃすれば。婚約者にバレるだろうけど」


泣き崩れた香澄。おもちゃに興味を失った子供の用にそれを見下す祐也は無言で部屋を去っていった。


それからは香澄が祐也に呼ばれることはなくなったが、彼女の心には深い傷が残された。


祐也という男は、優しい言葉を道具にして、女性たちの心に踏み込む。

時には強引に自分のものにする。

そして、飽きたら、忘れる。


彼にとって愛とは、ライブの一曲のようなものだった。数分で盛り上がって、終わったら、次へ。


その余韻に縛られるのは、いつも“聴いていた側”だけだった。





それは、ただの偶然だった。


日曜の午後、渋谷のカフェ。混雑した店内で、美沙はひとりコーヒーを飲んでいた。手元には、開きかけの文庫本と、ふとした瞬間に開いてしまったインスタのアカウント——それは祐也のファンが集う、非公式の“応援垢”。


いつかのライブの画像にはステージに熱い視線を送る自分の姿があった。


「げ、祐也だ」


隣の席の女性がそう呟いた。栗色の巻き髪に、鋭い眼差し。スマホを見てしまった罪悪感からか、彼女は美沙に謝罪をした。


「ごめんなさい、つい口に出ちゃって。そういうところ直しなさいってよく言われんですけど…」


「いいの、人から見えるようにスマホを置いていた私も悪いんだし。それにべつにこんなろくでなしのファンじゃないし」


「ろくでなしってことは……。ねぇ、もしかしてあなたも?」


鞄からスマホを取り出した彩香が見せた画像は祐也と彼女のツーショット画像。



「彩香って言います。……あなたも、祐也に?」


頷いたのは、言葉よりも早かった。


そこからは早かった。別の日に再会を約束し、渋谷の小さなバーで酒を酌み交わした。二人の口から飛び出す「祐也語録」は、笑えるほど似通っていた。


「君だけは特別だって言わなかった?」


「言った言った!あと『俺、昔はもっと闇が深かったんだよ』とかも」


「わかる!それも聞いた!」


笑いながらも、胸の奥には冷たいものが残っていた。


「……私、あいつに人生の時間、盗まれたって思ってる」


「同じ。MVに出るなんて、真に受けた私もバカだけどさ」


その夜、二人はひとつの確信に至った。


——被害者は、自分たちだけじゃない。


数日後、美沙がSNS上で「祐也の元カノ・元被害者っぽい人たちを探している」と、匿名のサブアカウントで呼びかけた。


すると、思った以上に返信は早かった。


「それ、私もです」 「音信不通で捨てられました」 「私、既婚者だったのに……」 「バンドのメンバーもグルじゃないかと疑ってます」


その中に、「香澄」という名の女性がいた。落ち着いた文面と、冷静な口調。美沙と彩香は彼女に会うことを決めた。


カフェで初めて顔を合わせた三人は、一様にため息をついた。


「こんなにいるんだね、祐也にやられた人間」


香澄はスマホを操作しながら言った。


「わたし、少し調べたの。祐也って、昔から“ファンを食う”って噂があったらしい」


「サイテー」


「だから、やるなら中途半端じゃダメよ」


香澄の目が光った。


「仕返し、する気ある?」


言葉に重みはあったが、誰も否定しなかった。


「ただ騒いでも“元カノの逆恨み”で片付けられる。でも、冷静に、計画的にやれば、やれることはある」


その日を境に、彼女たちは「祐也被害者の会」として、静かに、確かに動き出した。


次に再会するのは、もう“被害者”じゃない。

“狩る側”としてだった。






打ち合わせ場所は、渋谷の裏路地にある小さなコワーキングスペース。夜になると人気(ひとけ)もなく、周囲の目を気にせず話ができた。


テーブルには、祐也にまつわる情報が並べられていた。メッセージアプリのスクショ、消されたはずのSNS投稿のアーカイブ、バンドの関係者の名前リスト……。


香澄がノートPCを開きながら言った。


「まず、“祐也の弱点”を整理しよう。私が調べた限り、三つある」


女性関係の乱れ

複数の女性と同時に関係を持ち、別れる際は一方的。証拠も多く残っている。


金銭トラブル

借金の噂あり。ライブの売上を前借りしているという情報も、バンドスタッフからの裏取り済み。


業界での評判の悪さ

裏方からは「信用できない」「ドタキャン癖あり」との評価。音楽関係のインフルエンサーにも敵が多い。


「この三点を、一気に“公開”する手段を考える」


彩香が前のめりに尋ねた。


「どうやって?」


「ライブ」


美沙が口を開いた。


「祐也のバンド、来月ワンマンあるよね。チケットもう完売してる。しかも、配信付き」


香澄が頷いた。


「つまり、祐也が“祐也でいられる”最後の場。そこで“全部、剥がす”」


美沙はスマホを取り出し、メッセージアプリの画面をスクロールした。


「いつだったか、既読無視されていたのが一気に既読になったの。ブロックはされてない。“会いたい”って言えば “未練がある”と思ってくれる。近づけるかも」


彩香も頷く。


「私、彼の家の合鍵、まだ持ってる。返してない。あの部屋に、今も何人か出入りしてるなら……記録、取れる」


香澄は少し考えたあと、冷静に言った。


「私は、祐也のバンドが所属してる事務所と、出入りのカメラマンにツテがある。表には出ないけど、祐也の“やらかし”を嫌ってる人間が結構いる。彼らから“証言”を取る」


計画は、静かに進行していった。


一週間後、美沙は祐也と再会を果たした。


祐也は相変わらずだった。軽薄な笑顔と、香水の強い匂い。まるで、別れがなかったかのように自然に話しかけてくる。


「会えて嬉しいよ、美沙。なんか、いい感じに変わったね」


「そっちこそ。なんか……余裕ある?」


「まあ、バンドもいい感じでさ。来月のライブ、来てくれる?そこでメジャーデビューの発表があるんだ」


「……行く」


内心で、静かに毒を含んだ。


(ええ、行くよ。アンタの“ラストライブ”にね)


香澄は裏方から、過去に祐也が未成年のファンと関係を持ったという証言を得ていた。そのファンは当時「口止め料」をもらっていたが、いまは成人しており、SNSの裏垢で心情を吐露していた。


その投稿のスクショが、次の作戦の鍵となった。


そして、彩香は祐也の部屋に監視カメラを一時的に仕込み、彼が別の女性に「ファンなんてさ、金落とすペットだよ」と笑いながら話している動画を手に入れた。


準備は整った。


あとは、決行の日を待つだけ。それぞれの手に、祐也の“虚像”を壊すための火種があった。火は、ステージの上で燃え上がる。それは、彼が最も油断している瞬間に。





四月某日、渋谷・某ライブハウス。


開演前のフロアには、ファンたちの熱気が充満していた。

祐也率いるバンド「クロームグリッド」は、ここ数年で徐々に人気を集め、インディーズながらもチケットは即完売。会場のキャパを超えて、オンライン配信の視聴者数も右肩上がりだった。そしてメジャーデビューの発表がおこなわれると噂されており、注目度は高かった


ステージ裏で祐也は、鏡に向かって前髪を整えながら呟いた。


「やっぱ、俺って絵になるよな……今日も最高にイケてるわ」


スマホには、美沙からの「来たよー、がんばってね?」というメッセージ。それに「楽しみにしてて」とだけ返す。軽いキス絵文字付きで。


(ちょろいよな、ほんと)


だが彼は知らなかった。このメッセージの背後に、何人もの“目撃者”がいたことを。


開演直前。ライブ会場のスクリーンに異変が起きた。


通常なら、開幕前に流れるMVやライブ告知が映るはずのスクリーンに、突如として映像が差し込まれる。


それは、祐也の部屋での盗撮映像だった。


「ファンなんてさ、金落とすペットだよ。ちょろいし、都合いい」


祐也の声。はっきりと。


フロアが静まり返る。悲鳴にも似た声が、前列の女性から漏れた。


そして、次の映像——SNSの画面キャプチャ。


かつて交際していた女性たちの証言、未成年との関係、金銭トラブルのメッセージアプリスクショ、過去の女の子たちが匿名で告発したメッセージが次々と映し出される。


《私は、高校生のときに祐也に言い寄られました》


《ライブで声をかけられ、付き合ったけど、すぐ捨てられました》


《中絶もしたのに、“また作れば?”って言われた》


観客たちは動けなかった。次第に「嘘でしょ」「祐也、まじかよ……」という声があちこちから漏れ始める。


そしてバックステージ。


スタッフが慌ててスクリーンの電源を切ろうとするが、もう遅かった。配信もされていたため、SNSにはすでに切り取られた動画が拡散され始めていた。


ハッシュタグが踊る。


#クロームグリッド

#祐也最低

#ファンを食うバンドマン

#公開処刑ライブ


ライブ配信のチャット欄は荒れに荒れた。ファンだった人々が一斉に背を向けた。


祐也は袖で怒鳴った。


「誰だよこんなの流したの!消せって言ってんだろ!!」


だがスタッフたちは祐也に目を合わせない。ある者はそっとイヤモニを外し、ある者は無言で退出した。


ステージに出ていった祐也は、ブーイングの嵐を浴びた。


その顔は青ざめ、マイクを持つ手が震えていた。


「ちょ……待てって、お前ら、信じてくれよ!」


その叫びは、マイクを通して滑稽に響くだけだった。


その日の夜、祐也のSNSアカウントは鍵がかけられ、公式HPはアクセス不能に。ライブ開始と同時にメジャーデビューを発表した所属事務所は「事実確認中」と発表し、翌日には契約解除が通知された。


数日後、音楽系ゴシップメディアにて、“クロームグリッド”解散の報道。


名前を変えて活動再開を目論むも、元ファンたちの追撃で再起不能となる。


そのすべての始まりは、あの“公開処刑ライブ”だった。


そして、それを裏で操ったのは、かつて祐也の“使い捨て”だった女たち——否、“復讐者”たちだった。





春が深まり、渋谷の街には新しい風が吹いていた。


あの“公開処刑ライブ”から、すでに三ヶ月が経っていた。

クロームグリッドの名前はすっかりネットの海に沈み、祐也もSNSから姿を消した。


美沙はその日、久しぶりに髪を切った。前髪をばっさりと。鏡に映る自分の姿が、どこか他人のように感じられる。


「あの人に“似合わない”って言われた髪型、案外悪くないじゃん」


口に出した瞬間、ふっと笑えた。祐也の声が、もう何の重みも持たない。


彩香は、モデル業から離れ、映像編集のアルバイトを始めていた。今度は架空の話ではなく、“ちゃんと映像化された”ものを扱いたかった。


「表に出てるものが全部じゃないもんね」


そう呟いて、ファイルをリネームする。


帰り道、久しぶりに情報を呼び掛けたあの匿名アカウントを開くと“同士”からのDMがあった。


《あの件で救われました。本当にありがとうございます》


香澄は、いまもあの冷静さを保ちながらも、どこか柔らかくなった。


「“怒り”も“悲しみ”も、“正義”に変えるのは私たち次第」


同じような被害を受けた女性たちを支援する小さなネットコミュニティを立ち上げ、同様の被害に遭った女性たちの相談に乗っていた。


「あなたの話、ちゃんと聞く人がいるよ」


三人は、たまに集まってカフェでお茶をする。


「もうさ、あのバンドの曲、何だったのかって思うよね」


「聴けなくなったってより、むしろ笑える」


「“世界一かっこいい俺”とか言ってたっけ?」


「“世界一ダサい終わり方”だったけどね」


そのテーブルには、もう誰の影もなかった。あるのは、ただ自由と、静かな希望だけ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

終演ラプソディ 広川朔二 @sakuji_h

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ