斎宮、十四の忌詞



 日野はあのときの言葉通り、今も大仏様の頭より固い。


 いや、大仏よりなどという言葉はこの斎宮では使ってはならないのだが。


 斎宮には十四の「忌詞いみことば」というものがあるのだが、そのうちの七つが仏教に関するものなのである。


 経は染紙、仏は中子、寺は瓦葺と言ったように他の言葉に置き換えられている。


 やはり、不吉な匂いを感じさせるものは、この太陽の神殿には相応しくないということだろうか。


 ただ清く正しくあればいい、もうひとつの朝廷。


 そこに居て、ただ潔斎を繰り返していればいいだけの生活に、少女は暇を持て余していた。


「あー、暇暇」

 まだ高欄にぶら下がったまま、そんな繰言を言っていると、


「ま、暇でしょうね」

 最早その件に関しては投げたように日野は言う。


 他で騒ぎを起こされるよりマシだと思っているのかもしれないが。


「昔は、神の神意を映し出す鏡と斎王は寝起きを共にし、磨いたといいますが、神の宮と斎宮がこのように離れてはそういうわけにもいきませんしね」


「じゃあ、持ってきてよ」

「は?」


「持ってきてよ、それ。磨くから」

 日野は溜息をつく。


「どうして、そういつまでもマイペースなんですか。

 少しは斎王様らしく――」


「知らないわよ。

 私がなりたいって言ったんじゃないもん。


 神様の占いで決まったんでしょ。

 この私でいいって。


 だったら、これでもいいんじゃないの?」


 日野が、ふと迷うような顔をした。


「なによ?」


 高欄に寄りかかったまま、身体ごと振り返る。


 日野はこんなことを口にしては不敬かどうか、考えあぐねているようだった。


 はっきり言いなさいよ、と床を叩いて急かす。


「貴方が斎王になられたのは、藤原氏の陰謀だという噂ですが」


 ああ、その話、と少女は庭に視線を移した。


「でも、あの腐っても帝が、二度も卜定ぼくじょうをやらせても、私になったのよ。

 陰謀だけじゃないんじゃない?」


「今上帝はご立派な方です」


「ああ、薀蓄野郎だからね」

と喉の奥で笑う。


「昔からご大層なこと言って、人を煙に巻くのが得意だったわ」

「ご一緒に、お育ちになられたんでしたっけ?」


「そうよ。

 本当はいけなかったんだろうけど。


 私たちはもう中央からは関係ない立場に居たから、おばあさまが好きに育てたのよ。


 二人とも近しい身内を亡くして、おばあさまだけが頼りで、なんの後ろ盾もなかったからね」


「それでも、血筋は確かでいらっしゃいますから」


「この時代、しっかりした後見人なしに何もできないわ。


 既に凋落した一族の人間を朝廷に引き立てる者など居ないと誰もが思っていたことでしょう」


「それもこれも、今上帝の徳の致すところでございます」


 わかってるくせに、と奇麗事を口にする男を諌める。


「単に、関白が自分の孫を次の天皇にしたいけど、生まれたばかりじゃ幾らなんでもっていうんで、白羽の矢が立っただけじゃない。


 血統だけは確かで、何の後ろ盾もなく、数年の内、自分たちの都合のいい時期に退位させても、何の問題も起こらなさそうな中継ぎの天皇としてね」


「斎王様」


「それでいいのよ。

 権力なんかにこだわる必要ないわ。


 下手な動きさえしなければ、退位した天皇として、食うには困らないでしょ」


 それは、今の自分の立場をも表していた。


 今上帝と共に育った女にも、人々の視線は向いた。


 後ろ盾がないだけで、確かな血筋と美貌と教養を兼ね備えた女。


 いっそ、自分の養女にとって、次の帝の元に入内させようかと目論む輩まで出てきたせいで、その反対勢力から、そんなものと関係ない土地にすっ飛ばされてしまったのだ。


「まあ、暇なことと丁重に扱われること以外では、私は此処で満足しているわ。

 どうも、都はざわざわして落ち着かないから」


「そりゃ、いろいろ謀略もありましょうが」


 日野は、彼女が此処で花の時期を無為に過ごしてしまうのをもったいないと思っているような節があった。


 そういう意味じゃないのよ、と少女は高欄に背を預ける。


「あっちは、いろんなものがうろうろしてるから」


 日野が怪訝な顔をしたが、それに答えることはしなかった。


 少女は目を閉じる。


 自分が斎王に選ばれたのはわかる気がする。


 選ぶための儀式をした人間達に間違った思惑があったとしても。


 私には昔から、人ならぬものが見える。


 それは形や姿としてではなく、気配として。


 都はいや。

 ときどき息苦しくて身動きが取れなくなる。


 目を開けると、日野は黙って自分を見ていた。


「まあ、無事に任期を終えられることを願っていますよ」


 少女は扇を手に打ちつけ見返す。


「まるで無事には終えられないような言い方ねえ」


 確かに普段は、多少、斎王としての威厳に欠けているかもしれないが、儀式はちゃんとこなしているし。


 『そんなに』、問題になりそうなこともしていない。


 だが、日野は溜息を洩らした。


「私たちが後で処理できないようなことをしないでくださいと言っているだけです」


 二度と市井をうろつかれませんように、と小声で言う。


 あら、と少女は笑顔で誤魔化す。


「貴方が御汗殿を抜け出しているのは知っています」


 御汗殿――。

 斎宮では血は忌詞に含まれ、汗と呼ぶ。


 つまり、御汗殿とは、斎王が月の障りの間、籠もる場所のことである。


「だって、私本当はあそこにいる必要はないんだもん」


「どういう意味です?」

「人間の女じゃないからかしら?」


 黙って愛想よく見上げる少女に、日野は言葉を詰まらせる。


「ほんとうのように聞こえるからやめてくれませんか?」

 しばらく少女を見つめたあとで、そう言った。


「さて、煩い連中がご機嫌伺いに来る頃だから、おとなしく座ってますかね」


 斎王はそこに居ることに意味があるのだと、あの薀蓄たれが言っていたことを思い出す。


 軽やかに立ち上がる少女に、日野は納得いかないような顔で言った。


「私、貴方ほど、動きの素早い女性は見たことがありません」


 ああ、それは、と少女は白い唐衣を広げて見せる。


「私は大きいからね。

 人ほど裾を引きずらないから、あんまり」


 あんまり装束を重いと思わないのだ。

 まあ、全く重くないわけではないが。


 十二単とは、十二分に着るという意味で、十二枚の衣ではない。

 二十枚近く纏う者も居たという。


 日野はまじまじと少女を見て言う。


「まあ、こんなに間近に女性の顔を見るのも初めてですけど」


 ましてや少女は皇族だ。


 せめて扇で隠しなさい、と日野は言う。


「やだ。面倒くさい」


「……貴方がその面倒くさいと思っていることをひとつひとつこなしていけば、きっと暇じゃなくなりますよ」


 少女は、ほんっとうに口の減らない男ね、とやはり隠すでもなく、反抗のように顔を扇いだ。







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