第6話

 村の外れにある井戸は、完全に雪に埋もれていた。


 場所の記憶はリラに教えてもらった。昔はみんなが水を汲みに集まっていたというこの井戸も、今はすっかり白銀の大地に飲まれ、わずかな凹みがかろうじてその存在を示しているにすぎなかった。


 「……さて、やるか」


 


 スコップ代わりの骨製シャベルを握り、俺は雪を掘り進める。


 周囲は静寂に包まれていた。ときおり風が木々の間を通り抜ける音と、俺の動作に合わせて軋む雪の音だけが響く。


 冷たい汗が額を伝う。息はすぐに白くなり、吐いた瞬間に凍りそうだった。


 それでも、俺は止まらなかった。


 


 井戸が使えれば、水が手に入る。水があれば、何でもできる。飯も炊けるし、凍傷を防ぐ湯も作れる。薬草を煎じることもできる。


 それはつまり、生きるための“柱”だ。


 


 「……あった」


 


 手応えが変わった。木材の感触。井戸の蓋だった。


 手袋越しに雪をはらい、そっと蓋を開ける。


 中は凍っていたが、完全には氷結していなかった。下のほうにはかすかに水の気配がある。


 


 「まだ、生きてる……!」


 


 俺は腰に下げていた小さな火打石を取り出し、用意していた火種を叩く。細く裂いた木の皮に火が移り、小さな炎が生まれる。


 その火を鉄製の棒に移し、井戸の内側へと差し込んで、慎重に氷を溶かしはじめた。


 


 時間はかかった。だが、それだけの価値があった。


 


 ぽちゃん──


 


 水が動いた音がした。


 完全な静寂のなかに響いた、その一滴の音が、まるで命の鼓動のように感じられた。


 


 「……よし、これで一つ、戻ったな」


 


 雪の下で眠っていた村が、また一歩目を覚ます。


 この地が、もう“捨てられた地”ではないことを、自分の手で証明していく──それが、俺のやるべきことだ。


 


 「トゥム……トゥム……水よ、目覚めよ……ホイサー……」


 


 口をついて出たのは、自然と浮かんだ“祈り”のことばだった。


 まるで精霊に対してじゃなく、水そのものに語りかけるような、やわらかな響き。


 たぶん、これも“オイナ”なんだろう。


 声に出した瞬間、水面がほんのわずかに波打った気がした。


 


 そのとき。


 


 「──おおい、とうがー!」


 


 リラの声が響いた。振り返ると、遠くの雪道を走ってくる小さな姿が見える。


 息を切らしながら、必死にこっちへ向かってくる。


 


 「どうした!?」


 「ちょっと……こっち来て……すごいの……!」


 


 顔は真っ赤に上気していて、息も荒い。だが、目だけはきらきらと輝いていた。


 「雪の下の、鍛冶場……まだ使える! 火床の石が割れてなくて、灰も残ってるの! それに──銅のナイフも、錆びてなかった!」


 


 「マジか……!」


 


 鍛冶場が無事なら、道具を修復できる。新しい武器や器具を作ることも、村の再建を早めることもできる。


 それは、村にとっての“牙”であり“爪”だ。


 生きるだけじゃない。“闘う”力を、取り戻せる。


 


 「……よし。じゃあ、今日からはふたりで分担だな」


 「うん!」


 「お前が鍛冶場。俺が井戸と道具。目標は三日以内に、食えるものを作る」


 「了解!」


 


 リラが笑った。


 俺も、自然と笑みがこぼれる。


 あの地獄のような王都を追われて、こんな場所で、誰かとこんな風に笑う日が来るなんて思わなかった。


 


 ──でも、来たんだ。


 


 この村に、また春が来る日が。

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