第29話

 ナコン・パトム砦に平穏が戻ると同時に、地脈の瘴気も沈静化し始めた。

 砦周辺の土は次第に黒から褐色へと戻り、空には渡り鳥たちの影が舞い始める。

 地鳴りのような静寂が引き、代わりに風が木々を撫でる音が聞こえるようになった。


 その変化は、精霊たちが再びこの地を“受け入れた”証だった。


 俺は塔の下に設けられた仮設の祈祷台に立ち、亡くなった兵たちの魂に向けて最後の祈りを捧げた。

 祭壇の火皿には八つの加護を象徴する供物が供えられ、金獅子隊の兵たちが沈黙の中、整然と膝をついて見守る。


 ターニンもまた、無言で地に片膝をつき、帽子を胸に当てて祈っていた。


 「……汝らの命、無駄にせず。汝らの意志、風に乗せて。

 火よ、その名を覚えよ。水よ、その痛みを流せ。

 風よ、その声を運べ。地よ、その眠りを守れ。

 雷よ、忘却を砕け。幻よ、真実を映せ。

 光よ、歩む道を照らせ。闇よ、終わりを包め――」


 祈りの終わりとともに、風が大きく吹いた。


 その風は、兵たちが遺していったすべてをそっと撫で、空へと運んでいくようだった。


 俺はその場にしばらく佇み、そして振り返る。


 「この地はもう、大丈夫だ」


 ターニンは深く息を吐き、立ち上がった。


 「お前のやり方は……俺には真似できねぇ。だが、否定もしない。いや、しちゃいけねぇって気がした」


 「俺のやり方じゃない。精霊たちと、そして皆と繋いできた力だ。俺ひとりじゃ、きっと届かなかった」


 そう言って笑うと、ターニンは肩をすくめながら小さく笑った。


 「導師ってのも、大変だな。だがまあ、悪くない」


 砦の上空に広がる空はすっかり澄み、遠く王都の方角に、陽の光が帯のように伸びていた。


 「王都へ戻るか。報告を済ませて、新たな道を拓かねぇとな」


 「そうだな。だが――」


 そのとき、俺の中で、幻の加護が再びざわめいた。

 見えざるものが、何かを訴えている。

 視えない未来に、わずかな陰が差している。


 俺はその気配に耳を澄ませる。


 誰かの声が、かすかに聞こえた気がした。


 ――“東の海に、目を向けよ”。


 幻の精霊が語るのは、過去や幻想だけではない。

 未来の兆しもまた、その揺らぎの中に現れる。


 「……ターニン、東へ向かう準備もしておいてくれ」


 「東? おい、帰還の途中だぞ?」


 「近いうちに、何かが起こる気がする」


 その言葉に、ターニンは片眉を上げ、すぐに頷いた。


 「わかった。俺も、あんたの勘は信じることにした」


 新たな気配は、まだ遠い。


 だが、確かに“物語”は次の幕を上げようとしていた。


 それは、アスラの終焉から始まる新たな世界の序章。

 精霊たちが導く、新たなる時代の鼓動だった。

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