第14話

 風の加護が宿った瞬間、俺の意識は不思議な感覚に包まれた。


 重力が一瞬、消えたような浮遊感。

 地と空の境界が曖昧になるような感覚。

 風は、形なく、掴めず、けれど確かに“ここにある”。


 試すように、そっと手を伸ばした。

 指先に力を込めると、微かな風の流れが生まれ、舞台の上を舞う落ち葉がふわりと宙に浮いた。


 「……これが、風の力」


 加護を得たというより、“共にある”という感覚のほうが強い。

 命の呼吸と共に流れる風。俺の一部となった、精霊の気配。


 老女が近づき、柔らかく笑んだ。


 「よくぞ流れに身を委ねられました。あなたは、風に愛された者」


 俺は鈴を手渡し返し、深く一礼した。


 「ありがとうございます。必ず、この力を生かします」


 老女は微笑んだまま、目を細めて言った。


 「風は導きの精霊でもあります。この先、あなたが道に迷ったとき、必ず風が答えてくれるでしょう。聞こえない声に、耳を澄ませてください」


 その言葉は、呪文のように胸に刻まれた。


 こうして、三つ目の加護を得た俺は、次なる目的地――“石の渓谷”へと歩を進める。


 それは、大地の精霊が眠ると言われる土地。

 風とは正反対、動かぬもの、揺るがぬものの象徴。


 力の性質も試練の形も、また異なるものになるだろう。


 けれど、俺の中ではすでに決意は固まっていた。


 火、水、風――すべてが俺の歩みを肯定してくれた。

 ならばこの先も、俺は進める。


 “選ばれた”という事実にすがるのではなく、自ら選び、歩くために。


 旅は続く。

 力を集め、己を鍛え、そして、待ち受ける王都の“選定”に挑むために――


 俺はチャンタルンの村を後にした。



 チャンタルンを発った翌日から、地形は次第に険しさを増していった。


 草原は岩混じりの斜面へと変わり、森の木々もまばらになっていく。

 足元にはごつごつとした石が転がり、空には切り立った岩壁がそびえていた。


 この先にあるのが、“石の渓谷”。

 地図には『大地の眠る谷』という古い名前で記されていた。


 風が止み、空気が重たくなる。


 それは、風や水の精霊が生きていた場と違い、あまりにも静かで、まるで時すら止まっているような場所だった。


 俺はひとつ深呼吸をして、岩場を登る。


 足を取られぬよう慎重に、しかし迷いなく進む。

 火、水、風の加護があるとはいえ、過信は禁物だ。


 やがて、渓谷の奥に、奇妙な石柱が並ぶ空間が現れた。


 自然にできたものとは思えない、それぞれが精密に積み上げられた石の塔。

 周囲の岩には、精霊文字のような文様が彫られていた。


 「ここか……試練の地は」


 その場に立った瞬間、大地がわずかに震えた。

 次の瞬間、地の底から低いうねりのような音が響いてくる。


 石の塔が震え、土が舞い上がる。


 そして、渓谷の最奥――巨大な石像がゆっくりと目を開けた。


 その姿はまさに“巨人”。


 石と岩で構成された身体、足元に根を張るような重厚さ。

 だが、その眼差しは確かに、生きていた。


 「汝、地を踏む者よ。汝が求むは何ぞ」


 響いた声は、岩をも砕くほどの重みを持っていた。


 「俺はナラヤン・ラーチャ。神獣ナーガの契約者。大地の力を得るため、ここへ来た」


 言葉を発した瞬間、大地が強く揺れた。

 巨人の目が淡く輝き、石の塔がひとつ、崩れた。


 「……力を求める者に問う。汝、自らの“信念”を持つか」


 “信念”。

 それは力でも技でもなく、“在り方”を問う言葉だった。


 「ある」


 俺は即答した。


 「俺は、神々に選ばれたことを誇らず、自ら選んでここに立っている。誰かの力じゃない。これは……俺の意志だ」


 石像の目が、少し細められる。


 「ならば、見せよ。地に立つ者としての、揺るがぬ歩みを」


 その瞬間、地面が隆起し、試練の舞台が現れた。

 目の前に広がるのは、跳ね橋のような岩の道。左右は深く切り立った谷。


 一歩でも踏み外せば、命はない。


 「渡れ。恐れず、揺らがず、確かなる一歩で」


 試練が始まる。

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