第13話
ルーイ湖を後にしてから三日、道は次第に緑から黄へと変わっていった。
南東へ進むほどに、木々の密度は減り、やがて広がる丘陵と草原地帯へと移り変わる。
ここは“風の道”と呼ばれる地域。古来より、風の精霊が好んで通うとされる場所だ。
空は高く、雲は軽やかに流れていた。
草原を渡る風が、俺の髪を揺らし、肩にかかる霊布をはためかせる。
不思議と、身体が軽く感じた。
(これが……風の気配か)
火は力強く、水は柔らかい。
では、風は――“自由”。
その存在はどこにも定まらず、だが確実に存在する。
掴めないが、確かに感じられる気配。
その日の夕暮れ、遠くに小さな村が見えた。
「……あれが、チャンタルンか」
丘の上に点在する藁葺き屋根の集落。
周囲には風車や布干しの柱が立ち並び、風との共生が色濃く感じられる。
村に入ると、まず出迎えてくれたのは風鈴の音だった。
あらゆる家の軒先に下がる風鈴が、絶えず澄んだ音を鳴らしていた。
それは村の“守り”であり、“呼び声”でもあるという。
「いらっしゃいませ、旅の方。風に導かれてきましたね」
声をかけてきたのは、背の曲がった老女だった。
白髪を高く結い、青の布衣を纏ったその姿は、どこか風そのもののような柔らかさを纏っていた。
「……はい、俺はナラヤン・ラーチャ。神獣ナーガの契約者として、精霊の試練を巡っています。ここに風の気配を感じて……」
老女は、目を細めて俺を見つめた。
「見える。火と水の加護……若き選ばれし者よ。風の精霊は、この地の祠に眠っています。けれど、風は気まぐれなもの……力を得たいのならば、まず“流れ”を受け入れる心を持たねばなりません」
“流れを受け入れる”。
それは、水ともまた異なる意味を持つ言葉だと、すぐに理解できた。
「試練を受けさせてください」
俺が頭を下げると、老女はうなずき、小さな鈴を手にした。
「ならば、風の試練を開きましょう。――風舞の儀を、始める時です」
老女に導かれ、俺は村の外れにある丘へ向かった。
そこには、石造りの円形舞台があり、中央に一本の石柱が立っていた。
柱の上には羽根のついた金属輪が据えられ、風が吹くたびにカラカラと回転していた。
「ここが……風舞の祠……」
俺が呟くと、老女はそっと頷いた。
「風の精霊は、形を持ちません。試すのは、力でも技でもない。あなたが“流れ”をどう捉え、どう委ねるか。それが全てです」
老女が持っていた鈴を、そっと俺に手渡す。
「舞いなさい。風と一つになるために」
俺は鈴を握り、舞台の中央に立った。
どこか不思議な緊張感があったが、同時に妙な心地よさもあった。
風が、吹いていた。
丘を渡り、舞台を巡り、俺の身体を撫でていく。
その風に、ただ身を任せる。
右へ、左へ。
足を動かし、手を伸ばし、風の流れを感じるままに身体を預ける。
音は、鈴の音だけ。
カラン……カラン……と、透明な音色が空に溶けていく。
風の精霊は、常に在りながら、その姿を見せない。
求めれば逃げ、追えば逸れる。
けれど、心を開き、ただ“在る”ことを受け入れたとき――
風は、応える。
――その瞬間、空気が変わった。
空から一陣の風が降り、舞台を包み込む。
その風は、俺の舞に寄り添うように流れ、旋律を作り出した。
まるで、風そのものが踊っているかのようだった。
鈴の音は風に乗り、どこまでも広がっていく。
そして――
風の中心から、柔らかな光が生まれた。
それは羽根の形をした淡い光で、くるくると舞いながら俺の周囲を巡り、やがて胸の文様の上に降りてきた。
その瞬間、第三の加護――“風の力”が宿った。
俺の中で、炎が燃え、水が流れ、風が舞う。
三つの力が、交差し、響き合い、ひとつの和音を成した。
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