文化祭準備における共同作業の危険性と殺害計画の改訂

文化祭を数日後に控えた放課後。教室は、普段の授業風景とは打って変わって、ダンボールや色画用紙、ペンキの匂いが混じり合う、一種独特な熱気に包まれていました。わたし、橘恋春は、わたしたちのクラスの出し物である『戦慄迷宮~呪われし科学室~』の装飾チーフとして、事前に作成した完璧な工程表と配置図に基づき、寸分の狂いもなく作業を進めるべく、鋭い視線を周囲に配っていました。


「そこの骨格標本模型の角度、あと3度左です! 配置図との誤差は許容できません!」

「壁の血糊ペイント、粘性が足りません! もっとリアルな質感を追求してください!」


わたしの指示は常に的確かつ論理的。この完璧な計画があれば、我がクラスの出し物は、文化祭グランプリ獲得間違いなし……のはずでした。


「おーっす、恋春チーフ! なんか手伝うことあるー?」


その完璧な計画に、最も不要かつ予測不能なノイズが、軽いノリで割り込んできました。振り返ると、案の定、早瀬蓮くんが、ペンキで汚れたジャージ姿(しかし、なぜかそれが様になっているのが腹立たしい!)で、ひらひらと手を振っています。


(なっ……!? なぜあなたがここに!? たしか、あなたは隣のクラスのカフェの手伝いに行っていたはずでは……!? しかも、その馴れ馴れしい呼び方! わ、わたしの名前をそんな軽々しく呼ばないでください! 集中力が削がれます!)


ドクン、と心臓が不穏なリズムを刻みます。彼の介入は、計画における最大のリスク要因。


「早瀬くん。隣のクラスのカフェの手伝いはどうしたのですか? こちらの『戦慄迷宮』は、わたしの完璧な指揮系統の下、順調に進行しています。あなたの助けは不要です。速やかに持ち場へお戻りください」


わたしは努めて冷静に、組織のリーダーとしての威厳(?)を保ちながら指示を出しました。聞くところによると、彼はそのカフェでウェイター役をやるのだとか。あの飄々とした彼が、どんな接客をするというのでしょう……いえ、考えるだけ無駄です!


「えー、そう言わずにさ。カフェの方はちょっと人手が足りてるみたいだから、応援に来たんだよ。こっちの方が面白そうだし。ほら、そこの壁の『呪いの紋章』、俺が描いてやろうか? こういう細かいの、意外と得意なんだぜ?」


彼は悪びれもなく、わたしが最もこだわっている、複雑なデザインの『呪いの紋章』の設計図を指さしました。それは、古代文字と幾何学模様を組み合わせた、素人には到底描けないはずの、わたしの知性と芸術的センス(!)の結晶なのです。


(な、なんですって!? あなたが、この神聖なる紋章を!? まるで落書きでもするかのような口ぶりで……! 無理に決まっています! あなたのような俗物に、この紋章の持つ深遠な意味と芸術性が理解できるはずが……!)


「け、結構です! この紋章は、わたしが自ら描きます! あなたの手を煩わせるまでもありません!」

「まあまあ、そう言わずに。恋春チーフが一人で全部やったら大変だろ? ちょっと見せてみろって」


彼は、わたしの返事も待たず、ひょいと設計図を取り上げると、近くにあったマジックペンを手に取り、壁に向かってスルスルと描き始めました。


(なっ……!? ああっ! やめなさい! わたしの完璧な壁に……!)


わたしが悲鳴を上げる間もなく、彼は驚くべきスピードと正確さで、複雑な紋章を描き上げていきます。その線は迷いがなく、バランスも完璧。しかも、設計図にはない、微細なアレンジが加えられており、それが紋章に、より不気味で神秘的な雰囲気を与えているではありませんか!


(うそ……でしょう!? こ、こんな……短時間で、しかも、わたしのイメージを……超えている……!? なぜ!? あなたに、こんな才能が……!?)


わたしは言葉を失い、ただただ彼の描いた紋章に見入ってしまいました。彼の意外な(そして、認めざるを得ないほど素晴らしい)才能に、心臓がドクン、ドクンと大きく波打ちます。計画外の出来事、そして彼の新たな一面に、脳が処理能力の限界を超えそうです。


「ほら、どうよ? なかなかの出来だろ?」


描き終えた早瀬くんが、得意げな顔で振り返りました。額にはうっすらと汗が浮かんでいます。


(ぐっ……! く、悔しいですが……完璧、です……! わたしのイメージ以上に……!)

「……まあ、悪くは、ありませんね。……次からは、勝手に作業を進めないでください」


わたしは、内心の動揺と、わずかな敗北感(!?)を必死に押し殺し、なんとかそれだけ言うのが精一杯でした。完璧主義者のプライドが、素直な賞賛を許しません。


「へえ、素直じゃないねえ、チーフは。まあ、いいや。じゃあ、次はこっちの『蠢く肉塊』オブジェの色塗りでも手伝うかな。恋春ちゃん、そこの赤いペンキ取ってくれる?」


彼はわたしの反応を面白がるように笑うと、次の作業に移ろうとします。そして、わたしが持っていたペンキ缶を受け取ろうとした瞬間――


ベチャッ。


彼の伸ばした手が、わたしの頬に、ほんの少し、赤いペンキをつけてしまったのです。


「おっと、ごめん! 大丈夫か、恋春ちゃん?」


早瀬くんが慌てたように声を上げ、反射的に、そのペンキのついた指で、わたしの頬を拭おうとしました。


(ひゃっ……!? ち、近い……! ほ、頬に……指が……!? しかも、ペンキ……!?)


彼の指の感触と、間近で見る心配そうな顔(しかし目は笑っている気がします!)に、全身の血液が顔に集中するのを感じました。心臓は暴走し、呼吸が止まりそうです。


「だ、大丈夫じゃありません! 不潔です! わたしの顔に、そのような得体の知れない液体を……! しかも、その汚れた手で触らないでください!」


わたしはパニックになりながら、彼の腕を振り払いました。


「はは、ごめんごめん。でもさ、なんか、血みたいで、ちょっとセクシーじゃない?」彼は悪びれもなく、そんなことを言い放ちました。「この『戦慄迷宮』の雰囲気にも合ってるし。いっそ、そのままにしとく? なんだか、ドキドキするし」


セ、セクシーですって!? ドキドキする!? わ、わたしを見て!? ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!


「〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっっっっ!!!!!!」


声にならない絶叫が、文化祭準備の喧騒の中で爆発寸前です!


「こ、こ、こ、殺しますよっっっっっ!!!!!!!! あなたのその! 計画妨害行為と! 不必要な才能の誇示と! 許しがたい身体的接触と! そのセクハラ紛いの不敬発言は!!! 万死、いえ、億死、いえ、兆死、いえ、京死、もはや阿僧祇死あそうぎしを超え、銀河系全ての原子の数に匹敵する死に値します!!! 今すぐそのふざけた口を閉じなさい! さもなくば、この! この『呪いの骨』のハリボテで!!! あなたのその! 不埒な思考回路が詰まった頭蓋骨を! 再起不能になるまで粉々に打ち砕いて、迷宮の新たなオブジェとして永久展示して差し上げますよっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!」


涙目で、全身をわなわなと震わせながら、わたしは近くにあった、小道具の巨大な骨のハリボテ(意外と軽いですが!)を掴み、彼に振りかざしました! 周囲で作業していたクラスメイトたちが、ぎょっとしてこちらを見ています。


早瀬くんは、一瞬「銀河系の原子!?」と目を丸くしましたが、すぐにいつもの、あの面白そうな、そして少し呆れたような笑みを浮かべました。


「おー、ついに銀河スケールまでインフレか。ハリボテの骨で撲殺とは、なかなかシュールでいいねえ。僕がオブジェになったら、毎日恋春ちゃんが見に来てくれるのかな? それなら、悪くないかも」


(ま、毎日!? わたしが!? あなたのオブジェ(!)を!? そ、そんな……まるで……!)


彼の言葉は、またしてもわたしの脳内に、彼(のオブジェ)の前で、なぜか頬を染めて佇んでいる自分の姿を映し出しました! 断じてありえません!


「それにさ、」早瀬くんは続けました。「そんな物騒なこと言ってないで、文化祭、一緒に回らない? この迷宮も、二人で入ったら、もっと怖いかもよ?」


い、一緒に回るですって!? 二人で!? この『戦慄迷宮』に!? ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!

彼のその言葉は、もはやわたしの最後の理性の砦を木っ端微塵に吹き飛ばしました!


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!」


「こ、こ、こ、こ、殺しますよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!! あなたのその! 文化祭に浮かれた不埒な提案と! わたしをオブジェの監視人(!?)にしようとする悪質な企みと! その存在自体がホラー現象であるその全てが!!! 宇宙の終焉、ビッグリップ級の不可説不可説転死ふかせつふかせつてんしに値します!!! 今すぐこの教室から、いえ、この銀河系から消え去りなさい! さもなくば、わたしが! このハリボテの骨で! あなたを文字通り、塵になるまで叩きのめして差し上げます!!!!!!」


わたしは完全に我を忘れ、ハリボテの骨を振り回さんばかりの勢いで絶叫していました!


「おーい、二人とも、何やってんだー? 痴話喧嘩なら他所でやってくれよー!」


ちょうどその時、クラス委員長が呆れた声で割って入ってきました。周囲のクラスメイトたちも、やれやれといった顔でこちらを見ています。


「……っ!」


わたしは唇を強く噛み締めます。しまった、またしてもこの失態を……! しかも、痴話喧嘩ですって!? 断じて違います!


「というわけで」


早瀬くんは、ニヤリと笑って、わたしの手からそっとハリボテの骨を取り上げました。


「本日の『ハリボテ撲殺・オブジェ化計画』及び『文化祭デートのお誘い』は、残念ながら野次馬が来たので、一旦保留、ということで。……でも、一緒に回る話、本気だからな?」


彼は悪びれもなくウインクすると、「じゃ、俺そろそろカフェの方(お隣だけど)戻るわー」と言って、教室を出ていきました。


「なっ……!!!」


もう、言葉も出ません。沸騰した頭と真っ赤な顔のまま、頬に残るペンキの感触(!)と、「一緒に回る話、本気だからな?」という破壊的な言葉の余韻に打ちのめされ、わたしはハリボテの骨を持っていた手を見つめて硬直していました。クラス委員長の「橘さん、大丈夫……?」という心配そうな声で、ようやく我に返ったのです。


(ああああああああもう!!! この方は!!! いったいなんなのです!!! 人の計画を乱し、勝手に作業し、妙な才能を見せつけ、不潔な接触をし、セクハラ発言をし、挙句の果てには文化祭デート(!?)に誘ってくる!!! 絶対に許しません……! いつか、いつか必ず、この借りは……あなたのカフェで、一番高いメニューを注文して、一口も飲まずに帰ってやることでお返しします!!!)


結局、その日の文化祭準備は、内心の超弩級の嵐とは裏腹に、完璧なチーフとしての仮面を被り続け、なんとか予定通りに進めました。これも全て、早瀬くんのせいなのです。彼のせいで、わたしの心臓は危険なほど高鳴り、思考は彼の言葉と行動で完全に飽和し、完璧で冷静沈着な指揮官・橘恋春は見る影もなかったのですから。


全ての作業が終わり、誰もいなくなった教室で、わたしは一人、椅子に崩れ落ちました。そして、鞄から例のノートを取り出します。『早瀬くんを殺したい99の理由』。もはや、わたしの存在証明。


深呼吸を一つ。今日の屈辱と混乱と、そして不覚にも感じてしまった、彼の意外な才能への感嘆(!)と、頬に触れられた瞬間の衝撃と、「一緒に回る」という言葉への、ありえないはずの期待(!?)を記録しなければなりません。新たな「理由」として。わたしは震える手でペンを握りしめ、#49とナンバリングし、今日の出来事を客観的に、そして極めて論理的に記述しようとしました。


理由#49:文化祭準備という共同作業において、計画性を無視し、わたしの担当領域を侵犯。さらに、不必要な才能の誇示、身体的接触及び不適切な発言(セクハラ・デートの誘い、「ドキドキする」発言による心理的動揺誘発)により、わたしの精神的平穏と作業効率を著しく阻害した罪。


……違う。これでは、単なる彼の問題行動リストです。もっと本質的な、わたしの完璧な計画と世界観を揺るがし、あろうことか彼との共同作業や個人的なイベント(文化祭)に期待を抱かせてしまう、彼の恐るべき影響力について記さなければ。わたしは書いた文章を、もはや諦めにも似た溜息と共にぐしゃぐしゃと線で消し、改めてペンを走らせました。


理由#49:彼が、文化祭準備という特殊な状況下で、わたしの予測と管理能力を超える才能を発揮し、共同作業を強要。さらに身体的接触と『一緒に回る』という提案、及び「ドキドキする」という直接的な言葉によって、わたしの脳内に、彼と二人で文化祭を楽しむという、論理的にありえず、かつ極めて危険な妄想を植え付けた。特に、彼がウェイターを務めるカフェで、あの軽薄な笑顔で他の女子に接客する姿を想像すると、理由は不明ながら強い不快感を覚え、さらに彼がもしわたしに対して特別な(!)接客などしようものなら、心臓が停止する危険性すらある。このままでは、文化祭当日、彼の姿を探し求め、あろうことか自ら声をかけてしまう(!?)という、自己の行動原理に反する致命的な行動を取りかねない。その致命的な自己矛盾と計画性の崩壊を回避し、わたしの完璧な文化祭計画(一人で効率的に見て回る)を守るための、緊急かつ絶対的な殺害動機。


……ふぅ。これで、よし。今日の出来事の本質と、それがもたらす、もはや自己制御能力の喪失に関わる重大な危機を、極めて冷静かつ客観的に記録できたはずです。わたしはノートをパタンと閉じ、鞄にしまいました。これでまた一つ、彼をこの世界から(わたしの心を惑わす文化祭の喧騒から)排除すべき、明確かつ正当で、そして極めて論理的な理由が積み重なったのです。


わたしは、窓の外に広がる夕焼け空を眺めました。教室に残るペンキの匂いが、なぜか彼の気配のように感じられて、胸のドキドキは、放課後の静けさの中に、まだ大きく響いています。


(まったく、本当に厄介で、危険で、そして……多才なのが腹立たしい人です。「一緒に回る話、本気だからな?」だなんて……)


彼の、あの悪戯っぽい笑顔と、少し真剣みを帯びた声が、脳裏に焼き付いて離れません。


(……早瀬くん。あなたのその、人を食ったような態度も、無神経な言葉も、意外な才能も、強引な誘いも、全部全部、腹立たしいのです! だから、また一つ、あなたを殺さなければならない、極めて論理的で正当な理由が増えてしまいました! ……それなのに! それなのにどうして! わたしは、文化祭当日、あなたのクラスのカフェを……いえ、あなたがいるカフェを、ほんの少しだけ……ほんの少しだけ……覗いてみようかと考えてしまっているのでしょうか! もし、わたしにだけ特別な笑顔で『ご注文はお決まりですか、お姫様?』なんて言われたら……! ああもう! ばかぁーーーーーっ!!!)


結局、わたしは今日も彼に振り回され、心を滅茶苦茶にされ、そして……どうしようもなく、彼の意外な才能に感心し、強引な誘いに困惑し、そして「一緒に回る」という言葉と、彼がウェイターをするカフェのことに、ほんの僅かだけ……ほんの僅かだけ……特別な期待を抱いてしまった自分に、気づかないフリをするしかありませんでした。……文化祭のルート、大幅な修正が必要かもしれません。いえ、別に、彼のカフェに最適な時間帯に立ち寄るためでは、断じて、断じて、ありません!

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