第1話 前年比113%
「なんでこうなるんだ?」
農産物出荷販売量、前年比113%。喜ばしい数字だ。
だが…変な直感が働いて、月次レポートを丹念に読み返していた瀬又 朔(せまた・さく)の手が止まった。
「稼働日ゼロ…?」
FUサラサの『営農購買・販売レポート』には、明確に“集荷場稼働日数:0”とある。にもかかわらず、出荷販売売上高は金融保険を含む、他の事業を大きく上回る伸びを示していた。
脳裏に、ひとつの言葉がよぎる。
—粉飾。―
大和農民組合統括会(大和FUO)は県内各地15の単位農組(のうくみ)を県下ひとつに統合して運営する1県1農組構想を推し進めていた。
15の農組=Farmers Union(略称FU)は県内に本所15、支所276、物流や購買、直売所、出張所などの関係施設96を有する。
マップで「FU」または「農組」と検索すれば、県の地図は真っ赤なポインターで蜂の巣にされる。
統括会が推し進める広域合併構想では、本所ひとつ、支所30、関係施設17に再編し、重複機能、重複エリアを効率化し、徹底的なコスト削減を掲げる。
また、現在15の本所でバラバラに行われている採用活動、内部監査、決算事務など、総務部門や内部監査部門に関する機能統合によって人件費や労力を大幅に削減、利益を確保して組合員への還元や、農業現場・支所を優先した人員の再配置、さらには福利厚生の充実によって優秀な人材を確保しようという構想である。
統括会の権藤悟会長は、農民組合長15名が一同に会する会議室で力強く宣言した。
「反対なし、翌年度末を期日とし、広域合併を可決いたします!」
実現すればエリア、事業ボリューム、職員数、組合員数、すべてにおいて日本最大規模の農民組合の誕生。
全国的にも注目を集める広域合併が、ものの15分で質問も反対意見もなく通ってしまった。
「じいさんたち、合併の意味分かってんのかね」
朔は拍子抜けした思いで、会議室のテーブルを片付けながらスマホを器用に操作している。
出向組の宮司(ぐうじ)係長が注意してきた。「おい!スマホ見てないで、さっさと片付けて飲みに行こう!」
郊外の市場(いちば)兼直売所「おやさい広場」との蜜月。
肥料や農薬など生産資材の配送トラブル。
匿名SNS「ペルソナボックス」には、FUサラサに関する噂が定期的に投稿される。
>注文してない肥料がまた倉庫に置かれてた。そして、勝手に営農口座から落とされてた。まじありえん。
> 出荷したキュウリ、組合が5年かけて作ったブランドなのに、隣県のスーパーで安値で売られてた。
その日の夜、瀬又は行きつけの居酒屋「八重」で宮司係長と酒を酌み交わした。
「そら、何かやってるな」
焼酎をなみなみと注ぎながら、宮司が眉をひそめる。
「サラサといえば、あの花輪(はなわ)営農常務か。瀬又くんが監査部時代にやった件を、今でも根に持ってるらしいよ」
瀬又は笑って返す。
「根に持たれるようなこと、やってないですけどね。監査手続きに従って調査したら不備が検出されただけです」
「言うねぇ。でも、そこが君の良いとこだな。俺は好きだよ。俺はね。あの件で営農常務さまは謹慎と減俸食らって、なんとか、係長だっけ。常務の犬、スーパーイエスマンも瀬又くんに怒り心頭」
朔は嫌な名前と嫌な顔を思い出し心底嫌そうな顔で言った。「土谷係長でしょ。自分の出世を担保する人が謹慎くらったんで相当焦ってたらしいっすね」
「おっ!ティラミスだね。私を引っ張り上げて」
「なんですかそれ」朔は、もう酔ったのかと怪訝な顔を向けた。
「お、なんでも知ってる瀬又くんも知らんのか?ティラミスはイタリア語で”私を引っ張り上げて”って意味なんよ」
―なんでも知ってる瀬又くん―
単位FU「なみかぜ」から出向してきた宮司係長は、席が隣。
現場仕事とは全く勝手が異なる統括会の業務について、何かにつけて質問してきた。しかし、瀬又朔はほとんど何も調べず、すべてに回答し、数字もわずかな誤差に収める抜群の記憶力を披露したため「歩くAI」と宮司にからかわれるようになった。
朔は、監査部時代に単位FUが行う事業の監査を全て担当し、業務フローや事務手続き、会計処理に至るまで一通りの知識は身に着けている。
組織変革部では、合併処理に関する業務調整、会計事務調整など、天職と言っていいほどの力を発揮していた。
「さすがにイタリア語までは。インプットしておきま~す」
朔は笑って、ビールを飲み干した。
翌日、組織改革部の会議室。
阿武(あんの)部長が声を張る。
「合併して支所が減れば、現場の声は届かなくなる! 組合員第一を忘れちゃいけない!」
冷静な口調で応じたのは高崎次長だ。
「支所が多いことで、無駄が生まれているのも事実です。支所には法定必要人数を配置しなければいけない。本所や施設の機能を維持するための人を減らして、その人員を現場に配置していけば、結果的に組合員の利益になります」
部長は施設再編によって行き場を失った人材がリストラされると思っている。
次長が作成した資料には≪そんなことしません。急な人員削減は組織が維持できません。当面は採用を抑えて定年退職による自然減で調整します。施設再編では、管理業務に従事する人員を効率化し、現場の組合員さんとの接点を強化します。≫とある。
瀬又朔は、両者の意見を聞きながら、ハードかソフトか。どちらかが身近であればいいんじゃないかと思う。
組合員は、豪華な施設で相談したいわけじゃなくて、相談した内容を迅速に解決してほしいのだ。
朔は話題を変えた。
「あの、いいですか。サラサの販売実績に不審な点があります」
瀬又朔は監査部時代に何度もFUサラサを訪れていた。
稼働しているのか分からない、薄暗い農産物集荷場。
倉庫に山積みされた未使用の段ボール箱。
「おやさい広場のトラックは毎日来てますよ。集荷場が動いてなくても、関係ないです」
監査中に選果場の事務手続きを担当していたパートの女性の言葉を聞いたとき、もう少し踏み込むべきだった。
いや、監査スケジュール的にそんな時間もなかったか、と思った。
そして、合併前調整の査察、113%と順調に伸びた販売高。
稼働していない選果場。
そして、帳票ファイルに貼り付けられていた封筒からこぼれ落ちた13枚のゴルフ場の領収書。
誰かの手書きの”六車段ボールへ”
内部会議、瀬又は「サラサの不正疑惑について」と題した報告書を提出する。
口火を切ったのは高崎次長だった。
「この報告を今出すのは、県域構想を覆すことになるかもな」
阿武部長も口をつぐむ。
FUサラサは唯一「表立って」広域合併に反対している。
県域1FUになれば、15もあったポジションがひとつになる。
―懸命に努力して泥水すすって座った椅子を奪われてなるものか。―
3年前広域合併構想を発表した日、サラサの庄司組合長が酒の場で、阿武部長を叱責したのは、統括会では語り草となっている。
―合併が実現できなければ、体力のない農組(のうくみ)から順次消滅していく―
組織変革部の前身『合併調整部』のシミュレーションレポートが示した「誰にも見せられない、誰も見たくない現実」。
15の組合長たちには密かに提示し、3年間かけて丁寧に説明を繰り返して、合併期日の可決にまでたどり着いた。
「じゃあ、組合員のためって何なんですか」朔が本当に分からないという口調で上司に聞いた。
会議室で、3人は同時に深くため息をついた。
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