Катюша(カチューシャ)
久々宮知崎
Катюша(カチューシャ)
辺り一面真っ白の銀世界。
少女がひとり雪に足跡を残しながらゆっくりと歩いていた。
ここらでは珍しい白い長髪に、白いマフラーを巻いた少女は、まるでこの雪原に擬態でもしたかのようだった。
ただ一点、真っ赤なカチューシャをしていることを除いて。
雪原はひたすら真っ白で、自分がどこにいるかなんてわからない。
それ故に迷う人も多く、時には命を落とし誰にも知られずなくなってしまう人もいる。
厳しい吹雪が吹くことも多いけど、晴れた日には空に雲一つなくて青空と白だけの綺麗な世界になる。
夕日時には、雪も夕日色になって言い表せもしない絶景が姿を現す。
綺麗で残酷な雪原は、まるで自然のお手本みたいだと思う。
「おい、何ぼーっとしてんだ?」
声をかけられて、はっと気がついた。
「すみません、先輩。ちょっと外の風景に見惚れてて」
先輩はそのでかい腹をこちらに向けて、わけがわからないとばかりに肩をすくめた。
「はぁ?いつもおんなじ真っ白な風景じゃねぇか」
「いや、見てて飽きないものってあるじゃないですか」
「わからん。俺なんてゲームくらいしかしねぇからよ、動きのねぇもんを見続けんのは無理なんだ」
「たまに動物たちが通ったりしますよ。狐とかとくに可愛いんです」
「いーや、もういいぜ。俺が雪原の景色の魅力に気付けるのはきっと俺がジジイになってからだ」
「それ間接的に僕がジジイって言ってます?」
「はははっ! 案外そうかもな」
先輩はそう言うと、モンハンだかなんだか言っていたよくわからないゲームに向き直った。
僕も窓の風景に目を戻す。
先輩は雪が真っ白だとか言っていたけれど、実際は違う。溶け具合の違いや動物たちの足跡によって影ができて綺麗なグラデーションができるのだ。
それが毎日違うのがとても楽しい。
しかもなんだかんだ雪原にも季節の移り変わりが少ないながらあるので、動物や植物の種類の変化がある。
今はそろそろ狐が子供を産む頃だろう。それで雪が薄くなって、気持ち程度の草木が生える。この先楽しみだ。
僕はまたしばらく、ぼーっと窓の外を眺めていた。
どれくらい経ったかわからない。
白い雪景色の中に、赤い何かが見えた気がした。
ここにベリーは自生しないし、赤い動物なんてものも見たことがない。
気になって目を凝らすと、薄っすらと輪郭が見えてきた。
足、胴体、腕、頭、そして、赤いカチューシャ。
「人……?」
そうつぶやくと、先輩がこちらに顔だけ向けて聞いてきた。
「なんかいったかぁ?」
僕も状況が整理できていなかったので、気持ち半分で答える。
「いえ…。ちょっと僕、外見てきますね」
「りょうかーい」
もし人間だとしたらまずい。最悪の場合命を落とす危険性もある。
僕は念のため猟銃を持ってから、外に出た。
あたりを見回すと、すぐにその人は見つかった。
「カチューシャがなかったら見つけられなかったぞ…」
つぶやきつつ、その人のもとへ走った。
近づいていくと、その人の身長が思っていたより低く、体全体として小さいことに気づく。
…もしかして子供か?
「そこの君! ここで何してるんだ!」
僕が声をかけると、その子供は振り向いて言った。
「だれ」
冷たい声だった。振り向いた顔はとても整っていて、まるで雪の精霊が現れたように思えた。多分十歳くらいの身長だけど、纏う雰囲気はとうに青年期を終えている。
薄灰色の目がどこか悲しげで、それら全てに圧倒されて、次の言葉が出てこなかった。
「…僕はここを管理している人。ここは、勝手に入っちゃいけないところなんだ」
ゆっくり、わかりやすいように努力して言うと、少女は辺りを見回して、
「そんなこと、何処にも書いてなかった」
といった。
「確かにそうだけど、ここは『自然保護区域』っていう場所で、動物たちや植物たちを守るために、人は入っちゃいけないきまりなんだ」
「じゃあ、なんであなたたちはここにいるの?」
「僕たちはほら、管理者だから」
「ふぅん…」
少女はあまり納得していない風にうなずくと、それっきり口を閉ざした。
「えっと…、君の名前は何かな?」
「知らない人には名前を教えちゃいけない」
「うん、それは確かに大事なことだね。よしわかった、じゃあ君のお母さんかお父さんはいるかな?」
すると少女は一瞬黙ってから、
「…知らない人に個人情報は教えちゃいけない」
「……。」
…これは中々手強そうだ。
家族が近くにいるかどうかまで個人情報に数えるなんて、だいぶ防犯意識が強い……、というか、普通の子じゃなさそうだ。
もうここにきている時点で普通の子じゃないのは確定なんだけど。
「…じゃあわかった! ちょっとあそこの小屋までついてきてくれないかな?」
「知らない人についていっちゃいけない」
「きっとお腹が減っているだろう? あったかいシチューをご馳走してあげるよ」
「お腹減ってない」
「……。」
これも通じない。だけど、このまま放っておくわけにもいかないし…。
とりあえず出て行ってもらうにも、親の保護下にないとすると話は別だ。
僕はなんとかしてこの子を安全な所に帰さないといけない…。
僕が頭をひねりにひねっていると、ぐぅ~、という音が聞こえてきた。
はて何の音だと辺りを見ると、少女が顔を赤らめてそっぽを向いていた。
「君、やっぱりお腹減ってるね?」
お腹が鳴ったことで少女は観念したのか、ゆっくりと僕の後ろをついてきた。
僕はそのまま管理小屋まで少女を連れて帰った。
ドアを開けると、先輩はまだゲームのプレイ途中だったようで、振り返らずに、
「おぉ、おかえり」
とだけ言った。
無視してもらうわけにもいかなかったので、
「先輩! 少しお話があるんですが!」
と呼びかけたけど、
「今忙しいから!」
といって取り合ってもらえなかった。
ゲームに忙しいも何もあるものか。
僕は少しだけ起こりながら待っていると、少女が
「シチューはまだ?」
といった。
僕は仕方なく二階へ上って、シチューを作ることにした。
この雪原の管理小屋は木造で、一回が管理人の仕事部屋、二階が料理や就寝などの生活部屋になっている。逆の方が何かとやりやすい気もするのだけれど、どうやら管理人が寝泊まりで仕事するようになったのは最近で、あとから二階が増築されたそうだ。その際に一階の設備やらなんやらを動かすのを先輩が躊躇ったので、今のつくりに落ち着いている。
先輩は整理上手なのに、変な所でめんどくさがりなところがある。
唯一の仕事の相棒として、もう少し頑張ってほしいところだ。
僕は少女をダイニングに案内し適当にお菓子を出してから、キッチンでの作業にとりかかった。
作業と言っても大変ではない。
なぜならインスタントだから。
今からシチューなんて作っていたら何時間かかるかわからない。しょうがないけど、あの少女には我慢してもらうしかない。
僕は封を切らずに、水をためた小さい鍋に突っ込んだ。
なんせここには電気もガスも通っちゃいない(自家発電でゲームをしている野郎がいるが)ので、基本小さなガスコンロでやりくりしなければならない。
かちっと火をつけて、しばし待つ。
もう十分だろうと思ったところで火を止め、シチューを皿についだ。
僕の分は別にいいだろうと思って、一つだけだ。
それをもってダイニングまで行くと、先と変わらぬ顔をして少女はお菓子を全部たいらげていた。
おいおい、あれ僕のお菓子なんだぞ。
「はい、たくさんお食べ」
スプーンと一緒に皿を置くと、少女は何も言わずシチューにがっつき始めた。
「おいおい、何も言わないはないんじゃないか」
すると少女はぴたりと止まって、
「…ありがとう」
といった。
「じゃあ、お礼の代わりにお母さんとお父さんのことについて教えてくれるかな?」
と聞くと少女は、
「お礼は全部ありがとうに込めた」
と答えた。なので、
「そりゃ素敵な考え方だ」
僕は呆れてそう言った。
これじゃあ扱いようがない。
もう少し僕が子供が得意であれば楽なんだけど…。
「君は帰る場所あるの?」
僕がそう聞くと、少女は
「大丈夫」
とだけ答えた。
…どっちだよ。
でもなぁ。仮にないとしてもここで非公式に引き取るなんてのは勘弁だ。
そんな国にも市民にも糾弾されそうな問題を抱えるのはさすがに危険すぎる。
なら最悪、役所にでも預けに行くしかないか…。
そんなことを考えていると、少女が肩をぽんと叩いてきた。
見ると、手には空の皿。
「あぁ、食べ終わったのか」
早すぎやしないか。
僕はその皿を受け取って、シンクに適当に流して置いておいた。
「君、これからどうするつもりなの?」
そう聞くと、少女は一瞬黙って
「帰る」
と答えた。
「どこに?」
と聞くと、少女はお約束のように
「知らない人に個人情報を教えちゃいけない」
と答えた。
「僕たちは君を安全にどこかに返さなくちゃいけない。君が怪我しちゃいけないからね。だからどうか、何処に返せばいいかぐらい、おしえてくれないかな?」
そういっても、少女は
「知らない人に個人情報を教えちゃいけない」
とだけ答えた。
大人げなくキレそうになったので、やけくそ気味にこう言った。
「わかったわかった。僕の名前はグレース。二十五歳で独身、
この管理事務所に入ってからは五年経つ。趣味は自然観察、家庭菜園。
特技は手で触らずに耳を動かせること。
どうだ? これでもう知らない人じゃないだろう?」
僕がまくしたて終わると、少女は初めてくすっと笑った。そして、
「へりくつ」
と言った。
「私の名前はサラ。…親を探してるの」
平野と言うだけあって、この国の道路はなだらかでまっすぐで、走りやすい。
最早居眠りしてしまうのではないかというほどだ。
しちゃだめだけど。
結局、あれ以上サラが喋ることはなかった。
一瞬、心を開いてくれたのかとも思ったけれど、どうやら気まぐれだったらしい。
とりあえず、親も帰る場所も今はないということだけわかったので役所に向かうことにした。
役所であれば戸籍もあるし、児童保護施設もある。
親が見つかろうが見つからまいがサラの行先があるのだから、行かない手はないだろう。
しかし、車で行くとなると半日以上かかる。日も落ちてきているので、ひとまずサラは一日ここに泊めることになった。正直保安隊やら何かにばれないか気が気でなかったが、何事もなく終わった。
それはそれでこの国の保安の出来てなさが怖いけど。
先輩はゲームがイベント中のようで、事情を軽く話したらコントローラー片手に車の鍵だけくれた。
…ゲームで徹夜ってどうよ。正直先輩としてだいぶ怪しい対応だけど、その軽さが気に入っていることもないではない。
もうサラも僕に反抗したがることもないみたいで、事情を説明すると何も言わずについてきた。
最低限の信用はくれたようで、ありがたい。
…それにしても、親がいないということは、サラは歩いてあの管理所付近まで来たのだろうか。
「なあ、サラは……」
どうやってあそこまできたんだ、と聞こうとしたけれど、バックミラーを見るに寝ている様子だったので、起こすのはやめておいた。寝顔にはいつものような敵対的な雰囲気はなくて、どこか隙だらけだ。
腹が鳴っていたことといい、今寝ていることといい、やっぱり年相応の幼さを持っている。
そう思うと、帰る場所が見つかればいいな、とひどく自然に思えた。
この国一番の主要都市は、発展途上ながら綺麗な街並みをしている。
石畳の橋、レンガの建物、まるで西洋のお手本のようで、近隣国からの観光客も多く来ていた。
僕は適当な所に車を停めて、後部座席に振り向いた。
「ほれ、ついたぞ」
するとサラはうっすらと目を開けると、警戒心を取り戻したかのようにばっと姿勢を直した。
「じゃ、いくぞ」
車を降りて、街を歩き出す。
街に来るのは久しぶりじゃなかったけど、短い間にずいぶんと姿が変わっていた。やっぱり大都市は代謝速度が違う。
市役所に向かおうとすると、何かに服が引っ掛かった。
ではなくて、サラに服を引っ張られていた。
一触即発ではないけど、サラと僕は少しの間無言で見つめ合った。
一体何かと僕が聞こうとすると、先にサラが口を開いた。
「あれ食べたい」
サラが指さす先には、僕が前回来た時にはなかったスイーツ店。
「おい、ここに来たのは観光じゃないんだぞ。まず役所にだな…」
「あれ買ってくれたら聞いてきたこと全部話す」
「なに⁉」
絶好のチャンス……、と思わないこともないが、冷静に考えると、今サラからの話を聞く必要はない。だって、もう役所のあるところまで来てしまったからだ。以前は雪原の管理小屋のみで対処しようと考えていたから話を聞かなければならなかったが、今はその限りではない。懐を犠牲にする必要はどこにもないのだ。
僕がその考えに至って、よし否定しようと思ったところで、サラはこう言った。
「買わないとキャーって叫ぶ」
……そう言われちゃぁ僕も財布のひもをほどかなきゃいけなくなるのがこの社会の理不尽なところだ。
サラがねだったスイーツは僕の給料一か月分が吹っ飛ぶほどの値段だった。
ケーキ一つで吹っ飛ぶ給料なんておかしいと思うかもしれないけど、衣食住無料支給なんだから随分ありがたい仕事だと思う。
…それでも、このちっこいケーキに持ち金全部払わせられるというのは都会がおかしいと思う。地元の田舎じゃ隣のおばちゃんが自家製ケーキを良心でくれたのに。
サラはそんな値段も気にせずにもっちゃもっちゃとケーキをほおばっている。…あぁ、さよなら僕の双眼鏡。観察用に買いたかったけど、もう数か月辛抱だ…。
「それで、本当に全部話してくれるんだろうな」
せっかく代償を払ったのだから、話を聞かねば気が済まない。
僕が聞くと、サラはほおばったケーキをごっくんと飲み込んで、ナプキンで口を拭いてから、一息ついて言った。
「やっぱり話さない」
「そんな気はしてた」
僕は両手で目を覆う。ケーキをおごった程度でこの口が鉄ほど固いサラが口を割るわけないと思ってたんだ…。
僕が頭を抱えていると、その僕を見て、サラはふふっと笑った。
「全部は話さないけど、ケーキ代ぐらいは話す」
「え?」
「さっきへりくつされたから、その仕返し」
サラはそういって、意地悪そうににやっと笑う。
…してやられた!
大人ぶってたって、子供に騙される分には騙されるんだな人間って!
普通にこのクソガキがとキレそうになってた!
僕が悔しがった表情をすると、サラは更に嬉しそうな表情で笑った。
サラの本来の性格は、からかい屋なのか…?
…さて、気を取り直して。
「それで、何なら話してくれるんだ?
まだ親がいないってことしか聞けてない。市役所に送るならフルネームさえありゃ十分だけど、どんな事情なのかもっと詳しく知りたいところはある」
僕が聞くとサラは笑った表情をしまってから、
「…お父さんとお母さんついて」
そう言ってゆっくりと話し出した。
______________
「生まれたときから、お父さんはいなかった。
お父さんについてはお母さんが話したがらなかったから知らない。
けど、多分死んだんだと思う。
お母さん、月に一度決まっていなくなる日があったから。
きっと命日にお墓に行ってたんだと思う。
「お母さんは、一人で私を育ててくれた。
七歳まで。
私が七歳の夏に、お母さんはいなくなった。
いなくなったというか、働きに行ったんだと思う。
お母さんはサラのために少しだけ遠くまで行くから、帰ってくるまでは我慢しててね、って。
「カチューシャはその時にもらった。
いつかお母さんが帰ってきたときに、見つけやすいようにって。
「帰ってくるまでは叔母さんがお世話をしてくれた。
優しかった。
だけど、肺の病気になっちゃった。
お医者さんも呼んだけど、もう手遅れだって。
九歳の時に死んじゃった。
「それで私は行き場所がなくなったから、村長のおじいちゃんにお母さんはどこにいるのって聞いた。
それで、北の方に行けばお母さんはいるって言われて、私はお母さんを探しに出た。
「村を出てからは、旅人さんのおこぼれとか、虫とか食べてなんとかしてた。
それで、十一歳になって、春にグレースに見つかった。
「多分年に百五十キロくらいは歩いてたから、目的地には着けてると思う。
「お母さんは小さいころから一緒にしかいなかったけど、たくさん思い出があるし、優しかったのを覚えてる。
私はお母さんを見つけたい。
見つけるためなら、役所でもどこでも頼りにする。
「……今はグレースも、ちょっとだけ頼りにしてる」
______________
僕は話を聞き届けると、ちょっと泣きたい気持ちになった。
一日ちょっとだけれど、あんな冷たかった子供が頼ってくれるだなんて!
だけど、サラの前で素直に喜ぶわけにもいかなかったので、嬉しさを隠しつつ言った。
「…話してくれてありがとな。
とりあえず、サラもこの国の人間だろうから、役所に行けば戸籍がある。
そうすれば、母親の事も最低限であればわかるだろう。現住所とか、もしかしたら職業とかも」
サラはうなずくと、さっきまで話したことを恥ずかしがるように、少し目を伏せな
がら再度無言でケーキをほおばり始めた。
役所の人間は基本怖く見える。
田舎育ちなせいかもしれないけれど、皆そうなんじゃないかと思っている節もある。
だってみんなしかめっ面で、常時書類とにらめっこしてるんだから。
同じ公職のはずなのに、格差が大きすぎて目眩がする、
うちの先輩なんて勤務中にゲームしてるのに。
まあ、自然保護区域の管理なんて基本人も来ないし、お気持ち程度の事務職と監視、
あとはお墓の手入れくらいしか仕事ないからな…。
ますます衣食住と給料の支給に感謝しなければ。
どこに相談すればよいかもわからなかったので、とりあえず受付にどこに行けばよい
かを聞いた。
「戸籍確認であれば、本籍地のある役所にご相談ください、そうすれば、戸籍謄本が得られるので…」
正直言ってお手上げだった。
保安官のところに行けばいいのか、そもそも役所への相談の仕方が間違っていたの
かすらもわからない。
ケーキ屋で話し込んですっかり遅くなってしまったので、この町で一泊しなければな
らないけれど、お金もない…。
結果、車中泊になった。
狭い車内で、サラに平謝りをする。
「ごめんなサラ、僕が田舎者だったばっかりに…」
「いや、いい。まだ明日もあるから」
「子供に遠慮され、子供に車中泊をさせ、子供に慰められるなんて…。
僕はもう大人を名乗らないことに決めた。
「そういえば、サラの上の名前ってなんなんだ? 戸籍を得るならフルネームが必要だけど…」
サラはもう半分眠りに入っているようで、うとうととした声で答えた。
「私のファミリーネーム……? ……おかあさんがハーフだから、変だけど…。シラカタっていうの……。……でしょ…。」
半分どころかもう眠ってしまった。
僕はサラに毛布を掛けて、少しの間考えた。
明日はどうしよう?
役所はよくわからなかったし…。もう一回行くか?
いや、その前に保安官のところを訪ねてみる価値はある。行方不明者届的なものが出
せたはずだ。
役所仕事の知り合いがいれば安く済んだのに…。
シラカタサラを知らないか?って。
ん?
ちょっと待て。
シラカタって何か……。
何処かで聞いたことがあるかもしれない。
朝になるまで、結局僕は一睡もできなかった。
車が狭かったこともあるけれど、一番の理由は…。
「ん…」
一人で旅していたこともあって、サラは目覚めはいいらしい。朝日も出ていないのに
もう起きたようだった。
「ああ、おはよう。そこの川で顔を洗ったりできるぞ。雪解けの季節で流れが速いから、落ちないように気をつけてな」
「ん、わかった」
少し待つと、サラは寝起き感を失って完全にシャキッとした状態で帰ってきた。
十一歳の目覚めじゃないだろ、それ。
「今日はどうするの?」
サラが聞いてきて、一瞬僕はなんていえばいいかわからなかった。
「…いったん帰るか」
「え?」
サラは怪訝な顔をして聞いてきた。
「なんで?お母さんの戸籍を見つけるには役所か保安官のどちらかに聞かなきゃいけないんじゃないの?」
「…いや、いくつか調べ物をしたんだけど、思い当たることがあったんだ。ちょっと、信じちゃくれないか?」
「…正直いや。この街の方が、絶対に手掛かりになりそうなものが多いでしょ? まだここでやれることをやりきった方がいいと思う」
「じゃあ、白方メイを知っていると言ったら?」
…サラが最後の警戒として、わざと隠していた親の名前。
サラの唖然とした反応を見て、僕は自分の記憶が正しいと確信に至った。
「それじゃ、帰ろう」
自然保護区域の管理小屋。
その裏には大規模な墓地がある。
この国は近年まで最新技術もなかったし、最新の考えも取り込まれていなかった(そのくせして自然保護なんて考えがあるのもおかしな話だが)。
そのため、犯罪者は問答無用で撃ち殺されていた。
例えば、密猟者とか。
この墓は後々に遺骸が埋められてできたものだ。
その中の一つにある。
『白方メイ 1999』
死亡日と名前だけが無機質に彫られた墓の前で、サラは膝をついた。
恐らく、サラの母親はお金がない中で、どうにか子供を育てるために犯罪に手を染めなければいけなくなってしまった。
そして国の人間に殺された。
たった一人の娘を置いて。
サラは下を向いたまま何も言わない。
僕も何も言うことはできなかった。
だって、僕は両親がいる環境で、ぬくぬくと過ごしてきたんだから。
どんな言葉も、僕の口からじゃ、届くわけがない。
…その無力さに僕は、ギリッと歯を食いしばった。
「…が…・・・・ら、……いい…?」
嗚咽といっしょに絞り出された声は辛くて、聞いているのも辛かった。
三十分はたったころだろう。
途端、サラは立ち上がり走り出した。
僕は驚いて、慌ててサラを追いかけた。
「おい! どこへ行くつもりだ!」
サラは泣きながら、振り返らず叫んだ。
「どこか!」
涙が、光を反射しながら溢れているのが見える。
走るサラは異様に早くて、追いつけなくて、僕は管理小屋でぬくぬく過ごしてきた自分の走力を呪った。
「どこかってどこだよ! 別にこれからいくらでもやりようはある!
親がいなくなったくらいで、自暴自棄になるなよ!」
僕はなけなしの体力で叫んだ。
親がいなくなったくらいで、なんて情の欠片もない言葉を。
「いままで!いままでの私はなんだったの⁉ 私はもうなんのために頑張ればいいかわからない‼」
出したこともなさそうながなり声でサラは言った。
「も゛う! 私は何も探したくない! 何にも探されたくない‼」
…どれくらい走っただろう。
力尽きて、僕は積もった雪に突っ伏した。
…サラはきっと母親のためだけに生きてきた。
母親のために、全部捨ててきた。
その、何年も独りで探してきた頼みの綱が殺されていると知ったんだ。
その心の痛みは計り知れない。
墓を見せたことが悪かったのか?それとも、僕の掛ける言葉が悪かったのか?
結局、どこまでも具体的で、答えの確認しようもなくて、この問いには意味がない。
僕は、自分のしたことの残酷さにあきれながら、その責任に押しつぶされながら、そのまま突っ伏した。
どれくらい経ったかわからない。
どころどころ凍傷になったであろう体をなんとか起こして、かろうじて開く目を開けた。
目の前にはただ真っ白に続く雪原。
その中に、彼女を見つけるためにあったはずの赤いカチューシャが捨て去られていた。
Катюша(カチューシャ) 久々宮知崎 @kannnana
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