06 09/01 00:29:19

「クカカカーっっ! やるじゃねえかヒロインさんよお!」


 ヨシダが笑い、残像が残るほどの速度で鉄剣を振るう。


「あーもーっ! なんなんだよアンタはッッッ!」


 苛立たしげにアマネは、一振り一振りを受ける、避ける、叩き落とす、合間に超人的な速度でカウンターを叩き込む。だがヨシダはどれだけ殴られようと、蹴られようと、気にした素振りを見せない。そもそもカウンターでさえ、頭部への攻撃は【神のサイコロのイカサマオッド・ラック・トゥ・ユー】により、入らなくなってきた。


 バグぴはそんな二人を注意深く見つめながら、考える。二人が奏でる剣戟の音に耳を澄ませながら、思考を巡らせる。ヨシダの戦力、自分の戦力、アマネの戦力、三つを冷静に分析して、考える。そしてやはり、同じ結論にたどり着く。




 勝てない。このままでは。




 騎士係数1.000000。




 バグぴはヨシダの背後に描画されたその数字をもう一度見た。自分たちのほぼ二倍の、その理論値が意味するところをもう一度考えた。


 吉田の量子魔法を、バグぴが消すことは、できない。


 相手の魔法を打ち消す量子魔法には二種類ある。古典魔法を打ち消す【現実への拡散コラプス】と量子魔法を打ち消す【現実への堕落デコヒーレンス】。前者は古典魔法に対する量子魔法の優越性により可能だが、後者は、騎士係数が勝る呪文へ唱えても、効果はない。


 騎士係数とは詠唱者、量子の魔法使いと観測者――騎士の絆をあらわす数値。それが高いということは即ち、魔法に用いられる物語を両者が、同様に信じているということのあらわれでもあり、それだけ強力な呪文となる。ましてや理論値の騎士係数ともなれば、唱えられる呪文はさながら、完全に光速に等しい速度であるとさえ言える。ヨシダは、情報体光となったラプラシアを自身のうちに宿すことにより、そんな狂気の沙汰を実現している。


 だから、勝てない。


 狂っているのは、常軌を逸しているのは、ヨシダの方だ。今でこそ、アマネとなかなかの名勝負を繰り広げているが……あれはやはり、アマネの打撃が通じているように思えるのも含めて、こちらの心を折るための下準備をしている、と考えたほうがいいだろう。接戦を演出しこちらに本気を出させ、その本気を圧倒し、絶対に勝てないという事実を分からせるため。あるいは、舐めプ・・・が骨身にしみついているだけかもしれないが。


 だが、そう気付いたところで、根本的な力の差はどうしようもない。もしヨシダに勝てるとしたら……


①さらに舐めプさせその隙をつく

②勝利条件を変える


 そして……


③ヨシダより狂う


 この、どれかだ……。




 数秒の内に思考を終えたバグぴは、データを求め視線をうろつかせる。激しい戦いを繰り広げるアマネとヨシダ。剣戟の音。深夜の屋上は二人の破壊の跡で、徐々に廃墟じみてきている。倒れているΩ7を守るように戦うアマネの顔は、まだまだ、意気軒昂といった様子。対するヨシダはニヤニヤ笑い。ドッキリの種明かしをいつしようか、なんて考えているYoutuberじみている。深夜の屋上の夜はまだまだ、明ける気配はない。吹き付ける夏の風はどこか生暖かく、肌を撫でていく。




 ……ヨシダに勝てないのが確実ってことは。

 僕らは確実に、死ぬってことだ。




 冷静にその事実を確認して、少しため息をつく。もしアマネがこの思考過程を言葉で聞いていたら大袈裟に突っ込んだだろうが……バグぴは、そういう人間なのだ。事実は何よりも大きいし、そこに感情の入る余地はない。




 ああ、確実に、勝てない。

 だから・・・、考えなきゃいけない。




 だがだからこそ、諦めない。自分が絶対ではないと知っているし、同じように、絶対の人間はいないとも知っている。つまり彼は、どんな状況であれ思考を放棄するのはただ怠惰なだけだ、と、感情を挟む余地がない論理的な帰結として考えている。


 だから彼は考える。誰よりも深く、誰よりもしつこく、誰よりも広く。常人ならただの愚策、狂った思いつきと捨てるようなアイディアでさえ、手にとってよくよく眺めてつぶさに観察し、だめとわかれば次を考える。




 そして、たどり着く。




 ……とどのつまり……アイツより、アイツらより、狂えばいい……




 そして、思い出す。




 アマネは先ほど、切り飛ばされた腕をくっつけた。そしてルフィアはその昔、アマネの母親と一つになった。




 それなら。

 



 雲の切れ間から刺した一筋の陽光じみたそのアイディアは、まったく、狂っているように思えた。イカれきっているように感じられた。




 だから、良かった。




 ただ一つだけの問題は、そのアイディアをどうやってアマネに伝えるかだったが……




 ……ま、大丈夫か。




 バグぴは彼女を、信じた。




 そして息を吸い、核融合球を召喚。


 魔法に熟達した今、その破壊と温度は内側にとどめておけるようになっている。その仕上がりに我ながら感心しつつ――




 ――どうしてか、観覧車の中のことを思い出した。アマネと繋いだ手の、温かさのことを――そして――その温かさはきっと、人間の自分が手にした温かさなのだと思い、けれど、同時に心の中で誰かが呟く――




 悪霊は、手なんか握らねえぜ。




 躊躇なく、恒星の灼熱に左手を突っ込んだ。






「は?」


 一番最初、それに気付いたのはヨシダだった。


 戦闘の最中、アマネから目を離し、肩越しに見えるバグぴを見て、完全に虚を突かれた声を漏らした。それを聞いたアマネがまさに虚を突かれ、一瞬動作が止まってしまったほどだった。自分が隙をさらしてしまったことに気付いたアマネは顔をしかめ、仕切り直そうとバックステップで距離をとる。


 だが、ヨシダは距離を詰めてこない。


 どころか、間抜けに口を開け放して、訝しげに眉をひそめ、アマネの斜め後ろを見たまま。思わず、つられてアマネも目をやってしまう。バグぴが例の太陽、核融合球を召喚してその中に手を突っ込んでいる。援護をしてくれようというのだろう。アマネはチャンスと思い駆け出そうとして、それからもう一度バグぴを見た。核融合球の中に左手を突っ込んでいる。やっぱり援護してくれるのだ、ヨシダにキャンセルされる前に合わせて攻撃だ。もう一度駆け出そうとして拳を握り、もう一度バグぴを見た。今度ははっきり見た。しっかり見た。左手が、核融合球の中に突っ込まれている。Tシャツの袖から突き出た細い腕が、肘の手前あたりまですっぽり、球の中に、入れられている。


 太陽の中に、左手を突っ込んでいる。


 アマネは目を、数度ぱちくりさせ、バグぴを見た。バグぴの顔を、きょとん、として見た。もうヨシダのことは頭から消えていた。


 バグぴは顔面蒼白で、体のあちこちが痙攣して、唇は泡を吹き、今にも事切れそうな顔をしていた。


 ヨシダが呟く。彼の言葉には珍しく、心からの言葉に聞こえた。




「マジで、気が、狂ったのか」




「バ…………バカーーーーーーーーーーッッッ!!」




 アマネは叫び、バグぴに駆け出す。それを合図に魔法陣が揺らめき、核融合球が消え、バグぴの体から力が抜け地面に倒れかけたところを、アマネが抱き留めた。


「なっ、あっ……きっ、君はっ? あっ……? え? なっ? なにっ、を?」


 幻覚かと思ったが、違う。


 バグぴの左手が、ない。肘の手前辺りで、綺麗さっぱりなくなっている。切断面は真っ黒で、焼肉の網にこびりついているような、ぱらぱらした粉の炭に覆われていて、いや覆われているというか、骨も肉も皮も何もかも炭化していて、まるで人間の体という気がしなくて、しかし、しかし、その炭の膜がじわり、湿ったかと思うと、中から、血が、あとからあとから湧いてきて……アマネはもう、何が何やら、さっぱりわからなかった。意味がわからなかった。理由がわからなかった。バグぴがわからなかった。


「っっっ……おっ……っ……おかあっ……さんっ……」


 錯乱するあまり母親を呼んでいるバグぴなんて、見たくはなかった。彼らしくなさすぎる。魔王の権能で傷は治せる。自分にそんな事ができるなんて今でも驚きだけど、自転車の乗り方がわかるように、人間の体の治し方がわかる。今だって、多少力を振るえばバグぴの傷が治せるのはわかる。わかるけれど……彼がこんなことをした理由はさっぱりわからない。完全に分からない。何をどうすれば、自分から、左手を蒸発させるなんて、瀕死の重傷を自分から負って、おかあさん、なんて……。


 パチリ。


 その時本当に、アマネの頭の中で音がした気がした。そして、分かった。ルフィアの言葉を思い出した。





――――――――――――

「……魔王の権能の一つでね、他者と合体して互いの力を融合できるのは……」

――――――――――――




「でな……っ……きゃ……ム…………リっ……」



 アマネの腕の中、今にも事切れそうな声で呟くバグぴ。


 そしてアマネは、実感した。


 本当に、本当の本当の本当に、バグぴは、頭がおかしい。変だ。どうかしてる。イカれぽんちすぎる。


 けど……けど。




 だから。




 アマネは、彼を信じた。




 そして権能を振るい、それ・・を始めた。




 バグぴの奇行に一瞬、精神を空白状態にされていたヨシダが二人の狙いに気付くのは、すべてが手遅れになってからだった。




 黄金色の光が、バグぴとアマネを包んだ。






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