04 ひょっとしたら幼稚園児かもしれない

 駅ビルの小物店で、アマネが足首の細さをさらに強調するようなレザーのアンクレットを買うとバグぴは、さらに増した輝きにまた彼女の姿を直視できなくなり、この後どこに行けばいいのかもわからなくなり……そこでベインブリッジが彼の頭の上にあらわれ、初デートなら映画だろ映画、二時間喋らなくて済むからコイツが休憩できる、などとのたまった。バグぴは飛び上がって彼をはたき落としたが、ぬるぅん、とその手をかわしたベインブリッジはすたすた、優雅な足取りで雑踏の中に消えた。しかし、先ほどからバグぴを見ていアマネはたしかに、このままだバグぴが爆発するんじゃないかと思い映画館に向かった。


 何を見るかで二人とも少し迷ったけれど、ちょうど時間よく、二人とも知っていた小説原作の映画「ゾンビ映画(ホンモノ)」がやっていて、それに決めた。


 自分はホンモノの映画しか撮らない、が口癖な芸術家肌の映画監督がスポンサーの意向で嫌々ながらゾンビ映画を撮ることに。だが撮影中に本物のゾンビ騒動が起こり映画撮影は瓦解。監督は安いハンディカメラ一つと共に生き延び、今なら「ホンモノ」のゾンビ映画が撮影できることに気付く……というもの。いきなりびっくりさせるやつジャンプスケアは邪道だ、と言う批評家気取りのサブカル学生が九連続いきなりびっくりさせるやつジャンプスケアで爆発四散するシーンは二人して笑い転げたし、くだらないホラーコメディ映画と思わせておいてからの、虚構、物語というものの本質に迫るような展開は、今の二人の胸に響くものがあった。


 鑑賞後、バグぴはまたベインブリッジが出てきていらないアドバイスをしない内に、とアマネを近くの喫茶店に誘った。喫茶店はあまり上等な場所ではなかったけれど、ショッピングを楽しんでから映画のあとに喫茶店、といういかにもなデートコースにアマネは気をよくして頷く。


「あーーマジ面白かった! じゃない!?」

「だね、いやすっごいよかった」

「ほんと? バグぴはあんまり楽しんでないんじゃないかなー、ってちょっと不安だったんだけど」

「なんでだよ、むちゃくちゃ笑ったっての」

「だってなんかさ、きっと、バグぴはなんか、もっとシリアスなのが好みかもって思って」

「そこら辺は覚えてないけど……たぶん、そんなんでもないよ。一番好き、かどうかはさておいて一番話題にしてたのはおそらく……」

「おそらく?」

「…………大失敗ってされてる漫画の実写化作品、とかだろうな……」

「うそぉ? なんでぇ?」

「そういうのを、どれだけ語彙豊かに罵倒できるかっていうのが……たぶん、僕みたいな人間のアイデンティティだったろうからな……」

「なにそれ? 全然わかんない」

「僕らみたいな人間にとって、それぐらいしか共通の話題はなかっただろうから。インターネットの悪霊同士のグルーミングだよ」


 心底うんざりだぜ、という顔をしてカフェラテを傾けるバグぴを、アマネは、興味深そうな顔をして見つめた。


 黒糖ラテを一口飲んで、ミルクレープの端をちょこっと口に含み……よくよくバグぴのことを考える。考えれば考えるほど、不思議な人だ。


 ……記憶喪失になったのに、昔のことを思い出したくないから別に深く掘り下げようとはしない、なんて……どれだけ自分が、嫌いだったんだろう? でも、自分のことが嫌いな人の感じは、しない。むしろ、私とおんなじ、自分大好き人間のニオイがする。いや、自分大好きっていうのとはちょっと違うかも、なんだろ……?


 などと考え込んでいると、自然と言葉が口をついた。


「君って……ホントに、不思議な人だよね」


 そんなことを言われるとは思っていなかったという顔をされ、少し吹き出してしまう。


「だって、いくらムカシの自分がイヤなやつだったかもしれなくても、そこまで興味ナシでいられるもの?」

「んなこと言われてもなあ……オレはこの教室の中で一番頭がいいな……オレは軍師タイプ……オレは周囲の凡人とは違う……なんて思ってるであろう、世界に数百万人はいるであろう高二に、興味持てる?」

「あはは、そこ、メインの特徴じゃないでしょ」

「サブの特徴ってこと?」

「その上で、どういう人かじゃない? ふつー」

 

 アマネの言葉に、感心したように大きく息をつくバグぴ。


「……僕のことを不思議がるけどさ、君だって十分不思議だよ」

「どこがー? 私ほど謎がない人もいませんけど?」

「なんで僕に関わってくれるんだ?」

「…………へ?」


 自己嫌悪や、卑下から出てきた言葉ではないのはわかった。しかし、何を言われているか一瞬、わからなかった。


「いや、だって、ほっとけばよくない? たしかに謎の配信があったら気になるだろうけど……でも、そんなに面白い配信ってわけじゃ、なかったじゃないか」

「いやいやいやいや、面白すぎるでしょ、謎すぎるし」

「まあ、それはそうかもだけど……なあ、これはルフィアさんに言われたことにも関わってくるけど」


 バグぴは少し、難しそうな顔をした。難問に挑む学者、のように見える。


「僕はある意味、あの仕事につかなきゃどうにもならない状況だ。でも、君はそうじゃない……だろ? その……たぶん、僕はもう、戸籍とかそういうの、ないし。死んでるから。あの調子だと、もし仕事を断ってもルフィアさんたちが色々取り計らってはくれるだろうけど、でも、仕事を断ったうえでそんなことしてもらうの、さすがに気まずいよ、やる他ない」


 それは……と、反論したくなったけれど、穴はなかった。


「まあ……それは、そう、だね」

「でも、君は違う……だろ? 普通の高校生にいつだって戻れるし、今だってそうだし……たぶん、君の今後の人生を考えたら、その方がいいんじゃないか? いやあの、だって、やりたいこととか、行きたい大学とか、あるんじゃないの? そういうの、かなり、棒に振る……ってことになるかどうかはまだよくわかんないけど、その可能性は高そう……だろ? 世界の敵と戦いながら、学校通って、受験勉強とかする?」

「…………それは、うん、そうだね」

「シンプルに……なんで? 逃げた方がよくない?」

「あはは、なんでかな、きっと……」


 アマネは大きく息をついた。人間関係が不得手そうに見えて、抜群に頭が切れるから、バグぴに隠し事はできないだろうな、なんて思う。


「……きっと?」

「…………最初ね、あの配信見た時、思ったの。これすっごいバズるじゃん! って。ゲラゲラ、笑っちゃったし……でもさ、なんかガチだぞ、ってわかって、悪い気になっちゃってさ……困ってる人を見て最初に思うことが、バズるじゃん! って! あはは、いかにもSNSのことしか考えてないダメな若者ーって感じで」

「あははは、それっぽいね、人が倒れてても救急車を呼ぶんじゃなく……」

「まずショートで上げてね、あははは……んー、でも、最初は、だから、罪悪感からだったよ。うん、でも……えーとさ、重めの自語りなんだけど、いい?」

「ジガっ!?」


 がたがたっ。


 どうしてか、バグぴはかなりの勢いで椅子を鳴らし身を引いた。まるでテーブルの上に虫が這っているのを見たかのようだった。自分語りがよっぽど嫌いなのか、とアマネは思ったけれど……そうじゃないな、と思って言い直す。


「……自分、語り。自語り」

「あっ、ああ……いいよ」

「え、なんで赤くなったん?」

「な、なんでもないよっ、ほらっ、自語りしろよっ!」

「なんか、別のものだと思った……?」


 問い詰めると観念して、そっぽを向いて呟く。


「…………ジガバチの仲間かと……ハチを出してくるのかと思って……」


 どこかしゅんとしているバグぴを見て、アマネの胸はきゅんとしたが、同時に肌の奥底から笑いがこみ上げてきて、自分の感情がよくわからなくなった。が、あまり笑わないように、と必死で抑える。


「……っ……ごめっ…………っく……」

「…………いいよ笑えよ、なんか、わかったしな、僕が、ハチが、すげー苦手だったって……くそっ、なんでだよ……」

「いやっ……なっ、なんで、私が、いきなりハチを出すと思うのさ……っ!」

「しらねーよ! きっと、なんか、怒るとハチを出して折檻してくるヤツと暮らしてたんだろ昔の僕はきっと!」

「ぶはっ、はっ、なっ、なにそれっ……っ……」


 しばらく笑いをこらえたアマネは、一口ラテを飲むと息を吐き、始める。


「……ふう……私ね、今のお母さんは、二番目のお母さんでさ、で、今のお母さん、私が小学生の頃、なんか新興宗教にハマってたの」

「ふーん、なんてヤツ?」

「え、あの……イエスの光の軌跡、っていう」

「ああ、アメリカのプロテスタント長老派から分派したヤツだね。日本ではかなりマイナーだ。でもキリスト教的にそこまで変わった教義はない……いや三位一体を否定して、独自聖書を使うのはアレか? でも集団生活は送らないし……勧誘は義務的にあるけど、ノルマはないし、販売も聖書だけで、寄付も募らない、清貧が旨の、割と穏当なヤツだ」


 家族が新興宗教を信仰していた、という話にまったく動じないバグぴに、むしろアマネがうろたえた。


「……く、詳しいんだ、バグぴ」


 だが、バグぴはどこか、あきれ顔だった。


「…………これもなあ、たぶん、宗教をバカにするために蓄えた知識なんだぜ、きっと、ほんともう……昔の僕はどれだけ中二病だったんだ……?」

「あははは、そこまで行けば本物になれるよ、うん、で……お母さん、私の同級生の家にも平気で勧誘行くからさ、私、それですっごいイジメられてて、近寄ったらシューキョーが伝染うつる、って」

「あれれ」

「でもね、中学生になる前、お母さん、急にその宗教やめてさ」

「なんかあったの?」

「わっかんない。お父さんも教えてくれないし。本人に聞いても、お母さんはやっぱり、宗教とか合わなかったなー、としか言わないし。いや五年ぐらいずっぷりでしたよね!? っていう……」


 バグぴは、宗教のせいでアマネがいじめられていることを知ったからではないだろうか、そういう理由だとはアマネ自身もうすうす気付いているのではないだろうか、と思ったが、黙っておいた。


「で、引っ越してさ、中学行ったら……なんかもう、全然違った生活になったの。生まれ変わるんだ〜って気合い入れたのもあるんだけど……なんか、可愛い可愛い言われて、なんか、あっという間にカーストのトップに行かされてさ、友達も一杯できるし、告られるし、先生にも気に入られるし、文化祭の劇で主役になるし……その前の年まで、私、葬式ごっことかされてて、トイレに行ったら上からバケツで水かけられてても、誰も何も助けてくれなかったのに、だよ?」

「うーん、予想外に重くて反応に困るぜ……」

「あはは、軽くしてくれてありがと。でもさ、それで思ったんだけど……なんていうか……絶対じゃないんだなって、その……人間? バックストーリー次第で、バイ菌扱いのいじめられっこにもなるし、可愛いのに自己評価が低くて守ってやらないとって思う皆が大好きなオンナノコ、にもなっちゃう。だからその……これ、マジで……マージで……」

「…………マジで?」


 大きく息を吸うアマネ、そして。


「くっっっっっだらねーなー! って。私はなーーーんにも変わってないのに!」

「あははは、まあ、たしかに」

「だから私、お話とか、そういう物語? ……こう、フィクションフィクションしたやつって……あんまり好きじゃなかったんだ。人が、人と争うときって、悲しいことが生まれる時って、たいてい、お話が原因でしょ。いやわかってるよ、私だって、いいことも、お話から生まれるってさ。でも……魔法、魔力は、物語から生まれる、でしょ。それ聞いてさ、なんか、なんか……これをやらなきゃって、思ったんだ」

「……なんだろ、使命感?」

「そういうんじゃなくて……なんて言うんだろな……知らないから、確かめなきゃいけない、そんな感じ……なんていうか……家の中にさ、ある日突然、開けたことないドアがあって、入ったことない部屋があるのが、わかった感じ」

「十中八九怖い話のやつじゃないですかぁ」

「あははは、お札か血の跡がびっしりの部屋だね。でも、実際そんな部屋があったらさ、遅かれ早かれ絶対入ってみるでしょ? 自分の家なんだから。そんな感じ」


 話が一段落ついて落ち着いたのか、ミルクレープをぱくつくアマネ。生まれて初めて人にする話だったけれど、どうしてか、するすると話せた。相手がバグぴだから、だろうか。


「……好奇心旺盛なお方だ」

「あはは、バグぴは違うの? すごかったじゃん、あの、太陽作った時とか」

「あれは……なんかこう……憧れだったんだよ……なんて言うか……家の庭に本物の新幹線出せます、消防車出せます、って幼稚園児がなったら、家が潰れても絶対出すだろ」

「あはははははっ、なんなの君は、幼稚園児なの?」

「……あっ! かもしれない! 年齢はわかんないわけだし!」

「あははははははっ、なわけあるか十七歳って言われたろ!」


 そう言って二人して笑い合い、アマネは思った。ああ、うん、相手が、バグぴだからだ。






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