02 愛と魔法

 アマネは、感動していた。


「……盟約は王に。死は海に。死すべき定めの者たちを灰色の内につなぎ止め、黄昏を渡る船の舳先は、霧を裂き、再び王に盟約をもたらす……」


 地の文、王の幽霊のセリフ、海の精霊のセリフ、しっかり声色を使い分け、演じ分けながら、アマネは思った。


 バグぴは、本当に記憶喪失なのだろうか、と。


 二次創作の元となった小説の、灰色海の王たちについては、アマネも読んだことはあるし、それなりに知識はある。王が精霊と盟約を交わし統治する世界の中、その盟約に反逆する〈まつろわざるものたち〉と呼ばれる、幽霊のような存在たちが織り成す叙事詩。幻想文学のジャンルで源流の一つとも言われる大作だ。バグぴが書いたのは、原作では数行しか描かれていなかった部分だろう。作中世界の王の幽霊が数百年間、海を眺めながら主人公を待っている間、いくつもの詩を編んで無聊を慰めていた、というところ。


 原作では王が編んだ詩は近隣の人々が語り継ぎ、やがては一冊の本になって王国の書庫に収められた、という描写しかされていなかったのを、バグぴは膨らませ、八千字程度のショートストーリーにしていた。


 そこには、愛が満ちていた。


 そしてアマネは、再び思う。


 はたして、記憶喪失の人間がこんなにも、いい話を書けるものなだろうか、と。


 王が編む詩は原語の英語を連想させる、どこか硬質な翻訳文体。しかし、錆び付きながらも刃を光らせる、古びた短刀のような鋭利さがあった。見事に再現された雅語調の台詞文とあいまって、まるで、偶然発見してしまった、知らない国の古文書を読んでいるような気分にさせられる。それでいて物語のラストに、灰色の海を渡って主人公がやってくるシーンはたしかに「物語」で、たしかな希望が感じられる。すべてはここから始まって、そして、進んでいく、そんなことを思わせるのだ。


 読んでいる最中、そして読み上げている今も、アマネは不思議で不思議で仕方がなかった。


 文章を書くというのは記憶、経験のなせる技で人生経験がモノを言うジャンルの技術だと思っていた。けれど今、名前すら覚えていない少年の書いた文章に、自分は心を動かされている。そして、ひょっとしたら自分は、大きな誤解をしていたのかもしれない、と気付いた。


 ひょっとしたら文章を、小説を、お話を書くのに必要なのは……必要なのは……わからない。わからないけれど、知識や技術や人生経験なんてものは、あればあったで困らない、程度のものなかもしれない。それは、一流のプロスポーツ選手になるのならファンサービスも重要、程度の重要さでしかなく、根幹のスポーツの腕前では、まったく、ないのかもしれない。


 そんなことを思ってアマネはただひたすらに、感動していた。


「…………やがて王は、静かに息をついた。死すべき定めのものたちが、じきに王国を満たしていく。我ら生なきものたちはいずれ、灰色の海に追いやられていく。しかし王は、その様子を思い描き、満足げに息をついた…………」


 やがて朗読を終え、数秒の余韻。


 アマネは少し目をつぶり、それに浸った。心の奥底に生まれた何かを、外に逃したくない、そう思って。


 そして、伝えなければ、と思う。


 この物語を読んで、どれだけ心を動かされたか、自分を変えられてしまったか。たとえつたない言葉でも、そうする義務があるように思えて、目を開いた。




 すると、配信画面の中でバグぴが光っていた。

 青白い光が彼の胸からこぼれ、ぴかぴか、部屋中を照らしていた。




「…………は?」

「……へ?」


 まったく予想外の出来事に、二人の口から間抜けな声が出る。


「さあバグぴさん最後の仕上げです! 呪文詠唱ですよ!」


 だがそんなことはお構い無しに、ピアは言う。


「は? へ? いや、なに、え? 呪文? 呪文て?」

「詠唱ですよ、詠唱! カッコいい詠唱の一つや二つ、あなたなら出てくるはずです!」

「どっ、どういう……あ、え、つまり、オリジナルの、呪文詠唱を考えて、言えってこと?」

「その通り! 最初は、光の球を生み出すような簡易で攻撃力のない呪文がオススメです、さあさあ! 光が消えない内に、早く!」


 この上、オリジナルの呪文詠唱をやらせるとか、ひょっとすると魔法というのは、羞恥プレイをするほど使えるようになるとか、そんなシステムなのか――


 と、アマネが思う間もなく。




 バグぴは、静かに目を閉じる。

 次の瞬間、彼の唇が動く――




Gorathゴラス, thulanスラン var-ulmarヴァル=ウルマール, 【Gurnorグルノル】〉

《灰よ、霧を越えて輝け、【光球】》




 バグぴの詠唱が響く。それは灰色海の王たちの灰色語だった。すると空間に魔法陣のような紋様が現れ、彼を取り巻いた。よくよく見るとそれはピアの入っているスマホから、空間に投影されている。七芒星を基本として、様々な図形や円弧を複雑に組み合わせた魔法陣が、バグぴの周囲で光り輝く。


「な、これ、な、え、ちょ……」

「え、ば、バグぴ? バグぴ!?」


 魔法陣の輝きで、バグぴの姿が徐々にホワイトアウトに飲み込まれ、そして――




「魔力物語総数、シェヘラザード定数の増大を確認しました! おめでとうございます、バグぴさん、あなたは今から魔法使いです!」




 バグぴの傍らに、白く輝く光球が浮かんでいた。







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