第2話 いなくなったルナ

 これは、都内のゲーム会社で働くKさんという20代の女性から聞いた話です。

 実はわたしも一時期そのゲーム会社から仕事を受けていたことがあり、窓口になっていたKさんとは、その後も懇意にさせてもらっていました。

 久しぶりにお会いしたKさんとひとしきりゲームの話で盛り上がってから、わたしが

「何か怖い話持ってないですか?人間が怖い系のでいいので」

と切り出すと、Kさんは少し考えこんだあと、語り始めました。

「後味の悪い話なんで、今でも時々思い出しちゃうんですけど…」


 Kさんはその会社に新卒で入社し、教育係として任命されたある先輩のもとで働くことになりました。

 その先輩はNさんといい、身長が小さく可愛らしい外見ながら、とにかく仕事ができる人で、男性相手にも臆することなく意見を言うしっかりした女性でした。

 業界が初めてのKさんにとって、男性が多い職場でもバリバリ働くNさんの姿は眩しく、こんな風になりたい!と思えるような憧れの存在だったそうです。

 仕事のできる女性にはありがちですが、口調が激しかったり、ミスした人を問い詰めるなどのきつい一面もありましたが、プロジェクトを円滑に進めるためには人に厳しくすることも必要なのだろう、とKさんは納得していました。


 配属されてしばらくするうちに、KさんはNさんが周囲の男性社員たちから距離を置かれていることに気づきました。

 もちろん仕事中は普通に会話をしていますが、Nさんだけランチやプロジェクトの飲み会に誘われなかったり、どこか避けられているようでした。

 Kさんはそれを知って、

「きっと仕事ができなくてNさんに注意された人たちが逆恨みしてるんだ。みっともないな」

 と思っていました。

 KさんがNさんに心酔していることを知った別の男性社員から、こんなことを言われたこともありました。

「あまりNさんに関わりすぎると、ろくなことがないよ。気をつけた方がいい」

「どうしてですか?」

 Kさんが問いかけると、男性は言葉を濁しました。

「それは、仕事はできても性格がアレだから…」

 Kさんは、それを聞いて、心の中で男性を嘲笑ってしまったといいます。

「どうせ自分が仕事ができないからって、嫉妬してるんだろうな。醜いなぁ」

 しかし、男性の言っていたことは、決して嘘ではなかったのです。


 相変わらずNさんに厳しく指導されながらも、Kさんは持ち前の我慢強さで耐えて、彼女の元で働いていました。

 するとある時、珍しいことにNさんがとても上機嫌な様子で話しかけてきました。

「ねえ、私この前子犬を飼ったんだけど、すごく可愛いよ。写真見る?」

 Nさんが見せてきたSNSの写真には、ぬいぐるみのように可愛らしいトイプードルの子犬が映っていました。

「わあ、可愛いですね!いいなぁ」

 犬が大好きなKさんがはしゃぐと、Nさんも嬉しそうでした。

「でしょ?ルナっていうの。小型犬だから散歩も行かなくていいし、手がかからなくていいよ」

 Kさんはそれを聞いて一抹の不安を覚えました。

「Nさん、一人暮らしでしたよね?日中はどうしてるんですか?」

「家に帰るまではケージに入れてるよ。留守番も10時間くらいならひとりでできるらしいし」

 生後数週間の子犬を毎日、半日近くケージに閉じ込めている…?

 Nさんが見せてくれた写真では、ケージはペットシート2枚ぶんほどの小さなもので、歩き回れるほどの広さがなく、これではルナにストレスが溜まってしまうのではないか、とKさんは心配したそうです。


 Kさんの心配は日を追うごとに増していきました。

 最初の数日は上機嫌だったNさんが、ルナについてだんだん愚痴をこぼすようになったのです。

「帰ったらフンまみれになってて、しかもそのフンを食べちゃうんだよ。汚いったらありゃしない」

「犬はそういうことはよくありますよ。ご飯の時間まで長いから、お腹が空いちゃうんじゃないでしょうか?」

「それだけじゃないの。私の携帯の充電ケーブルを噛んでボロボロにしちゃったんだから」

「感電すると危ないから、苦いスプレーをかけるといいですよ。あとは、噛みごたえのあるおもちゃを与えて、ストレス解消できるようにいっぱい遊んであげるとか」

 自身も犬を飼っていたことがあるKさんは一生懸命アドバイスしましたが、Nさんはどれも面倒くさそうに聞き流すだけでした。

「手がかからないって言われたからトイプードルにしたのに、話が全然違うじゃない」

 Kさんは、狭いケージの中で、毎日一人寂しくNさんの帰りを待っている可哀想なルナのことを考えて、やきもきする毎日でした。


 そしてついに悲しい出来事が起こりました。

 それは連休明けのある日、Nさんがルナを飼ってから半年が経とうとした頃でした。

 出社してきたNさんは見るからに不機嫌で、Kさんを見かけるやいなや、話しかけてきました。

「まったく、あの犬のせいで最悪の連休だったよ」

 Kさんは嫌な予感がしましたが、愚痴を聞きますよ、と言ってNさんとランチに行くことにしました。

 3000円の高級焼肉ランチを食べながらNさんが語ったのは、こんな話でした。


 連休初日の夜に、ルナはけいれん発作を起こして倒れてしまい、夜間救急の動物病院に連れて行ったところ、てんかんと診断された。

 てんかんについて調べたところ、完治することはほとんどなく、毎日の朝晩の投薬や定期的な通院治療をしないと、発作が再発して命に関わる、とのことだった。

 毎日決まった時間に投薬なんて無理、ましてペット保険にも入っていないので治療費もバカにならない、そう思ってペットショップに返品して、別の健康な犬に取り替えてもらおうと電話をした。

 ところが、購入してから半年経っていることを理由に、ペットショップの責任ではないと返品を断られた。

 悔しくてネットで調べたところ、診断書があれば返金されることがある、とあったため、夜間救急で行った動物病院の獣医師に診断書を依頼したが、苦い顔をされた。

 ルナは子犬のうちの健康診断も一度も受けていないし、皮膚病になりかけている。

 飼育環境が良くない場合のストレスでてんかんが発症することもあるため、先天性と言い切れない、と厳しい口調で言われて大恥をかいた。

 返品できないならいつ死ぬか分からない犬など飼えないし、保健所へ引き取ってもらってきた。

 その対応で休みがほとんど潰れてしまって、ゆっくり遊びに行けなかった。


 Kさんは愕然としてしまい、思わずNさんを問い詰めてしまいました。

「いきなり保健所って…半年間一緒に暮らしてきたルナに、何の感情もないんですか?」

 NさんはそんなKさんに、きょとんとした様子で答えました。

「だってペットって癒しをくれる存在でしょ。世話が大変になってこっちがストレス溜まっちゃったらペットの役目を果たせてないでしょ」

 そしてそっけなく言い放ったのです。

「役目を果たせないなら、仕方ないじゃない」

 それを聞いた時、Kさんは心底ゾッとしたそうです。

「この人は自分にとって価値がないと思ったら、家族の命ひとつ簡単に捨ててしまうんだなって」

 もし自分が何か大きな失敗をしたら、ルナと同様にNさんは自分を切り捨てるのではないか、という恐怖を感じたといいます。

 そして同時に、ルナを助けることができなかった罪悪感で胸がいっぱいになり、高級焼肉ランチをほとんど残してしまいました。


 その後、KさんはNさんとできるだけ距離を置くようにしました。

 そしてNさんは、Kさんが入社して4年目の秋に、教育を担当していた別の後輩が鬱病になってしまったことからパワハラが発覚し、別のグループ会社に異動になりました。

 Kさんもしばらくして転職したため、Nさんが今どうなっているかは知らないといいます。

「SNSで探したら見つけられるんじゃないですか?」わたしがそう言うと、Kさんは顔を曇らせました。

「たぶん、見つけられるとは思いますよ。でも私、SNS辞めたんです」

 Kさんの声は少し震えていました。

「だって嫌じゃないですか。もしNさんのアカウントを見つけてしまって、彼女がアップした写真に、また別のペットの写真があったりしたら…」

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