#9 兄妹バトン


 始まってしまえばあっという間のことで、いよいよ体育祭も終盤になった。

 最終種目である学年対抗リレーの一つ前に行われるのが男女混合リレーだ。

 これはその文字通りの競技内容で男→女→男→女と、男女で交互にバトンを受け渡し50mを走りきるという種目だった。


 一人目が走り出す中で俺は待機エリアで準備を整える。俺の順番は7番目。因みに言うまでもないがアンカーとかではない。


 待機ゾーンで準備を整えていると距離がたった50mというのもあり直ぐに走順を迎えた。流石に日々のランニングだけで50mの足が速くなったとは思えないし、50mで順位を上げるのは簡単ではなさそうだ。ここは手堅く抜かれないよう順位をキープしてこの想定外に努力を投じた体育祭を締めくくるとしよう。


 そう思っていると白組の鉢巻きを巻いた、俺の前走の女子学生が走ってくる。

 というか玲じゃん。お前同じ競技に出てたのかよ。しかも走順が前後ってどういう運命? 誰かの嫌がらせか?


 バトン受け取る時に罵詈雑言が浴びせられるんだろうな、と若干欝になりながらも玲のペースに合わせてそろそろ助走を始めようかと考えていると、玲がバランスを崩した。どうやらグラウンドに落ちている石か何かに躓いたようで、つんのめった態勢を取り戻せずそのまま前に倒れた。その間に緑組と赤組の走者が玲の横を颯爽と走り抜けていく。


 大丈夫かよ……見た感じはちゃんと受け身取ってそうだから怪我はないだろうけど。


 玲はすぐに立ち上がった。ただし俺の見立ては外れ、右足を引き摺りながら痛々しい歩き方で残り10mを走り切ろうとしている。

 転んだ時に足首を捻ったっぽいな。そこそこ痛むようで、右足を動かすたびに顔を引きつらせて、目の端には涙を浮かべている。


 ……ったく、見てられねえよ。げんじつの癖に手を焼かせやがって。

 つい口を出す。

 

「怪我が悪化しないようにゆっくり歩けよ」

「……っ! アンタが気にすることじゃない!」

「かもな。でも今のお前見てられねえんだよ」

「は、はあ……!? 今更そうやって兄貴面やめてよ!」

「うるせえ、自分のことだけ考えとけ」


 相変わらず腹が立つ妹だ。冬佳がどれだけ健気で利口で良妹であるかを思い知るよ。こんな妹ほったらかして、さっさとバトンを奪い取って後は適当に走って終わりでも本当は良いんだぜ。

 だがな───俺は兄貴なんだよ。

 兄貴が下の面倒を見てやれなかったら失格だろうが。


 歪な歩き方で俺へと玲はバトンを渡す。


「頑張ったな。後は俺に任せろ」

「……っ」


 こりゃ後でたんまり罵倒されるな。慣れてしまった自分が恐ろしいぜ。


 そんな事を考えつつも手短く言葉を投げ掛けてスタート。前傾姿勢になって一気にトップスピードになることを試みる。

 玲を抜き去った緑組や赤組と俺との間にある距離は大体コースの1/4程度。ここから巻き返すのは簡単じゃない。それでも吐いた言葉は呑み込めないもんな。玲に任せろと言っちまったからには本気でこのディレイを取り戻してやらねえと……!


 チラリと前を確認する。赤組の走者は流石に早いが、幸い緑組は運動部じゃないようだ。走り方が成ってないし一歩一歩の踏み込みにばらつきがある。運動習慣が無い奴なんだろう。

 せめてコイツくらいは抜かしてやる!


 そこからはもう無我夢中だった。

 先程の1000mの時みたいにショートカット紛いなことはもう出来ない。

 地力勝負。信じられるのは俺自身のこの2か月のルーティンだけ。


 50mは本当に一瞬だった。

 リードを始めた第6走者の女子生徒に白いバトンを渡して、コースから外れる。横を見れば緑組の走者が丁度バトンの受け渡しを行うところだった。

 

 抜けたのか俺。あの状況から、少なくとも緑組の走者を。


 ……いや勝利の余韻に浸ってる場合じゃなかったんだったな。


「玲、足は大丈夫か?」


 先程のスタート地点で仰向けに休んでいた玲に俺は声を掛けた。玲は顔だけ俺へと向ける。

 玲は俺の言葉を無視して、代わりに山に住む妖怪にでも向けるような視線を送ってきた。


「……何でよ」

「はあ?」

「何であんなことを言ったのよ」


 意味が分からない。

 あんなことをって言われてもそりゃ兄貴として当然だろうが。幾ら玲が妹としてポテンシャルがマイナスを突き抜けていて冬佳の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらい酷い有様だったとしても、それが妹の面倒を諦める理由にならねえのよ。

 本心を明け透けと言うのは癪だったので俺は返事の代わりに体操着から覗いている玲の足首を人差し指で突いた。


「うあっ……!? なにすんのよ!」

「悪い悪い。状態を知っておきたくてな。ともかくほれ、肩を貸すぞ。そんな足じゃすぐに歩くのは無理だろ、保健室に叩き込んでやる」

「余計なお世話……って聞いてんの!?」

「はいはい痛いの痛いの飛んでいけー」


 赤くは腫れてないが時間の問題なのかもしれない。

 右足に注意を払いながらも、無理矢理に手繰り寄せて俺は玲の半身を支えてやる。

 こんなとこで寝てても良くならないんだから一人で倒れてないでさっさと保健室で手当て受けろこのアホ。


 しばらくは反抗気味に耳元で雑音を撒き散らしていた玲も校舎内に入る頃には大人しくなった。

 いつもこうやって大人しければ俺も楽なんだけどな。

 そんな事を考えていれば玲がポツリと言う。


「……ねえ、一つ聞きたいんだけど」

「先月もなんか似たこと言われた気がするぞ俺」

「良いから聞かせて。なんで潤戸さんとアンタが一緒にいるのよ。それもここ最近は頻繁に」


 弾かれた弦みたいに玲の声音が不安定に揺らいでいた。

 先月聞かれた時はまだバレてなかったけど、そうか。流石に金髪の女性……冬佳が俺らの従姉であると分かったのか。


「アルバイトが同じで仲良くなったんだよ。趣味も似てるしな。友達ってやつだ」

「そうは見えなかったんだけど。昼もあんな引っ付いて」

「見てたのかよ……」


 いつの間に。

 それにしても危なかった、もし膝枕でもされていようものなら流石に今ここで釈明の余地が無かった。


「何を勘違いしているかは知らんが普通に友達だ」

「嘘でしょ」


 即答してきた。

 どうやら玲なりに確信しているようだった。女の勘ってやつなのかもしれない。何か嫌だな、妹に向かって女の勘とか言うの。

 ともあれここは証拠を握られていない以上誤魔化すしかない。


「お前な、相手は従妹だぞ?」

「法律上は問題無いでしょ。なに、付き合ってるの?」

「んなわけないだろうが」

「今更隠さないでくれる? そういうアンタの陰険なところ大っ嫌い」

「ほれ、保健室着いたぞ。ここから先は自分の足で行けるな?」

「…………。」


 玲は何か言いたげに俺を睨んだ。

 ま、ここまで運んでやったんだ。これ以上付き合う理由もないだろう。兄貴に同伴されても玲も居心地悪いだろうしな。


「じゃあ俺は戻るから。気を付けろよ」

「ちょっと待って」

「なんだよ」


 俺を呼び止めた玲は眉間に皴を寄せて、喉から押し出したかの如く苦しそうに唇を戦慄かせる。


「体育祭競技全部終わったあと、学校裏来て。潤戸さんと一緒に」


 はい?

 なんたってそんなそんな約束を……。


 俺が何かを言う前に玲はさっさと保健室の中へと入って行ってしまった。

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