バイオレンス・ワンス・モア

立談百景

バイオレンス・ワンス・モア


 はじめは小さな暴力だった。

 五歳の頃、隣の家に住む一つ年上の男の子と一緒に公園で遊んでいると、突然、頭を小突かれて私は大声で泣いてしまった。その子のお母さんは私に謝ってくれたけど、その子は私に謝らなかった。

 その次の暴力も小さかった。

 その子とはもう遊ばなくなって、ひとりで家で遊んでいる時に、お母さんから頭を叩かれた。私がジュースをこぼしたせいだった。ジュースをこぼしたことは叱られたけど、お母さんは思わず手が出てしまったことを謝ってくれた。

 それからも小さな暴力は私に降りかかった。叩かれ、押され、蹴られ、つねられ、また叩かれ、それは家族から、友達から、ただの知り合いから、それらは降りかかった。

 いじめや喧嘩も縁遠い。私はただ静かに過ごしているだけだ。十歳になり十四歳になり十七歳になったいまでも、私はただ平穏に、波風を立てることなく過ごそうとしている。私が冗談を言うと、ツッコミみたいに叩いてくるやつ。体育の授業で強めに身体をぶつけてくるやつ、スキンシップだと言って挨拶代わりに頬を柔くつねってくるやつ。それでもなおクラスの彼ら彼女らは私の友人だし、優しく、仲良くしてくれている。

 そしてどうやら分かった。私は、たちらしい。

 はっきりした物言いも苦手だし、背も声も小さい。おどおどしては……いないと思うけど、自分でも大人しい性格だと思う。何を言われても言い返さないし、何をされても嫌がらない。

 そして、そして――私はその暴力たちを、甘く甘く、好んでいたのだ。

 叩かれている自分が好き。叩いてくる人が好き。つねられている感覚が好き。つねってくるやつが好き。小さな暴力を私に振るうひとたちが、愛おしそうに私を見つめるその目が好き。私とあなたは共犯なのだと、目と目で通じ合うのが、好きで好きでたまらないのだ。

 しかし誰も、私に小さな暴力のそれ以上を振るおうとはしなかった。

 私は次第に小さな暴力には満足できなくなっていた。もっと暴力を。もっともっと暴力を。私はその誰にも言えない欲求不満を抱えるに至った。

 けれど人は誰しも、暴力を振るいたいわけではない。いつものクラスメイトたちに甘えるようにしてみても、私への暴力は増えずに小さく留まる。

 私は祈るような気持ちで、自身に暴力が降りかかるのを待っていた。


 思いがけない事件が隣のクラスで起こったのは、そんな時だ。

 いつもいじめを受けていたハラさんという女子が、その相手に反撃をしたというのだ。それは小さなもので、髪を引き倒された後、起きざまに相手を強く押し倒したというものだった。

 そして反撃を受けると思っていなかったいじめグループの一人が、カッとなってハラさんを殴り返した。

 その一撃が切っ掛けだ。それまでハラさんに続けていた分かりにくい嫌がらせは、その時から明確な暴力行為へと変化していった。足をかけられ、鞄を投げつけられ、腹を殴られ、集団で頬に張り手を受け、ハラさんのキズはどんどん増えていった。

 ハラさんへの暴力は人目も憚らず行われた。

 しかしハラさんは、そのたびに反撃を繰り返した。弱い弱い暴力で、強い暴力に立ち向かった。

 ――私がハラさんと、ハラさんへの暴力の間に立ったのは、たまたま私がその現場に居合わせた時だった。

 昼休みの人の少ない渡り廊下、ハラさんが殴られようとしたところに、私は思わず割って入った。

 殴ろうとしてたのは、体格のデカい運動部の坊主頭だった。名前は知らない。広げたら私の顔より大きいだろう、その拳。それはハラさんの前に飛び出した私の顔面の鼻っ柱を、確実に捉えた。

 めきっ、と嫌な音がした。目鼻がジュッと熱くなった。視界は一度真っ暗になったあと、チカッと眩しく光った。足が浮き、背後のハラさんの身体にぶつかり、私たちはそのまま尻餅をついた。

 誰も彼も、何も分からず、がそこにある。

「――なんだ、てめぇ!」

 口火を切ったのは坊主頭だ。私は再び立ち上がり、ハラさんを庇うように前に出て、拳を握る。

 そして私はその小さい拳で、坊主頭の腹を思い切り殴った。

 手応えは、全くない。

 私の拳が痛んだだけ。力を入れすぎた肩が変な感覚になる。

 これが私の――はじめての、暴力。

 次の瞬間、坊主頭の張り手が、私の頬をはたいた。耳が遠くなったような感覚があり、私は廊下に倒れ伏した。いじめグループが私を取り囲み、そこからは——よく憶えていない。

 気付くと私はハラさんに膝枕で介抱されていた。

「あなた、私を助けてくれたの?」

 私を覗き込むハラさんの顔にどうして?と書いてある。

「なんかほっとけなくて」と私は答えるが、これは嘘だった。

 ――私は、ハラさんの振る舞いを見て気付いたのだ。

 

 暴力は、連鎖する。

 だから私の拳は、私を暴力の的にした。不思議な充足感。これこそが、自分が求めている暴力だった。

 次は私だ、とそう思った。

 祈りが通じたと思った。

 けれど暴力は思わぬ連鎖を生む。

 私が暴力を受けたことに、私の友人たちが報復に出たのだ。いじめグループは私の友人たちと抗争状態になり、元々治安の良くない学校で、それはどんどん広まった。いじめグループに立ち向かうその姿はハラさんのクラスの人たちも焚きつけ、ハラさんや私はいじめの被害者としてむしろ暴力から遠ざけられてしまう。いじめグループは暴力でこれに対抗し、後輩や別のクラスの人間を暴力で従わせて徒党を組む。ハラさんへのいじめを中心とした暴力は、私を発火点として学校中を巻き込む大抗争に発展したのだ。

 学校は荒れ、授業もままならない日が続き、学校の至る所で殴り合いが行われる。全ては私とハラさんを守るという大義名分と共に。


 暴力にまみれた学校で、私とハラさんは体育館のステージの上に座っていた。

 体育館はいま、もはやなんのために抗争をしているのか分からなくなった人間たちが、教師も生徒もひっくるめて最後の大闘争を始めたところだ。

 学校の全ての人間が敵も味方もなく、ただ暴力に染まっている。拳で、脚で、竹刀で、バットで、角材でメリケンサックで、頭突きで、寝技で、投げ技で、柔道で、空手で、皆が皆、己の暴力を他人にぶつる。体育館の床に、壁に、血糊が飛び散る。ひとりまたひとりと、体育館の寂びた木の床にその身体を沈めていく。

 立っている人間が減り、少しずつ、少しずつ、体育館は静かになる。

 やがて最後の二人が、お互いをパイプ椅子でしばきあって、同時に倒れた。

 静寂の体育館に、私とハラさんだけが、離れたところでそれを眺めていた。

「終わったね」と私は言う。

「そうだね」とハラさんは答える。

 しばしの沈黙。暴力のあとには、いつも静けさがある。

「――こんなつもりじゃなかったんだけどな」と、ハラさんが小さくそう言ったのを、私は聞き逃さなかった。

「……どういうこと?」

 するとハラさんは、私の目をジッと見て、優しそうに笑う。

「あなた、きっと私と同じなんでしょう」

「…………」

「あなたも――暴力を求めてたんでしょう」

 それは、少し諦めを含むように聞こえた。

「いじめられるように、仕向けていたの。少しずつ、みんなが私をいじめたくなるように、弱いところを見せて、私のことをいじめたくなるように、イラつかせてムカつかせて、暴力を誘引していた――でも、あなたが来た。暴力を呼び込む、が来たんだって、そう思った」

 ハラさんは、私の頬をつねる。

 私もハラさんの頬をつねってみると、笑いながら「もう」と言って、手を離した

「失敗しちゃった。私はうまく出来なかったけど、次はうまくやってよ。私の二の舞にはならないで」

 ――さあ、。とハラさんは言った。

 体育館の真ん中、ハラさんは私を招くように両手を広げる。

 と、私を見る。

 次の暴力を。次の次の暴力を。

 終わることのない暴力のために、なぐれ、なぐれ、なぐれ――なぐれ。

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