第13話 先代、当代
有馬の本邸は一族が守るべき霊峰有馬山の中腹にあり、当主である由貴が在宅していない関係上、出入りする人間はほとんどが先代の関係者ばかりだった。
門前に堂々と車を停め、出迎えも待たずに門を開ける。由貴にとってこの家は幼少の頃の悪夢を煮染めたような場所である。普段から愛想に欠ける顔が、今は一層の仏頂面を見せて早足で邸内を歩いていく。
「これは当主様、突然のお帰りで」
廊下の角から先代の使用人のまとめ役である雁屋が顔を見せた。高天傍流の士族であり、油断のならない人間であることを由貴は知っている。
今もとぼけた言葉を発しているが、由貴の帰りは門をくぐった時点で分かっているはずだ。仮にも大士族に仕える人間が、その程度を察知できないはずがない。
「少しな。先代はいるか?」
「書斎にこもっておられます」
「分かった。案内はいい」
手で案内を制して、そのまま歩く。書斎の前まで来ると、襖越しですら存在感が感じ取られるほどの威圧感が滲み出ていた。いや、由貴の訪問を知ってわざとそうしているのだろう。
「先代。現当主の由貴だが」
「入れ」
短いやりとりのまま、襖を開ける。右袖がだらりと垂れ下がった中年の男が書見台に本を置いたままこちらを見ていた。右腕を喪い、家督を譲ったとはいえその気力は健在であり、近衛軍装に身を包んだ息子に対していささかも怯む所がない。
勧められる前に勝手に座布団を取り、適当に敷いて座る。家柄からすれば考えられないほどの不作法だが、家督を継いだ後の由貴は先代の前では常にこうした態度だった。
それはあるいは、今でも続く反抗の表れなのだろう。いついかなるときでも常に大士族たれ、という幼少の教育への子供じみた反抗の意志なのだ。
「俺は今、こちらの客人、アルテミシア・ル・ヴァナ・カリファートが御神楽に逃げ込んだ賊を追っている。そいつは近衛にも損害を与えた。だが、調べてみるとそいつはどうやら御神楽に内通者を持っているらしい。単刀直入に言おう、先代――」
「私が関わっていないか、か?」
機先を制されて、不機嫌そうに頷く。先代はそのまま書見台に目を落とし、ぱらりと紙面をめくる。アルテミシアの方は見もしない。
「逆に聞きたいが、なぜ私が関わっていると思うのだ?」
「内通者の工作が深すぎる。明らかにある程度以上の権限を持っている人間のやり方だ。俺、というより近衛に小細工を仕掛けて俺の立場を悪化させようとしているとの推測だ。それにたった今、この屋敷への途上で襲撃を受けた」
あまりにもあけすけな物言いに、先代がちらりと由貴を見やった。アルテミシアもいくらか驚いたように由貴の横顔を見つめている。
「確かにお前のことは好んでいない。どこをどう間違って教育したのやら、その顔を見ると虫酸が走る。今でも廃嫡して新しい子を儲ける機会があればそうするし、もはや親子の情など互いに求めてもいない。だがな」
ぱたん、と本が閉じられる。次に向けられた眼光は昔と少しも衰えておらず、幼少の頃の由貴を震え上がらせた光そのものだった。じわり、と由貴の中に厭なものが蘇る。にわかに、鼓動が早くなるのを感じる。
アルテミシアが口にする魂という言葉を使うのならば、まさしく由貴の魂には先代への恐怖が根付いている。物心ついた頃から士族の教育として施されたそれが、他でもない父親と相対することで蘇ってくる。
それでも、由貴ももう怯えきっていた子供ではない。真っ向から視線を受け、睨み付けるかのように眼を眇めた。視線に牙があれば、互いに食らいついているような親子の会話だった。
「大士族の誇りというものをあまり舐めるな。確かに私はお前を追い落としたい。だが、それは有馬という家の中での話だ。保護すべき民草、子である士族に損害を与えてまでやるべきことではない」
言葉だけを聞けば、大士族の見本のような台詞だった。それを聞き、しかし由貴は親を睨みつける。
「お前が私のせいで大士族というものを尊重していないことは知っている。だがな、それでも大士族には譲れぬ誇りというものがあり、ゆえに永の歴史を経て存続しており、それらは民草や子を守るものである」
「子、ね。それに俺は含まれていなかったようだが」
「それは私の不徳だ。子を御しきれなかった親の、な」
ぎり、と歯を軋らせる。憎悪、怒り、不信、恐怖がない交ぜになった感情が眼に宿り、先代の顔を撫でた。だが年の功か実力か、先代に揺らぐ気配はない。
ただ、アルテミシアだけは由貴の顔から一抹の悲しさを感じ取っていた。この場の誰よりも第三者である彼女だからこそ感じ取れた揺らぎだった。
同時に、アルテミシアは痛ましく思う。親子でそんな顔をしなければならない、この二人の関係性を哀しく思ってしまう。
「先代にとって俺はどこまでも道具なんだな。それで親子とはよくいったものだ」
「大士族にとって、家柄の存続と教育は親子の情に勝る。それを見誤ったからこそ、お前と私の今の関係がある」
「今の関係か。確かにこれは先代の不徳だな。俺にそれを理解させることができなかったのだから」
冷たく言い放って由貴は軽く首を振った。このようなやりとりはこれまでに何度も繰り返しており、そのたびに平行線を辿るだけだった。
「ふん、まあいい。取り敢えずはその言を信じるとしよう。邪魔をしたな」
来た時と同じく、唐突に立ち上がって部屋を出る。シロが続き、慌ててアルテミシアが立ち上がる。
「カリファート嬢、由貴はどうだね?」
背中にぶつけられた思いもがけない問いに、アルテミシアは一瞬固まった。振り返って先代と視線を合わせると、予想外の光がそこには宿っていた。暖かな、とは違う。しかし、単純な敵意ともまた違う光だった。それがどういうものなのかは、アルテミシアには分からない。
「まだ一日二日の付き合いですが、彼が有能なのは間違いありません。確かに大士族という、ヴァリターナ騎士である私には思いもよらない家柄を好んでいる風ではありませんが、否定しているわけでもありません。彼は……そう、頼りになると私は思っています」
なぜだかその光を見て、正直に答えてしまう自分を自覚する。初対面の人間に内面を吐露することなどほとんどないのに。
そうしてふと、由貴も先代もお互いに忌み嫌いながらも、どこかで繋がりを求めている。傷つけあいながら、なにかを持ちたがっているのではないかと思う。おそらくそれは二人共に自覚できず、言葉で明確に表せないものだろう。
さきほど見せた揺らぎはそれが原因ではないか。そして、それこそが血縁というものなのだ。もっとも、それを由貴に言っても冷笑されるに違いないが。
「ふむ。いや、ありがとう。捜査の早期決着を祈っているよ」
それだけ言うと視線を書見台に戻す。開かれていない本を眺める先代に、アルテミシアは丁寧に一礼して退室した。
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