第2話 襲撃、喪失
ヘッドライトを消した車で近づき、出口を封鎖。容疑者たちの車にはすでに刑事が張り付き、そこに居た見張りの身柄は確保されている。突入の準備は滞りなく完了した。
私服の刑事たちの中心に黒色軍装の由貴と優佳が立ち、取引が行われているであろう廃工場を睨み付けていた。
『こちら
現場を監視している天満中尉からの無線。有馬の分家筋で、索敵に優れた神霊力を備えている。能力の高さは評価すべきものであるが、いささか軽口が過ぎるのが欠点であると周りから認識されている男だ。
由貴も無線を手にとって、返答する。
「こちら有馬。もう少し詳しく探れるか?」
『やってみます。ちょいとお待ちを』
天満中尉が神霊力を発揮したのだろう。無線越しに集中する気配が感じ取れた。
神霊力。それがこの場にいる刑事たちと、近衛の軍人たちを決定的に区別しているものだった。そして、その二者が御神楽という国を形成している人間たちでもある。
すなわち、神霊力を持つ士族と、持たない市民。その成り立ちは古い。
巫から生まれ出でた十人の御子が士族となって各々の神霊地を守護し、そこに市民が集って社会が形成されて、やがて国が成された。御神楽と国の名が定められてから年月が経つと、次第に市民と士族が交わって多くの分家が派生するようになった。
よほど血が薄くない限りは分家の人間も神霊の片鱗を操れるために彼らも士族と呼ばれ、それは年を経て十の宗家を大士族、分家筋を士族と区別するようになる。やがて士族も市民も増えていき、力あるものの国家として御神楽は隆盛していった。
『ん……見えました、人数は双方で十五人前後。奥にいる首謀格の側に控える二人は刀を持った士族です。どうぞ』
士族、という言葉に由貴が眉をしかめる。近衛が出動する時点で分かっていたことではあるが、大士族として士族が犯罪に関わっているのには気分が良くない。
士族とて人間であり、そして人間は罪を犯す。分家筋である士族が増えてくると士族の中でも犯罪が増え、彼らの多くは市民階級の犯罪者と結託してその神霊力による我が世を謳歌した。
士族の神霊力を持つために市民の組織である警察では対抗しきれず、ゆえに士族によって形成される近衛という組織が誕生した。
近衛――正式名称は
部隊名の頭に大士族の名前がつくように、大多数の人員が士族階級で占められ、士族による犯罪への強烈な抑止力となっていた。警察の要請があれば一般犯罪の捜査にも協力しており、一般市民からの信望もそれなりに厚い。
また、士族の能力に老若男女の違いはないため、本人と保護者さえ望めば由貴のような若年でも近衛に従事することができる。もちろん、由貴の場合には神霊地を治める大士族、有馬の当主という立場も無関係ではない。
帝である神楽、その下にある十の大士族、そして無数の士族と数え切れないほどの市民。それらが御神楽と呼ばれるこの国を形成している人間たちの全てだった。
「士族の誇りも忘れ去った馬鹿どもめ」
無線に聞こえないように独りごちる。だが、士族の現状を嘆いていても仕方がない。由貴はいったんその気持ちを端にやり、無線を口元へと寄せた。
「こちら有馬。了解した。今から突入する。天満中尉はそのまま封鎖線を維持。御剣少尉、そちらはどうか?」
無線を切り替え、別の封鎖人員に呼びかける。そちらは御剣優佳大尉の妹、
『こちら御剣。周囲に異常なし。どうぞ』
「有馬了解。天満中尉と連携して封鎖線を維持せよ。終わる」
側で待機していた鞍馬刑事に頷く。刑事は手信号で部下を集め、入り口へと忍び寄っていった。優佳と由貴、そしてシロもすぐ後ろについて行く。
「動くな! 警察だ!」
入り口からの怒声と共に点灯するヘッドライトと赤色灯。そして突入していく人員。突然の事態に中にいた人間は慌てふためいてまともな対応をしておらず、てんでばらばらに逃げ出しては片っ端から確保されていた。
怒号と悲鳴、そしていくらかの争いの音の中で、比較的落ち着いた集団を見やる。明らかに他と違う身なりの男が二人と刀を持った男が二人が脱出路を探りながら動こうとしていた。
それが天満中尉が索敵した、この場における重要人物とその護衛役の士族なのだろう。優佳と由貴は迷うことなく突っ込んでいく。
「御剣大尉は右、俺は左をやる。シロは後ろの男を確保。かかれ!」
身なりのいい男たちを護って男が刀を構える。優佳も由貴の号令によって刀を抜き、苛烈な一撃を叩き込んだ。金属の噛み合う音が真夜中の廃工場に響く。初手を防がれた優佳は、続けざまに大刀を打ち込み続ける。
一撃で決まらなければ二撃、二撃で決まらなければ三撃を。それでも決まらなければ決まるまで撃つ。単純にして明快、ゆえに強靱。それが御剣家の剣法だった。
士族の神霊力は多種多様であり、一見でそれと分からないものも少なくない。その中で誰もが持ちうる基本的な力は感覚の拡大、身体能力の増大というものだ。だからこそ神霊力の弱い士族ですら警察の手に余り、近衛が組織されたという経緯がある。
御剣の神霊力は身体強化の極みを旨としており、それは桐原の宗家に追随するものでもある。
「ィイイヤアアアアッッ!」
獣のような咆吼と絶え間のない連撃に、男の体勢が崩れる。渾身の力で放たれた一閃が刀を吹き飛ばし、次いで翻った刀が男を打ち据えた。峰打ちであるが、その一撃は速く重い。鎖骨を砕かれた男が呻きを上げてその場にくずおれた。
すかさず追撃の蹴りをみぞおちに決める。やり過ぎとも見えるが、士族の身体能力はそこまでやらないと無力化できないということでもある。
「士族の男、一人確保!」
優佳が報告する傍ら、由貴も刀を抜いて男に迫る。だが、優佳のように苛烈でも気合いを発するでもない。ただだらりと脱力しきって剣先すら地面に向けられ、目線だけは男に据えられたまま無言でするりと相手に近づく。
「そこ、刺すぞ」
挨拶のように告げながら、ついと黒塗りの刃を差し出す。男が戸惑うようにその刃を受けようとした瞬間、剣先が円を描いて上腕部を切り裂いた。
「ぐあっ!」
「ほら、次だ」
位置を変えて追撃の逆袈裟。肩先をえぐった刃を翻して突きを入れる。決して早いわけではない、力強いわけでもない。だが、なにか不可解な間合いと共に刃が滑り込んでくる。一撃を辛うじて受け止めた男が、焦りを隠さずにじりじりと下がる。
優佳の技が真っ直ぐなほどの正道であるならば、由貴の技は全く不可解な邪道だった。ために容易に手が読めず、相手の困惑がありありと現れる。
再度の踏み込みで繰り出される刃が、肉を斬る。修羅場を経験し、それなりに手練れであるはずの男が、まるであらかじめ演出が決まっている剣舞かのように刃を受け、なす術もなく押されていく。
「何をやっている! 俸給分の仕事をしろ!」
シロに睨み付けられた身なりのいい男が、怯え混じりの怒声を飛ばす。男がそれに気を取られた瞬間、由貴はすでに懐に潜り込んでいた。
全く気配を感じさせなかったその歩法に驚愕させる間もなく、柄頭を腹部に打ち込んで頭を下げさせ、顎への一撃を浴びせて昏倒させる。
「こちらも確保。他に士族はいないな?」
油断無く辺りを探るが、潜んでいる敵はいないようだった。それを察して、ゆっくりと刀の切っ先を下げる。視線の先にいた身なりのいい男たちが、びくりと身を竦ませた。
一連の攻防の間、男はまるで素人であるかのように攻撃を受け続けた。しかしそれは決して男の未熟さを示すものではない。有馬の神霊力である隠匿と、シロから学んだ獣の技術がその原因だった。
身に付けているもの、気配、動き、あるいはその全て。それらを神霊力を持って
派手さはないが、有用な神霊力でもあった。刃を黒色に染めるなど、装備品への工夫もそれを助けている。
そして、シロという神霊獣の狼から会得した野生の技術は独特の歩法と組み合わさり、戦いが得意とはいえない歴代の有馬の中では飛び抜けた戦闘力を持つに至っている。
「護衛を雇うのなら、もう少しまともな腕の者を雇うべきだったな。まあ、今さらの話だが」
鼻を鳴らして由貴が言う。丸腰に見える男の前でも、刀を持つ手に油断はない。身に付けた技術と慢心のない心持ち。それが由貴の持つ武力であった。
元々、有馬は隠匿という特性を生かして、隠密などの諜報員を養成して情報収集に長けている大士族だ。分家にはそれのみを目的とした士族もあるし、決して武力が表に出るような神霊力でもない。そういう意味では現当主の由貴は異端ともいえた。
「近衛衛士隊大尉、有馬由貴。麻薬取締法違反、士族法違反により貴様らを逮捕する」
「あ……有馬の当主が……」
有馬の名を聞いて、身なりのいい男たちががっくりとうなだれた。大士族の家名は一族以外には名乗ることが許されないものであり、ゆえにその名で自分たちの逃げ場がないことを確信させられたのだ。実際に、牙を剥いて唸りを上げるシロに立ち塞がれて動けないという理由もある。
護衛の男たちを士族用に強化した手錠で捕縛し、身なりのいい男たちは警察側に確保させる。取り調べは合同で行われるが、確保時は士族と市民階級で分けられるのが慣例だった。
「こちら有馬。廃工場の中は制圧した。封鎖線の状況はどうか?」
『こちら天満。周囲異常なし』
『こちら御剣、異常――っ』
「御剣少尉、どうした? 応答しろ、少尉!」
ざりざりという雑音と、悲鳴。そして戦闘の音。剣戟となにかが打ち倒される音が無線越しに伝わってきた。無線のチャンネルを切り替えても、誰も応答しない。
「少尉、応答しろ! 少尉っ! ……糞! 御剣大尉、御剣少尉の部隊が何者かに襲撃されている。君は増援にいけ。天満中尉の部隊からもいくらか人数をよこす。こちらが片付いたら俺もすぐ行く」
「了解」
無線を切り替え、天満中尉の部隊にその旨を告げる。すでに優佳は駆けだして夜闇に消えていた。手際よく指示を出しながら、シロを見やる。
「シロ、御剣少尉の辺りからはどんな匂いがする?」
「敵の匂いはしない。相変わらず少尉たちの臭いだけだ」
「どういうことだ?」
シロの鼻は神霊獣ということもあって、かなり的確に物事を嗅ぎ取る。近くにいればその変化から感情の機微すら読み取るし、あらかじめ覚えていた匂いと区別すれば今のような敵味方の判別すらできる。そのシロが嗅ぎ取れないというのはかなりの異常事態だった。
「わからない。なんらかの方法で臭いを消しているのかも知れない。たとえば由貴のような隠匿術などで」
その言葉に、由貴が顔をしかめる。有馬家の当代でありながら、由貴は先代と険悪な関係だった。二年前に家督を継承した時の事件がそれを決定的にしており、以来先代である父親は由貴を抑えつけようと躍起になっている。
通常で考えれば大士族にあるまじき醜聞ではあるが、当代の由貴が振るう采配に隙がないので大きな問題にはなっていない。だが、先代が自分に仕掛けてきたとしたのなら。近衛の線から抑えつけようとするかも知れないというの容易に想像できた。
だとすれば、自分も直ちに向かわなければならない。
「なにかあったのですか?」
「封鎖させていた部隊が襲撃されています。鞍馬さんたちはここを確保したまま、近衛から連絡があるまで待機して下さい。士族の男の拘束は終わっていますが、目を離さないようにお願いします。自分も現場に向かいますので、失礼。シロ!」
言うなり士族の男たちを隅にまとめ、駆けだしていく。言葉が丁寧なのは、近衛と警察が別組織のためである。士族犯罪に関しては近衛は常に警察の上位に位置するが、由貴は丁寧な態度を崩さない。
それは若年にして近衛大尉である由貴が身に付けた如才のなさでもあるし、力を持たない市民階級でありながら士族犯罪の取り締まりに協力してくれる彼らに対する敬意でもあった。そしてそれらは、優佳によって教育されたものだ。
外に出て、シロが先行する。夜闇の中でもその神霊獣たる白色が目を引き、迷うことはない。すぐに待機場所に到着するが、数人の隊員が倒れているだけで、御剣姉妹の姿はどこにも見えなかった。
「っ! 匂いが増えた! 一人、速い奴がいる!」
鼻をひくつかせたシロが駆けていく。それに追随していくと、ようやく人影が見えた。
血を流して倒れ伏す御剣愛佳。その傍らに立つ金髪の人間と、その手に持った真っ赤な剣に刺された――。
「貴様ァァァァッ!」
喉から絶叫を迸らせて、由貴が突っ込む。剣士は臆した風もなく剣を抜き、刺さっていた優佳をこちらに放り投げて逃走を開始した。
優佳を受け止め、その異様な軽さに驚愕する間もなく、懐から棒手裏剣を取り出して投げ付けた。士族の膂力によって投擲された手裏剣は風を裂き、剣士を狙う。
背後からの夜闇に溶ける黒塗りの手裏剣を、しかし剣士は後ろも見ずに剣を振るう。赤の剣閃が夜闇を不気味に切り裂き、手裏剣を全て叩き落とした。
「シロ!」
シロが猛然と追撃するが、驚いたことに剣士は狼の脚力に勝るとも劣らぬ速度で視界から消えていく。人の足ではたとえ士族といえども追いつきそうにはない。
「御剣大尉――」
大丈夫か、と言おうとして言葉が途切れた。腕に抱いた軽さ、そして触れた肌の冷たさが彼女の死を鮮明に告げていた。
刺された部分からは血の一滴もこぼれていない。だが、彼女はもう話すことも笑うこともしない。ただ青ざめた顔が虚ろな目を開き、胸の穴から命だけがこぼれ落ちていた。
馬鹿な、という声すら漏れない。ひゅうひゅうと漏れる自分の呼気だけが今の有馬由貴の全てだった。
唐突に、様々な思いが脳を駆け巡る。着任当初の教育で叱咤されたこと。有馬家当主というこちらの立場に全く物怖じしない態度。執務の合間にかわされた他愛のない会話。いつも差し入れてくれていた手作りの茶菓子。
それらを噛み締めながら、意味もなく優佳の手を握る。その小ささに彼女が女性であるということを改めて実感し、その命の喪失に震えた。
別れの言葉も余韻も感慨もその全てがなにもなく。
御剣優佳大尉は死んだ。
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