Chapter 2 From Trash to the Nuts

– Because We Must Play the Cards We’re Dealt

(だって、配られたカードで戦うしかないんだから)



もう一度、座ることにした。


負けたからじゃない。

勝ちたいからでもない。

ただ――配られたカードを、見てみたかった。


世の中には、自分の意思とは関係なく配られるものがある。

運命とか、責任とか、そして……裏切りも。


かつて、芭蕉はすべてを“読み”で制してきた。

会社の経営も、部下の感情も、家庭の空気も。けれど、一手、間違えた。


見えたはずの未来が、見えたまま崩れていった。信じた結果、全てがマックされた。

まるで、リバー最後で逆転されるように。


それでも、こうしてまたテーブルに戻ったのは、

あのときの自分に、まだ少しだけ悔いがあるからかもしれない。


あのとき、選んでいれば運命は変わったのか?

答えはわからない。

でも、いま目の前にはチップがある。

そして、カードが配られようとしている。


芭蕉は、スマートグラスをそっと押し上げた。

フレームの奥に、淡い光が一瞬だけ揺れた気がした。


───


「おう、また来たんか。ティルトぎみの芭蕉ちゃん」


カジノの片隅、空調の低い唸り声とチップの軽い音の中で、

マスターKの声だけが、やけに生々しく響いた。


シャツの襟は汗にじみ、ネクタイは曲がったまま。

顔は笑っていたが、目は笑っていない。

彼はまるでこのテーブルの支配人であるかのようにこちらをみる。


「どうせ、また“ええ手”ばっかり信じてるんやろ?」


芭蕉は何も答えなかった。

代わりに、テーブルの中央でディーラーが手を動かす。


2枚のカードが滑ってきた。

A♠ Q♠


悪くない。いや、むしろ強い部類だ。

「レイズ、300点」

標準的なオープン参加表明


マスターKはチップをなぞりながら、にやりと笑った。


「コールだけ、しといたろ」


ディーラーが最初の3枚のカードを開く。


いつも通りHUDが瞬時に状況を表示する。

《ハンド:A♠ Q♠ 》

《フロップ:T♣ 5♢ 7♡ / ハイカード》

《ポット:850 / 残スタック:19,700 》


ミス。何も引っかかっていない。


マスターKはチェック。

芭蕉はHUDを少しだけ確認してから、ベット。

「400点…」


マスターKはゆっくりと、指を止めた。

そして、軽くチップを4枚弾いて前に出す。

「レイズ、800」


呼吸が、わずかに乱れる。

(ここで……上乗せ?)


お互い、何も刺さっていない可能性が高い。

もしセットスリーカードだったら、ここまで軽くは打ってこないはず。


けれど、それ以上に――この“声”が、心を揺らす。


「見せかけの強さに賭けるなんて……まるで誰かさんみたいやな」


誰かさん。


芭蕉は一瞬だけ、前の記憶を思い出していた。


社内会議室。

プレゼンの前、隣にいた“彼女”の声が、今も耳の奥に残っている。


派手さはなかった。でも、佇まいはいつも静かで、凛としていた。

小さな身体に宿る芯の強さが、言葉の端々にあらわれていた。

芭蕉は、彼女を“秘書”としてだけではなく、ひとりの人間として尊敬していた。


――「芭蕉さん、どんな反対があっても、私はあなたの味方ですから」


そのときも、信じた。

……そして、崩れた。


芭蕉はカードを伏せた。


「フォールド」


マスターKは笑いもせず、ただチップを回収した。

まるで、それが当然の報酬であるかのように。


数ハンド後。

K♣ J♣


芭蕉は少しだけ間を置いて、チップを前に出す。

「レイズ、250」


マスターKはスナップでコール。

ディーラーが静かにフロップを開く。


《ハンド:K♣ J♣ 》

《フロップ:A♢ 9♡ 3♠ / ハイカード》

《ポット:650 / 残スタック:18,800 》


マスターKはチェック。

芭蕉もチェック。


次のカードが開かれる。

…Q♠


《ハンド:K♣ J♣ 》

《ターン:A♢ 9♡ 3♠ - Q♠ / ハイカード》

《ポット:650 / 残スタック:18,800 》


マスターKは表情ひとつ変えず、チップを前に押し出す。

「ベット、950」


中途半端に大きい。

押し返しにくい、絶妙なサイズ。


芭蕉の手は、ガットストレートドロー。

T(10)が落ちればブロードウェイ10 J Q K Aストレートの完成。


(……けど、なんだ、この感じは)


マスターKの目が揺れない、ぶれない。

そして――言葉が、また突き刺さる。


「ハンドの強さに、ボードは応えてくれへん。

 信じたとこで、どうにもならんこともあるんや」


その言葉が、また記憶を引きずり出す。


あのとき、自分は確かに“正しい未来を選択”をしたつもりだった。

論理も、計算も、想いも――すべてが裏目に出た。


芭蕉の脳裏に、かつての“誰か”が重なる。

笑顔と一緒に差し出された、甘く強い提案。

あのときも――自分は、信じた。


そして、裏切られた。


(また……信じるのか?)


“信じたら負け”という言葉が、頭の奥でリフレインする。


ほんのわずかに、手が震えた。

「……フォールド」


理屈じゃない。

でも、今はそれ以上前に出られなかった。


マスターKがチップを回収しながら吠える。

「強い手だけで勝てるなら、俺はとっくにチャンピオンや!」


───


その日、強いハンドは何度も配られた。


A♣ K♡


「レイズ、300」

芭蕉からのオープン。


他のプレイヤーはフォールドし、

マスターKは無言でチップを置くコール

ディーラーはすぐに3枚のカードを並べる。


《ハンド:A♣ K♡ 》

《フロップ:9♢ 7♠ 2♠ / ハイカード》

《ポット:800 / 残スタック:16,850 》


何もない。完全なスカボード。

それでも、芭蕉はベットする。

「450」


マスターKはコール。


(……この静けさ、なんなんだ)


ディーラーが手際よく1枚を開く。

…K♣


《ハンド:A♣ K♡ 》

《ターン:9♢ 7♠ 2♠ - K♣ / ワンペア》

《ポット:1,700 / 残スタック:16,400 》


遂にKが刺さった。

──しかし、芭蕉が考えるより早く、

マスターKがチップ投げ入れる。

「ベット、1,500」


今度はドンクベット基本ルール無視

なんとも読めないサイズ。


芭蕉の思考が、ふっと止まる。

(……また、これだ)


前と同じだ。強いはずの手なのに。

自信が、揺らぐ。

またしても、似たような場面に立たされている。


芭蕉は、そっとカードを伏せた。

「……フォールド」


マスターKがポットをかき集める。

「昔はええ時代やったで……チャンピオンやった頃なんか、

 ほんまモテモテやったわ」

その口元に、うっすらと懐かしむような笑み。

けれど──その時、ふと目が上を向いた。

まるで、ほんの一瞬だけ、誰かに“見られている”ことを思い出したように。


───


それは、何でもないようなハンドだった。


7♠ 2♡


芭蕉のポジション順番は強制参加となるBB。

いつもは降りるハンドだが、珍しくコールをした。

──まるで、マスターKに無理やり勝負の舞台に上げられたかのように。


誰も気にも留めない。

ただの、ガラクタ。

何の意味もないはずの最弱カード。


「BBコールやな、珍しく守る気になったんやな、

 BBポジションはちゃんと守らなあかんで…芭蕉ちゃん」


そして誰も参加せず、マスターKとのヘッズアップタイマンとなった。


フロップが開かれる…


《ハンド:7♠ 2♡ 》

《フロップ:7♣ 2♢ Q♡ / ツーペア》

《ポット:750 / 残スタック:14,850 》


(……!?)

当たった。

それも、まさかのボトムツーペア。


マスターKはチェック。

芭蕉もチェック。


ターンカード。

…5♢

《ハンド:7♠ 2♡ 》

《ターン:7♣ 2♢ Q♡ - 5♢/ ツーペア》

《ポット:750 / 残スタック:14,850 》


マスターKがすぐにベットをする。

「700」


強気のベット。

でも、その動きが――なぜか、妙に浅い。


(…俺は♢を抑えていない。

  相手にフラッシュのドローもある…

  Qヒットか…それとも…)


芭蕉は数十秒考え込む。

頭の中で、たくさんの負けるパターンが思い浮かぶ。

ツーペアは通常、強い。

だけど負けているかもしれない。

だけど、だけど…

「コール」

迷いの中、心の奥の何かが芭蕉を突き動かした。


ディーラーが最後のカードを強く開いた。


… 9♠


《ハンド:7♠ 2♡ 》

《リバー:7♣ 2♢ Q♡ 5♢ - 9♠/ ツーペア》

《ポット:2,150 / 残スタック:14,150 》


フラッシュは…このボードで完成しない。


だが、マスターKはさらに強くベットしてきた。

「2,600」


ポットオーバーの大きなベット。

マスターKなら6と8をもってストレートを完成しているかもしれない。

それにセット、格上のツーペア、何でもあると言えばある。


芭蕉が降りようとしたその時。


「パパ……その人、ウソついてる。

 ベットの時、目が少し上を向いたよ。

 チャンピオンになったことないのに…

 チャンピオンの話をしてた。

 …その時と一緒。

 ずっとパパと見てたからわかるよ」


……一瞬、幻聴かと思った。

けれど確かに、それは“声”だった。

スマートグラス内臓の骨伝導イヤフォンから確実に聴こえた。


芭蕉は、ハッとしたようにメガネのフレームに触れる。


視界の端。

スマートグラスのフチに、淡く浮かぶ文字が揺れていた。

<<Humble Nuts connected – Visual Stream: Active>>


(お前……)


視線が、フレーム越しに揺れた。


リビングのぬいぐるみ。

子供が最後に残していった、“あの子”。


気づかないふりをしていた。

何もかもされたと思っていた。


けれど――


(お前は、ずっとここにいたのか)


芭蕉は静かに、強く、チップを前に出した。

「コール」


マスターKが一瞬だけ硬直しカードを投げた。

「……ナイスコールや」


彼の手元にあったのは、K♣ 10♢

完全なブラフ。


勝者の芭蕉にチップが押し寄せる。


視界の端で、また、スマートグラスのHUDがふたたび淡く光った。

<<家族見守りモード:実行中>>

<<解除キー:72>>


――


リビングの明かりは、やわらかい白色だった。

壁に掛けられた7月のカレンダーには、2番目の日付が華やかに彩られていた。


テーブルの上には、絵本と、あのぬいぐるみ――Humble Nuts。


優しい声がした。


「せっかくのお誕生日なのにパパ遅いね。

 でもパパはお仕事頑張っているんだよ。

 ハンブルナッツにも、“パパ頑張ってるよ”って伝えてあげてね」


子供は大きくうなずき、ぬいぐるみにそっと話しかける。


「ハンブルナッツー、パパ、きっと悩んでると思うんだ。

 だから、パパが本当に困ってたら教えてあげてね。

 パパって、つよいけど、すぐ悩んじゃうからさ」


ぬいぐるみは、しゃべらない。

けれど、耳がほんの少しだけピクリと動いた。


それを見た子供は、笑いながら抱きしめる。

「ハンブルナッツとわたしの誕生日の“ひみつの約束”だからね」


<<家族見守りモード:秘密の実行中>>

<<解除キー:72>>

<<音声記録 – 感情タグ:信頼・希望>>

<<命令者:長女>>


――命令は、その夜を境に静かに実行され続けた。


芭蕉が崩れ落ちた夜も。

会社が消えた日も。

家族がいなくなったあとも。


誰にも気づかれず、ぬいぐるみの中で、ずっと。


そして今日。


BB(守るべきポジション)で7♠ 2♡が配られた瞬間。

数字からキーを読み込み解除された。


7と2のカード、子供の誕生日――7月2日。

それをスマートグラスと接続したHumble Nutsによる視覚が認識する。

そして、芭蕉パパの困惑が“重なった”。

Humble Nutsは長女の言いつけ通り、自分の機能を、ただ実行した。


芭蕉は、メガネのフレームをそっとなぞった。

誰にも気づかれないように、小さく微笑む。

「……そうか。

 お前、ずっとここから見てたんだな」


HUDの隅に、もうひとつの表示がふわりと浮かぶ。

《BBポジション:防御モード継続中》


芭蕉はふっと鼻で笑った。

こんなHUD、今まで意識したこともなかった。

でも今は──なぜか、意味がわかる気がした。


(そっか……俺、ずっとこの席にいたんだな)


押されても、削られても、降ろされても、それでも続けた。

何も守れなかったあの日から、ずっと。

気づかないまま、このポジションに居続けていた。


(今度こそ、“守る”って、選んだんだ)


目の前には、静かに減ったマスターKのチップ。

テーブルの真ん中には、自分のチップが残っている。


それは、ほんのわずかな勝利。

でも──この日、芭蕉がBBで守りきったものは、

金でも、誇りでもなく、

“かつて守れなかったもの”の、続きを取り戻す一手だった。


ポーカーテーブルのざわめきが、少しだけ遠くなった気がした。


勝ち負けじゃない。

数字でもない。

ただ、自分で“選んだ”ということ。


芭蕉はふと気づいた。

自分が“選んだ”今だからこそ、はっきりとわかる。


ハンドは、生まれ持った才能や適性なんかじゃない。

ハンドは、何度だって、選び直せる。


……そして、ポーカーでは1局の流れひとつひとつを「ストリート」と呼ぶ。

人の道もポーカーの道も、いつだって選んでいくことができる。


フォールドは負けることじゃない。

次の一手に進むために選び直すこと。


フレーム越しに、淡く灯るUIが一つだけ揺れていた。

《Humble Nuts connected – Visual Stream: Standby》


「それが、パパのチップだよ……誰のでもなく、パパが残したやつだよ」

あの声が、もう一度だけ響いた気がした。


芭蕉は、そっと目を開ける。


ディーラーが新しいカードを配ろうとしている。


席を立つ者。座る者。

チップを抱え、夢を見て、また誰かがカードを開く。

でもその中で、芭蕉だけは──ほんのわずかに、違っていた。



ゲームは、まだ終わっていない。





────────

あとがき

ポジションについてはまだ言及してません。

ポーカーを知らない方や初心者には難しいので。

(もやもやしたポーカー経験者の方はごめんなさい)

そして次のチャプターからは、いよいよポーカーバトル本格始動!

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