名前を呼ばれた日:3
連れて行かれたのは、神殿の奥深く。
長い廊下を進むたび、空気は徐々に冷たく、透明になっていった。
石壁に刻まれた無数の文様は、祈りなのか記録なのか、それとも呪いなのか。
何かを“封じる”ようにして、静かにこの場を守っていた。
重厚な扉の向こうにあったのは、
半球状の広間――“魂の間”。
天井は高く、空気はひとしずくの音すら響きそうなほど澄んでいた。
床には、円を描くように緻密な魔法陣が刻まれ、
淡く、青白い光がゆらゆらと浮かび上がっていた。
「中央へ進みなさい」
老神官の声は、囁くようでいて、空間のすべてに響いた。
僕は、導かれるままに、円の中心へと足を進める。
足音が、まるで自分の心臓の音のように、石床に染みていった。
中央に立つと、魔法陣がわずかに脈動した。
青の光が、ゆっくりと波紋を描き、僕の足元から全体へと広がっていく。
「魂は、この世界での“証”であり、“器”だ」
老神官の声が重なる。
「その形は、生き方であり、存在の道である。
君がどう在りたいと願い、どう生きてきたか――それが、ここに現れるだろう」
空気が、震え始めた。
胸の奥が、ふいに熱を帯びる。
何かが……心の奥から押し出されていく。
(僕の魂……僕という“存在のかたち”)
思考が、膜を通すように鈍くなっていく。
世界の色が青に染まり、
視界がぼやけ、音が遠のいて――
光が、僕の全身を包んだ。
蒼く、静かに、広がっていく。
それは、まるで魂の輪郭をなぞるような光だった。
この世界が、僕を見つめ、確かめ、
“何者であるか”を測ろうとしていた。
(――出てくるのか、僕の“形”が)
だけど。
どれだけ光が集まっても。
何も――現れなかった。
ざわり、と。
空気が、凍った。
魔法陣が微かに明滅し、
その光が霧のように立ち昇ったかと思うと――
何の像も生まれぬまま、静かに、崩れ落ちた。
「……これは……」
「まさか……魂の形が、存在しない……?」
「“無印”か……」
空間の片隅から、幾つもの声が小さく漏れる。
それは驚愕でもなく、悲哀でもなく――ただ、淡々とした“分類の言葉”。
無印。
魂が“形を持たない”と判断された者。
この世界において、“役割を持たぬ存在”。
――つまり、“必要とされない存在”。
魔法陣の光は完全に消え、
場には、息を潜めるような沈黙だけが残された。
僕は、静かに立ち尽くしていた。
怒りも、悲しみも、湧いてこなかった。
ただ、ぽつりと、胸の内に落ちたのは――
(……やっぱりな)
「やっぱり……僕は、何者にもなれなかったんだな」
その言葉は、自嘲でも諦念でもなかった。
まるで、すでに知っていた“結末の確認”のように――
静かに、唇の端から零れ落ちた。
けれど、それを聞く者は、誰もいなかった。
彼の声は、“無印”として沈んだ魂と共に、静かに石の床へ吸い込まれていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます