必ず、あなたを守るから

ぶいさん

 私はリア、15歳。この薄汚れたアパート104号室に、パパと二人で引っ越してきた。

 首都の端っこで県境スレスレの場所。家賃は月にたった200ドルのアパートの1階だ。壁にはヒビが入り、湿ったカビの匂いが肺にまとわりつく。上の住人の荒っぽい足音が天井から響く。


 クローゼットの奥に「助けて」と刻まれた文字を見つけたとき、胸がざわついた。「安い家なんだ。我慢しろ」とパパは笑った。きっと子供のいたずらだろう。


 パパ、ロバートは42歳。やつれた顔に深い隈、乱れた黒髪には白髪が混じる。作業着は汗とタバコの匂いに染まってる。失業して以来、私を「守る」ことに執着してる。学校まで毎日迎えに来て、スマホをチェックする。

 私にはパパしかいない。でも、最近のパパは、まるで私を閉じ込めたいみたいだ。


 夜、壁の向こうから囁きが聞こえた。


「ここにいろ…」


 パパの声じゃない、知らない男の声だった。

 恐ろしくて寝付けず、トイレに起きた。洗面所で顔を洗い、鏡を見ると、私の背後に青ざめた少女が立ってる。首に縄の痕、目は血で真っ赤。「逃げて」と囁くけど、振り返ると誰もいない。鏡に「ここから立ち去れ」の文字が血で浮かび、言葉を失った。心臓がバクバクして、朝まで毛布をかぶって震えた。


 ある日、パパがクローゼットから革表紙の日記を見つけてた。古びたページをめくるパパはどこかおかしかった。


 私が「前の住人の持ち物かな?」と言ってもパパは無視。

 電灯が一瞬ちらつき、どこかで少女の笑い声が響いた。この部屋、おかしい。パパに言っても、「気のせいだ」と一蹴されたけど、私の肌はぞわぞわした。



 数日後、パパが変わった。もともとちょっと変なところっていうか過保護で過干渉で束縛気味なところがあったけど、そういうんじゃなくて…。

 あの革表紙の日記を読みふけり、夜中に「娘を守れ」と呟く。学校の帰り、友達と公園へ行こうとしたら、「外は危険だ!」と怒鳴られて腕を引っ掴まれて、家に連れ戻されて部屋のドアに鍵をかけた。昨日まで鍵なんかなかったのに! パパが部屋のドアに鍵を取り付けたのだ。ドアをどんなに叩いてもパパは私を出してくれなかった。


 学校では誰も私に話しかけない。家は牢獄だ。パパの愛は重たくて、息が詰まる。


 その夜、部屋の中で少女を見た。半透明で私のベッドの足元の床に座り、涙を流しながら「逃げろ」「ここは危険だ」と言う。


 パパはもう寝ていて、ドアをそっと押したらドアには鍵がかかっていなかった。キッチンに出たらパパの日記が置いてあった。逃げなくちゃいけないのになぜかその日記が気になって、私は震える手でパパのあの革表紙の日記を盗み読んだ。


 昔、この部屋で父親が娘を監禁し、絞殺した話。娘の首に縄をかけながら「これで守れる」と笑ったそうだ。そんな話がここで起きたらしいのだ。本当かどうかなんてわからない、問題はパパがそれを本当だと信じていることだ。


 そして、私も信じ始めている。あの少女の幽霊がこの家に憑いていることの説明が、ついてしまった。


 吐き気がした。

 じわじわと部屋に異変が起きた。壁から血が滲み、腐ったような匂いがし、壁が脈打つように震えたのだ。私はゾッとした。まるで部屋が生きているみたいだ。

 影が私を覆い隠す。

 パパがいつの間にか私の後ろに立ち、私の体を掴んで部屋に引きずり込んだ。私を部屋に再び閉じ込められ、「お前は私の全てだ」と叫ぶ。



 その後、パパの支配はエスカレートした。ドアに鎖をかけ、食料を運び込む。「外は汚い。ここにいればいい」。私の手首を掴む力は強く、青あざができた。

 私は鎖で部屋の柱と繋がれた。


「パパ、おかしいよ!」


 と叫んでも、彼の目は虚ろで、どこか別の声が重なる。


「お前は私のものだ」


 パパの指には、離婚したママとの結婚指輪が光ってる。

 昔、パパが「家族を守る」と言ったのを思い出す。あの言葉は嘘だったの?


 もう耐えられない。逃げなくちゃいけない。このままここにいたら殺されてしまうと感じた。

 ラグの下になにか異物を感じてめくったら錆びたハサミを見つけた。パパが寝静まるのを待って、鎖を切ろうとした。ガリガリと金属を削る音が響く。鎖は古くてちぎれかけている。早く、早く! 心臓が喉から飛び出しそう。



「リア! どこへ行く!」



 パパの手が私の腕を掴み、壁に叩きつける。頭を打った。頭がガンガンして、視界が揺れる。痛みと恐怖で涙が溢れた。逃げるにはパパを動けなくするしかない。非力な私にできることはこれしかない。錆びたハサミを握りしめる。


 ハサミを握り、パパの胸に突き刺した。血が噴き出した。パパはうめき声をあげてよろよろして、そして倒れた。倒れ伏して動かない。血がどんどん床に広がっていくのをしばらく呆然と見ていた。



「リア…これで…守れた」



 パパはそう言って笑った。それきり動かなくなったパパの死体をそこに置いて、家を出ようとした。

 パパ、ごめん。パパを信じたかった。パパを愛してた。パパも愛してくれた。だけど、愛の形の相性がうまく合わなかった。私にはパパの愛は重すぎたんだ。


 頭の中で少女の声が笑う。


 部屋の壁が脈打つように震え、パパは飲み込まれた。ここから出なくちゃ…!


 這うようにして部屋を脱け出した。パパの血が手に残る。あの最期の笑顔が脳裏に焼き付く。冷たいアスファルトを走りながら、少女の声が追いかけてくる。どこへ逃げても、あの部屋は私を離さない気がした。



◆◆◆


 10年後、私は別の町で暮らしていた。私の娘、ミナが「お外行きたい」と言う。「ダメよ、ミナ。外は危ない。ここにいなさい」と私は怒鳴る。


 テーブルに、誰かが置いた革表紙の日記がある。いつの間にか手元にあったあの日記だ。ページが窓からのそよ風でめくれ、「娘を守れ」と浮かぶ。私の手が震える。ミナを抱きしめながら、あの日を想う。


 私はミナの小さな手を握り、囁く。


「大丈夫、ママが守るから」でも、心の奥で、少女の笑い声が止まらない。

 

 必ず、あなたを守るから。



◆◆◆


 104号室では、新たな住人が引っ越していた。親子は笑い合っていた。


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