混ぜるな危険 移民問題を安易に考えるな!

龍玄

混ぜるな危険!! 怖くて震える日本。

 昨今、移民問題が各地で大きな危険信号を発信している。特に第一産業に頼る地方都市が侵されており、地域の半数が移民となり、乗っ取られている状態が珍しくなくなっている。住民が増えれば、「調和」を理由に議会に外国人を受け入れることも已む無くとされている。地域は高齢化が進み、入り込んできた外国人は多産で学校にも行かない子供を大量に増やしている。議会は日本でありながら日本ではなくなり、我儘・身勝手が大手を振る事態を招き、「独立」などと騒ぎ始める。この地域は日本の法は通じないなどの議会案を成立させ、日本人を追い出し、同胞を呼び込み、乗っ取られる。これが既に現実に起こっている。これらの情報は、SNSで拡散され、外来種が一地域を乗っ取りに日本を目指す。自民党・公明党・共産党が目指す、日本破壊計画は間違いなく、成果を上げている事実を申告に捉えなければならない。

 中酷人が主を失った寺院を買い取り、寺院を取り壊す。宗教法人の旨味を得た上、墓場を強制撤去し更地にし、商業施設を建て、同胞を呼び寄せ、地域を乗っ取る。

厳格な受け入れの法整備が急務だ。トランプ政権の関税は明らかな無法な中酷の貿易制限を行いサプライチェーンから外す事だ。効果は覿面だ。まさに肉を切って骨を断つだ。

 労働不足で人員が必要であるが、粗悪な人員を混入させれば、すべてが崩壊する。ダムを破壊するのも蟻の一穴の例え通り、小さな綻びを「全体像から見て大したことない」と受け流すと貧民国であった中酷の今の現状を招くのは必至だ。露西亜がウクライナに侵攻したような暴挙も充分在り得る日本の未来だ。

 日本は、武力でなく「移民」という「破壊武器」で沈没していく。

 移民が悪いわけではない。「受け入れ方」が問題だ。経済が発展すれば少子化は進行する傾向がある。ところがユニセフが頑張っている問題も活動の成果が手に負えないように子供が増え続け、鼬ごっこが続き改善の余地など正直、感じない。

 経済が動けば多種な娯楽が増え、生殖行為は子孫ではなく、快楽に姿を変える。繁殖期が毎日の人間であれば、経済国は人口が減り、貧民国は人口が増える構図は拭えない。それが現実だ。

 世界では「人類は平等・地球人だ」と積極的に移民を受け入れ、善者を気取り満足し、治安が悪化し、文化が破壊されてから「移民にNO」の矢尻を向けるが、砂上の城は崩れ落ちるしかない。それを食い止めるには「鉄槌」しかない。安易に移民を受け入れた結果、なりふり構わず「強制送還」を実施するのに躍起になっている。

 文化の違いを甘く見てはいけない。そこには簡単に拭えない「宗教」問題が粘着質に正常化を妨げる。「我が国の神が一番だ」という者が混ざれば危険なのは明らかだ。宗教戦争が絶えないのも、人間の幸せを保つための「神」は、他の考えを迫害する元凶になっている。移民の宗教観・思考は「他を寄せ付けず」であり、「共存」とは全く異なるものだ。

 簡単に言えば、日本は、親から子へ受け継がれた他のものに生かされている神道が基本にある。神道の中心は大陽神だ。太陽神と言っても所謂、神ではなく、生命の泉・源と言う考えだ。そこで生まれたものすべてを敬う、それが八百万の神だ。

 訪日客が観光を通し日本文化を知り、心地よさを感じ、覚醒し、一神教の不具合を感じる。訪日客は自分達の信仰が一番だと自負して「日本は無宗教だ」と馬鹿にして訪れ、日々を過ごして違和感を感じる。「無宗教」なのになぜ心地いいと。そこで神道を知り、「一神教」からの目覚める者が増えてきている。宣教師が農民に論破された事実を訪日客は今、体験している。

 移民受け入れは根底から考えるべきであり、移民が日本で子供を授かれば、その子の全ては日本人による日本の教育受けさせることを義務付けするべきであり、同時に政府は子供の教育を無償化するべきだ。保育園や幼稚園は特に重要だ。人間形成の根幹にあるからだ。義務教育は保育園・幼稚園での教育があっての義務教育で人間形成は幼少時に形成されるからだ。

 訪日客が、奈良の人間と共存している鹿に驚く様に鳩や犬・猫、烏や雀、燕にも驚く。例外を除いて危害を加えたり、加えられたりしないからだ。海外では動物は敵対関係にあるのが現状だからだ。人間は動物を見ると苛める。虐められた動物は人間を敵視し、危険と感じ、攻撃される前に攻撃するという関係だ。日本では、「可愛い」が成立するが、海外では「邪魔」な存在になる。これが「一神教」と「神道」の違いだ。特に「神」に上下がないのは「一神教」の考えを破壊する。しかし、共存する心地よさをしれば、考えが変わるのも正常だと言える。

 移民を受け入れるためには「一神教」の思想を排除しなければならない。信仰するのはやぶさかでない。それが全てだと思い込まない、込ませない指導が必須だ。神に上下はなく、自分がやられたら困ることは他人にもしない。それを学ぶのが保育園幼稚園だ。移民の子供がこの考えを学べば、親も変化するだろう。その先に始めて移民との共存が生まれると考える。簡単な事ではないが、やらないことは論外だ。打てる手を打つ。それが急務に対する対応だ。

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