遺失物預かり係

秋野凛花

本編

記憶が香る(マフラー)

 その落し物が届いた時、「それは何でまた」、だなんて思った。

 目の前にあるのは、マフラー、手袋、上着……といった、防寒着だ。恐らくここにある分だけで、全身纏って隠すことが出来る。……俺が驚いてしまったのは、それが届いたのが、「今日」ということだった。

『今世紀最大の寒波が──に訪れており……』

 傍に置いてあるブラウン管テレビが、空気を読んだみたいに喋ってくれる。ひび割れた声で、事実を淡々と伝える。

 そう、今日は今世紀最大の寒波……寒い。とにかく寒いのだ。それだと言うのに、この落し物。これを落とした人は、凍傷で死ぬのではないか。そんなことを心配したが、今俺が心配しようと、これらがその落とし主に返るわけではない。

 俺はため息を吐きながら、落し物記入書を書き進めていく。

 するとその横でクスクスと笑うのは。

「すごいね、こんな寒いのに、そんなの落とすなんて」

「……」

 一人の少女だ。棚の上に座り、手を叩いて笑っている。無邪気に。

 俺はその少女を少しばかり睨んでから、ため息を吐いた。

 この少女は──シツは、ここにある防寒具と同じ……捨てられた人間だ。



「遺失物預かり係」。

 それが俺の職場の名称だ。

 その名の通り、落し物を扱う係である。

 ただしそれはただの落し物ではない。……ここで言う「落し物」とは……「人が特に大事にしていた落とし物」。そういったものである。よく、知らない。俺も気にしていない。

 とりあえずそんなものだから、よく珍しいものが届く。財布とか、傘はもちろんのこと。くまのぬいぐるみ、本、車、人──……そういったものもここに届けられる。

 そしてこれらが取りに来られたことは……ここで何十年も働いているが、一度も、ない。

「今日すごく寒いのに、どうやって外で過ごすんだろうね? あっ、今日は室内で過ごす日なのかな? もう要らなくなったとか?」

 俺の横で騒がしく、先程届けられた落とし物で遊ぶ少女──シツも、落とし物の一つだ。落とし物が、落とし物で遊ぶ。変な話だ。

 ちなみに彼女の名は、俺が勝手に付けた。彼女は自分の名前を覚えていなかった。便宜上、名前を付けたほうが楽だったのだ。

「シツ。落とし物で遊ばない。丁重に保管しないといけないんだから」

「なんで?」

「何で、って」

「だってどうせ、誰も取りに来ないじゃない」

 少女は現実を残酷に告げる。上半身を覆わなくなった上着、手を覆わなくなった手袋、首を覆わなくなったマフラー。それらを彼女は、自身のそこに収めていく。見ているだけで、暖かくて。

 しかし彼女は、どこまでも寂しかった。何故ならその言葉は、「自分の持ち主は帰ってこない」。そう言っているのと、同義だったから。

 事実ゆえ、何も言い返せず黙ってしまった俺は、よっぽど酷い顔をしていたのだろうか。シツは、座っていたカウンターの上から、ひらりと舞い降りた。その拍子に彼女の首に巻かれたマフラーの先がふわりと揺れ、まるで、雪のようだった。

「なんで、捨てられちゃったのかな」

「……」

「どこも、ほつれてない。まだ使えるよ。私が使っても、ほら、こんなに温かい」

「……」

「もしかして」

 彼女は笑う。笑って、首に巻いていたマフラーを取った。そしてそのまま、俺の首にかけて。

「今日もお仕事を頑張ってるお兄さんのために、誰かが落としてくれたのかも」

 巻かれた拍子に、ふわりと香ったのは、温かい、日だまりみたいな匂い。そして少しだけ、シツの香りがした。少し、甘い。それでいて、寂しい、ような。

「……誰かって、誰」

「さあ? それを待つのが、お兄さんの仕事でしょ?」

 確かに、それはそうなのだが。そう言い返す前に、シツは笑いながら俺に手を振った。上着と手袋を手に持って。これ、奥に持っていっておくね。今日は冷えるみたいだから、それはお兄さんが持っておいて。……そんな言葉を残して。

 奥へ。遺失物保管室まで。

 自身も、収まる。

「……」

 ため息を吐く。ボー、と鳴る小さな灯油式ストーブしかないこの場所は、俺の息を無色にはしてくれなかった。ず、と鼻をすすり、書類の続きを書き進める。その度、マフラーから記憶が香って。

 ……確かに、首を覆うだけでも、幾分か温かいな。

 カリッ、ず、カリカリ、ずず、はぁ、ボー。

 冬はまだ、明けない。

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