第9話 輦車の宣旨など
【訳文】
帝は輦車(てぐるま)の宣旨などを仰せられても、桐壺更衣の部屋にまたお入りになられ、どうしても、お許しにならない。「死出の道にさえ、行き遅れたり先立ったりするまいと、お約束なさったのに、いくらそうだとしても、私を残しては行かせない」とおっしゃるのを、桐壺更衣もとても悲しいと見申し上げて、
「限りとて別るる道の悲しきに いかまほしきは命なりけり
(今を限りとして、貴方様とお別れする死出の道の悲しさにつけても、生きたいと思うのです)
本当にこんな悲しい思いをすると分かっていたならば……」と息も絶え絶えに言いたいことがありそうな様子ではあるが、とても苦しげで気力もなさそうなので、帝は桐壺更衣を、このままここに置いて、どのようになろうとも見届けようとお思いになる。使いの者が「今日始める予定の祈祷などをする僧達が待っております。それが今晩からなので」と帝を急がせるので、どうしようもなく思いながら、退出をお許しなさる。
「輦車の宣旨とは輦車に乗ることを許可する勅命のことです。輦車は人の手で引く車のことで、身分の高い者(東宮、内親王、女御、大臣、僧正など)が乗っていました。桐壺更衣がこれに乗るのを許されたのは特別待遇でした」
「ここで『源氏物語』初の和歌が出て来たな」
「最初の歌は別れの歌でした」
「桐壺更衣の生に対する執着も窺えるな」
「『源氏物語』ですが読みにくく難解で学生達も苦手意識を持ってしまうんですよね」
「自然主義作家の正宗白鳥も「頭をチヨン斬って、胴体ばかりがふらふらとしてゐるような文章で、読むに歯痒い」とも言ってるで」
「英語訳で読んだ方が分かりやすい説もありますね」
「ライバルの清少納言の『枕草子』の方がハッキリしてテンポも良く読みやすいで」
「敬語表現が多用されているのも読みにくさの一因かと思われます」
「それは語り手・書き手が高貴な人々に仕える女房という設定やからなあ」
「『源氏物語』には今回の桐壺更衣から始まって「夢浮橋」の薫の歌まで795首もの歌が挿入されています。その歌をどう訳すかも生徒達は難しいと思ってしまっています」
「上手に和歌を詠むことが平安貴族の嗜みやからなあ。そりゃあ和歌は沢山出て来るで」
「しかも漢詩からの引用もありますからね」
「そんな難しい『源氏物語』やけど、なるべく分かりやすい訳にしていくから、よろしくな」
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