第7話 その年の夏、

【訳文】

 その年の夏、御息所(みやすどころ・桐壺更衣のこと)は儚く、頼りないご様子で病にかかってしまい、退出したいと申し出るが、帝はお暇を一向にお許しにならない。この年頃、病気で熱のある状態でいらっしゃるので、帝の目も慣れて「それでもやはり、しばらくの間、様子を見よ」と仰せになるうちに、日に日に桐壺更衣の病は重くなっていって、ただ五、六日の間に、ひどく衰弱したので、桐壺更衣の母は涙ながら奏上して、桐壺更衣を退出しなさる。このような時にも、あってはならない恥ずかしい思いをしたらいけないからと用心して、光源氏を宮中にお留めなさり、桐壺更衣は一人こっそり退出なさる。



「桐壺更衣の病は日に日に悪くなっていって、ついに宮中から退出することになりました」

「御息所とは皇子・皇女を生んだ女御、更衣の呼称やで」

「夫を失った紫式部は1005年頃から一条天皇の中宮・彰子の元に女房として使えることになります」

「女房いうんは天皇や貴族に近侍する女性のことやで」

「主に彰子の教育、和歌の指導や書物の講読をやっていたのではないかといわれています」

「中宮に教えるなんて相当なプレッシャーやろなあ。わいなら嫌やわあ」

「この宮仕え時代の記録が『紫式部日記』に描かれています」

「この日記には清少納言をこき下ろす内容もあったんやで。したり顔をして、文章の中に漢文を使いまくってるけど、漢文の知識はまだまだ未熟とか」

「大河ドラマでは仲良くしてましたけどね」

「そもそも史実では二人は会っていない説もあるしなあ」

「会ってもない人のことを、こうもこき下ろすのも酷いですね」

「『紫式部日記』は1010年正月15日の記事が最後やで」

「その後の紫式部の足跡は藤原実資の日記『小右記』に現れます」

「藤原実資といえばロバート秋山さんが熱演されてましたね」

「『光る君へ』は他にもカラテカ矢部、はんにゃ金田が出て来て、良いエッセンスになったなあ」

「『源氏物語』がいつ書かれたものかも、紫式部の余生も実はよく分かってないんですよね」

「実資の日記にも、それっぽい人物が出て来たのは1019年が最後で、これも確定やないんよ」

「紫式部の生涯はミステリアスですね。大河でも最期は描きませんでしたし」

「まあ知らないことが多い方がフィクションの入り込む隙があるっちゅうことでええんちゃう?」

「ですね」

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