青々の空の隙間へ黒が射し込む

とりまりこ

青々の空の隙間へ黒が射し込む

「ですから」と青柳あおやぎは抗弁したが、それは警察官の態度があまりに理不尽だったせいだ。青柳の眼前には細身の警察官と厳つい警察官がおり、厳つい方はラグビーや柔道経験者みたいな見た目だった。横が広いが縦も大きく、その気になれば電柱だって引っこ抜けそうな体格である。「そんな条例知らなかったんですよ」


「でも実際にあなた、イヤホンして自転車乗ってましたよね? 音楽聞いてましたよね? 条例違反ですよ」と厳つい方が答えた。さっきから何分もこんな問答を続けている。


 青柳は大変腹が立っている。激怒しているといっても良かった。いつものようにデスメタルを聞きながら帰ろうとしていたら、急に警察官二人に呼び止められたのだ。大変な屈辱で公権力による暴力だと思った。


 場所は新渡にいわたり駅近くに位置する交番沿いの小道だが、いままで青柳は何十回も同じように道を行き来していた。今日になって呼び止められるなんて心外だった。駅近くなので、何人もの通行人がじろじろと青柳を見ながら帰っていく。きっと彼らはこうしたふざけた公権力に絡まれたことがないからニヤニヤしていられるのだろう。胸に【新渡警察】というプレートを取り付けた制服姿が声をかけてきたら、笑顔なぞ消し飛ぶに違いない。


「昔はイヤホンしても大丈夫だったじゃないですか。何で今日から駄目なんですか。おかしいですよそんなの」


「条例は前から変わってますよ。それに実際に危険なんです。ぶつかったら大怪我ですよ」厳つい警察官がなだめるように手を振るが、まるで青柳がヒステリーを起こしたといいたげな態度なので、彼女はますます腹の中がどす黒くなっていく。いますぐ自転車に乗って逃げ出したかったが、そんなことをすれば大男が無理やり自転車を止めるかパトカーで追ってくるだろう。「お名前教えてください」


「青柳です」


「下も教えて下さい」


「……青柳梨子りこです」


「はい。じゃあ、番号見せてもらっていいですか?」


「は? 番号?」


「最近盗難が多いんですよ。ちょっと防犯ナンバーの番号を見せてください」


 つまりこいつらは、青柳が人のものを盗んだと疑っている。怒りのあまり、青柳は自転車をこいつらにぶつけてやろうと思ったが、やはり事態が悪化するだけだ。青柳が怒りを抑えて黙っていると、厳つい警察官が「聞こえましたかっ?」と声を大きくした。


 細身の警察官が検査用の機械を持って近寄ってきた。自分の自転車。自宅近くの【トビウオ自転車】で八年前に購入したママチャリだが、こんな形で人に触らせることになるとは思いもしなかった。


 青柳が上を見ていると、鼻を掻きながら厳つい警察官が「安全のためですからね」と言い聞かせるように口にした。青柳はいつも会社でそうするように、なんとなく頷くフリをして無視した。怒りは黒々として青柳の真上にわだかまる。


 一分あるいは一時間が経過したところで、細身が自転車から離れる。「異常なしですね」と呟いた。


「じゃあイヤホンは気を付けてくださいね。ほんと、自転車ってぶつかったら危ないんでね。お年寄りとか児童も多いんですから、気を付けて!」と厳つい警察官がいっているが、青柳は半ば奪い取るように自転車を取り返すと、引きながら歩き始めた。心の底では交番もパトカーも爆発して全てが消滅すればいいと思っていたが、現実に青柳は駅やアーケードを通り過ぎて近くの高架下へと入っていく。警察官を八つ裂きにする妄想をしていたところ、すぐ傍を複数の男たちが無言で通っていったのがわかった。


 青柳が振り向いたのに特段の理由はなかった。彼らは外国人風の帽子を被ったり、ヘルメットをしたりしているが、そういう人は幾らでもいる。しかし十人も連れ立って行動するのは珍しい。外国人観光客にしては殺気立った雰囲気があり、竹刀のようなものも手にしているし、シャベルを手にしている男も――


 男の一人がいきなり警察へ襲いかかった。細身が不運だったのは、完全に注意が手元の機械に向かっていたことだ。「は?」と厳つい警察官の口が動いたのが、マスク越しにでもわかった。男は初手からシャベルで頭を殴りつけた。制帽の上からだったが、思い切り振り下ろしたせいか、頭蓋骨が内側にめり込んだのが遠くからでも見えた。


 何かのスイッチが切り替わった。青柳がその場を離れた瞬間、世界あるいは青柳自身のスイッチがパチリと切り替わったのだ。そしてキャンバスに絵の具をぶちまけたような何かが起きている。


 倒れた細身が痙攣しはじめるのと新渡にいわたり駅が破壊されていくのと、男たちが車道の車を攻撃するのは同時だった。さながら用意周到なテロリズムのようだが、ダンスのアドリブみたいに何も考えない瞬発的な動きのようにも見えた。青柳は状況の変化についていけなくて立っているままだった。昆虫の群れを見ているような気分だった。気づけば男たちの周囲には他にも死体が転がっており、どこかのビルから誰かが突き落とされる音がした。頭がグシャグシャになった者もいたし、足だけが折れ曲がって泣き叫んでいる人もいた。


 厳つい警察官が喚いていた。銃刀法違反やら殺人未遂とかいっているのが聞こえたが、男たちがそれぞれの角材を警察官に投げつけると、肩や顔に激突して動けなくなった。何人かが取り囲んでシャベルや木材、ゴルフクラブで殴り始め、警察官は動けなくなった。


 ちくしょう、と青柳は呟いた。


 青柳は離れた道をそのままUターンすると自転車で駆けて、店の入口を破壊していた暴徒を通り過ぎ、私刑の現場へと自転車で飛び込んだ。弾みで前輪がシャベルを振りかぶった男の脇腹に激突して「げッ」と声が飛んでいった。青柳は叫びながら自転車から降りてハンドルを持って力いっぱい振り回し、後輪や前輪が慌てて飛び退る男たちを掠めた。暴徒たちは闖入者相手に戸惑っていた。警察官はさっきの青柳のようにぼんやりしていた。


「ふざけるな! ふざけんな! 何なのよ! あんた達何なのよ! このまま二の舞になるの!? 死ぬの!? 早く逃げなさい!」


 その一言で警察官が瞬発的に動いた。起き上がり様にホルスターから拳銃を抜くと空へ向けて発射した。晴天に吸い込まれていく乾いた音に青柳は何の感慨も抱かなかったが、当の拳銃を向けられた暴徒が下がった拍子に死体にけつまずいて尻もちをついた。青柳が暴徒に自転車をもぎ取られた瞬間、警官は青柳を瞬時に抱えるとラグビーのタックルよろしく突っ込んでいき、彼女を交番近くのパトカーへと押し込んだ。一枚隔てた向こうから早くも暴徒がドアを殴りつけてきた。


「緊急避難します! くそ、安全なところに脱出しますよ!」


 場所は助手席で青柳はシートベルトを装着するのに精一杯だった。もちろん暴徒が目の前を塞いだが、警察官がアクセルを踏みながら同時にブレーキを踏むとギュイッと耳に響く音がして速度を殺しきれなかったパトカーが暴徒をふっ飛ばした。ああくそ懲戒だ! と警察官が叫び無線を取ってがなり始めた。


「CPCPこちら新渡にいわたりマルサン複数の不審者による暴行器物損害殺人未遂他多数! 現在市民を連れてマルニへと向かう柴田は重傷! 救急車求む」と一息にいう。だが無線の向こうも怒号が飛び交っており青柳には内容が聞き取れない。それからパトカーが道路に出るとあちこちのビルで煙が上がっていたり、車が横転しているのが見える。地面が燃えている。警官が運転しながら再びくそといった。彼は青柳に向いた。


「お名前なんですか?」


「青柳です」と彼女はまた答えた。この人は私の名前を覚えることはないだろうと思った。


《終わり》

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青々の空の隙間へ黒が射し込む とりまりこ @torimariko

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