光と闇の神子

天宮楓呀

第1話 水神の宝珠

 ――助けて……


 少女が泣いている。

(……あぁ、またこの夢か……)

 リシェはぼんやりとそんな事を考えながら目を覚ました。外はまだ薄暗い。モヤモヤしたものを胸に抱えながら、それでも漁の準備に取り掛かった。

 今日も漁は成功に終わったがモヤモヤは晴れず、気鬱を晴らせる場所へと足を向けた。



 マルレーネは崖っぷちで眼下の町を眺めていた。6年前の記憶と変わらない町。懐かしさはあるが、そこに帰る気持ちは今の彼女にはない。

(……もう、思い残す事はない……)

 後はこの足を前に出すだけ――そう思った瞬間、声がかかった。

「まー姉……?」

「え……」

 懐かしい呼び名に振り向けば、懐かしい面影を残した青年が1人。

「まー姉だよね? ……幽霊かと思った」

「……リシェっち?」

 マルレーネは、体ごと向き直りながら、どうしよう、と考えていた。どうしよう、このままじゃ死ねなくなっちゃう、と。

「まー姉、いつここに? あ、これから戻るとこ?」

「さ、さっき着いたところよ。……えぇ、そう、これから……」

「そうなんだ。あ、もしかして明日の事、覚えててくれた?」

 明日の事と言われて気付く。明日はリシェの誕生日だ。

「も、もちろんよ。……17歳になる、のよね」

「うん。大人? の男。あ、まー姉、今日はガレットさんとこに泊まる? 家に戻って、部屋が使えるかわからないし」

 いえーい、というようにVサインをしてみせたリシェがマルレーネの眠る場所を心配する。マルレーネは家に戻って養父母に会ったら益々……と思ったが、とりあえずリシェに話を合わせる。

「そう、ね。そうしようかしら」

「んじゃ行こ。もし家で寝られるなら、ガレットさんにはごめんすればいいし」

 そう言って背を向けるリシェの、有無を言わせぬ雰囲気に飲まれマルレーネは後ろをついて歩いた。途中山の方に寄り、マルレーネが好きだった果物を採る。

「はい、まー姉。……おかえり」

 そうマルレーネに果物を手渡して笑うリシェの顔は、6年前と変わりなく思えた。



「じゃあ、俺、ガレットさんとこに寄るから、まー姉は家に帰ってきなよ」

「そうね」

 マルレーネはそう答えて歩き出したものの、内心はどうにか養父母に会わずに、リシェに気付かれずに町を抜け出せないか考えていた。そこに明るい声がかかる。

「お姉様? お姉様ではありませんかっ?」

 まさかと思いながら振り向けば、懐かしい面影がまた1人。サリアは、やっぱり、とマルレーネに近付くと、その手を取った。

「お姉様、大丈夫ですか? リンドル襲撃の件はこの町にも届いています……。お怪我はされてませんか!?」

「あ、だ、大丈夫よ。……その、ちょうどその少し前に、お暇を頂いていた、から……」

 マルレーネは心配そうに覗き見るサリアから目を逸らすように視線を泳がせ、嘘をついた。サリアはその嘘に気付かなかったのか、よかった、と胸を撫で下ろした。

 それから他愛ない事やリシェの誕生日会の話をしながら養父母である学者先生の家まで行き、サリアとは家の前で別れた。

(どうしよう……)

 サリアを見送り、素直に家に入るべきか悩んでいると、背後でドアが開いた。

「それじゃ行ってくるわね。…………マーリーン?」

 懐かしい声に振り返ると、養母がとても驚いた、でも嬉しそうな顔をしていた。

「あぁ、マーリーン、無事でよかった……」

 養母はそう言った後、マルレーネに家に入る事を促し、自身は隣接する学校へと向かって行った。諦めて家に入ると養父が気付いて出迎えてくれた。その養父としどろもどろ話していると、リシェが帰宅の確認にやってきて、宿か家かどっちで寝るかの確認と、明日迎えにくる事を告げて去っていった。

「少し休ませてもらいますね……」

 気疲れもあるのだろう。どうしたらいいのかわからなくなって、マルレーネはひとまず部屋で休むことにした。リンドルに旅立ってから6年間使われていない部屋だが、養母はまめに掃除をしていたそうで、昔のままに休むことができた。



 マルレーネは部屋のベッドで横になると、泥のように眠った。幸い、悪夢は見なかった。起きてダイニングに行くと夕食が用意されており、メニューはマルレーネの好物ばかりだった。懐かしい味はとても心に沁みて、涙が止まらなかった。

 翌日、お昼前にリシェとサリアがマルレーネを呼びにきた。誕生日パーティーの開始時間だというので、養父に挨拶して2人に連れてかれる格好で、会場のガレットの宿屋に向かった。

 パーティーは盛況だった。近い歳の若者が大勢集まり、リシェの獲ってきた獲物をガレットが料理した物をメインに、たくさんの食事とたくさんの飲み物で、たくさん笑ってたくさん飲んで。

 マルレーネは自棄酒で酔い潰れてしまったが。

「ど……して……。どうして……。……行かないで……姫様……」

 潰れたマルレーネを家まで送ってく途中で、マルレーネが呟いた。寝てしまっている彼女をおぶっているリシェにしか聞こえない程の小さな呟きだった。そんなマルレーネの為に、リシェは精霊語で子守唄を歌うのだった。



 翌朝、少し遅い時間に起きたマルレーネを待っていたのは、二日酔いだった。起きがけに見た夢は悪夢だったし散々、と思ってる彼女に、養父が優しく薬を渡してくれた。その薬を飲んだ所にリシェが訪ねてきて、珍しい魚が獲れたから一緒に食べようと誘ってきた。

 迷ったマルレーネだったが、養父に後押しされ、リシェとサリアと一緒に、調理してくれるガレットの宿屋へと向かった。

 と、宿に着くところで、前方から歩いてきた黒髪黒服の男性が、ふらりと倒れた。駆け寄って声をかけると微かな声で「駄目だ……」と言うのがリシェには聞こえた。

「……ん、なんかダメらしい。とりあえず宿に運ぼ」

 3人で力を合わせて宿の椅子に座らせ、男性が落ち着くのを待って話を聞いてみると、この近くにあるシーナの古い祭壇を探してるので案内を頼めないか、という事だった。

「シーナ様の……? サリア、なんか知ってる?」

「さぁ……? あ、でも、海岸の崖に洞窟があって、昔はそこに参拝してたって聞いた事あるわ」

 シーナの神官であるサリアのその言葉で洞窟の入り口までは案内してもいい、と言うリシェに対し、男性は奥の祭壇まで案内してほしい、と言う。嫌そうなリシェだったが、マルレーネとサリアの意見を聞き、2人共多少の危険があっても奥まで行く、と意思を固めていたので、諦めて同意した。

「女の子2人を危ない目には遭わせられないっしょ」

 そう格好つけるリシェの後頭部でサリアに着けてもらったリボンが揺れた。



 装備を整え洞窟に向かい、人工的に整備された通路を歩く。分かれ道で奥の様子を窺ってみると、足音が微かに聞こえた。通路をよく見れば、複数人が通ったような跡がある。警戒しながら進んでいくと、巨大なムカデ2体と遭遇した。

「これも『できるだけ殺さずに』か?」

「これこそ、だよ!」

 洞窟に入る時にリシェがねだった約束をカインと名乗った男性が確認する。長い年月の間にここに棲みついた生物を殺す事を、リシェは嫌がった。

 戦術を工夫して、1体は逃がす事に成功し、1体は気絶させ、通路を再び進む。リシェの耳に重たい石を動かすような音が届いた。急ぎ足になり奥へ行くと、人が通れる幅に開かれた扉があり、先は広間になっているようだった。緊張しながら扉をくぐると、広間の奥側に人と『人のようなもの』が立っていた。

≪……邪魔者?≫

 マルレーネの剣先に点いたライトの灯りに気付いて、中央の人が振り向いて言った。その言葉はリシェにはわかったが、精霊語だった。そしてその姿を見てマルレーネとサリアが息を飲んだ。

「ダークエルフ……!」

 危ない事はカインに任せて下がろうと提案するリシェに対し、サリアは首を横に振った。

「シーナの神官として、ダークエルフはほっとけないわ!」

 ほっとけないってなんだよ、と思いながらもリシェも武器を構え、戦闘が始まった。

 リシェの魔法とカインの剣技で敵を圧倒していき、逃げようとした2体を組み敷いて全員ロープで縛り上げる。カインが怪我の確認をしてから、祭壇を調べオーブを手に取った。リシェやサリアがオーブを見に近寄り、リシェはカインの精神に違和感を感じる。だがその違和感がなんなのかわからないまま、カインはサリアにオーブを渡した。その手が懐に伸びかけて戻された。

 そのままオーブやダークエルフ達をどうするかを話していると、いつの間にか広間の入り口に男性が1人立っていた。

「俺がカインを連行するのと、そいつらを連行するのと、どっちがいい?」

「どういうこと?」

 謎の男性といくつか問答し、さらにはカインともいくつか問答し、マルレーネにライトを消してもらい、リシェは渾身のシェイドをカインにぶつけた。

≪俺のモヤモヤを受け取れー!≫

 その選択にマルレーネは驚き、サリアは呆れ、謎の男性は爆笑した。そして気絶させられたカインを担ぎ上げた男性が去ろうとするところにマルレーネが声をかけた。

「……カインさんと、また会う事はできますか?」

 マルレーネのそれは、不意に出た言葉だった。先の事などまったく考えていないのに。

 シェーンと名乗った男性は頷くと、時間はかかるが会えると言った。マルレーネがその約束を必要としていない事に、気付いているのかもしれなかった。


 またな、と言って去っていくシェーンを見送り、改めてオーブとダークエルフ達をどうするか話し合った。そしてオーブはシーナの神殿に納め、ダークエルフ達は町の人達に運んでもらう事になった。

 逃がしたムカデが戻ってくる前にすべてを終わらせようと、早々に町へと戻り、シェーンが去り際に『危険手当』と言って渡してきた金貨を分け合い、先に家に帰ると言って歩き出したマルレーネに、明日の昼食を一緒に食べようと約束を投げかけるが、マルレーネは振り向かずに手を振っただけだった。

「お疲れ様」

 そう言ってサリアが頭を撫でた。リシェは震えていた。

「人と戦うのは、怖いね……」

「……そうね……」

 宥めるように、サリアはリシェを抱きしめた。

「リシェは『冒険ごっこ』は好きだけど、本当の冒険には向かないのかもしれないわね」

 しばらく抱きしめ合って、初めての怖さが治まるのを待って、2人も家へと帰った。夕食まで爆睡し疲労を取ったリシェは、家族に断って深夜に家を出た。



 置き手紙をして荷物をまとめ、そっとドアを閉めて歩きだそうとしたマルレーネの前に、リシェが立っていた。

「な、なんで」

「えー、まー姉が約束を口にしなかったから」

 そう言って、行こ、と場所変えを提案して歩き出す。その有無を言わせぬ背中に、マルレーネは従うしかなかった。

 2人の思い出の崖にたどり着くと、リシェは切り出した。

「まー姉はなんで死のうとしてたの?」

「えっ。な、なんでそんな……」

「だってあの時、俺にはこう……」

リシェは足を半分崖の外に出す。

「危ない!」

 咄嗟にマルレーネはリシェを後ろから抱き止めた。

「うん、危ないよね。でも、しようとしてたよね?」

「それは……その……」

「なんで?」

「……いつから」

「え、最初から。言ったよね、幽霊かと思ったって」

「……えぇ、そうよ。私は……命を絶つ為に……」

「なんで?」

「私は……全てを失ったの。もう……何も残ってないのよ……っ」

「なんで?」

「……私は……姫様に……我が騎士にあらずって、言われて……」

 んー、とリシェは少し考える素振りを見せた。

「まー姉はさ、マルレーネ・フォン=グリンデルヴァルト、なんだよね?」

「……えぇ、そうよ」

「マルレーネさんの忠誠は、誰に……何に誓ったもの?」

「それは……王家だけど、私は姫付きの近衛だったから、姫様にと言えるわね」

「その忠誠は、なくなっちゃうものなの?」

「それは……!」

「そんな簡単になくなっちゃう忠誠なの?」

 答えられないマルレーネを見ながら、リシェは次の言葉を紡いだ。

「それにさ、なんでここで死のうと思ったの?」

「それは、一目故郷を見てから、と思って……」

「あのさ、俺、怒ってるんだよ……? ここで死んだら一番に見付けるの、多分俺だよ?」

「あ……」

「俺、学者先生達がどれだけまー姉を心配してるか知ってる。言えないよ? 一生、墓まで抱えてく。死ぬならどっか他の場所で死んでよって思った」

「……ごめんなさい……貴方を傷付けるつもりじゃ……」

「うん。まぁ、全てを失ったって、全てに俺達の事が入ってなかった時点で傷付いてるけどね?」

「……! ごめん……なさい……」

「うん。そしたらさ、まー姉は俺に会って、サリアに会って、学者先生達に会って、どうだった? 本当に全部なくした?」

「……それ、は……」

「俺思うんだけど、本当に全部なくしてたら、ここまで来ないよ。どっかで死んでる。まー姉は残ってるものを探しにここまで来たんじゃない?」

「……まだ、探していいの、かな」

「うん」

 マルレーネは泣いていた。リシェの言葉は、死を求めていた自分にたくさん突き刺さったけれど、本当に必要なものに気付かせてくれた。張り詰めていた糸が切れて、マルレーネはリシェの胸に顔を埋めて大声で泣いた。

 リシェはその背中を優しく撫でて一言。

「おかえり、まー姉」



 しばらくして泣き止んだマルレーネはリシェから一歩離れ、恥ずかしそうに微笑んだ。

「なんだか情けないとこ見られちゃったわね、リシェっち。……もう、リシェっちなんて呼ぶのおかしいわね」

「んーん。俺、大人の男になった?」

「えぇ、立派な大人だわ」

「……んー、でもなんか寂しいから、呼び方はそのままで。俺がドキドキするくらいの男になったら、でいいよ」

「わかったわ」

「今日の昼飯は一緒な。約束」

「えぇ、約束」

「じゃあ、眠いけど漁行ってくる」

 そう言ってリシェはマルレーネに手を差し出した。

「姫、お手をどうぞ」

「わ、私は姫騎士であって、姫じゃないのよっ?」

「んー、町に帰るお姫様と、それを送るナイト、みたいな?」

「……もう」

 そうしてようやく暗い影のなくなったマルレーネは家に戻り、リシェは港へ行き漁に出る祖父の船に乗り込んだ。

 そっと家のドアを開けると、養父母が置き手紙を見て暗い顔をしていた。それを見てマルレーネは恐る恐る口を開いた。

「あの……それ……なかった事に……」

「……マーリーン!」

「あの、……まだ、ここにいてもいいかな」

「あぁ、ここはお前の家でもあるのだから、いつまででも、落ち着くまでいなさい」

 養父の言葉に、マルレーネは養母に抱き付いた。養父がその2人を抱きしめる。

「……ただいま」

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