第3話
外敵を一切寄せ付けないソレアの最深部に、その研究室はある。
ボサボサの髪を紐で一纏めにして、大きな丸眼鏡を外した女性は後を付いてきたアルジエを振り返って鋭く目を吊り上げた。
「ちょっと、あの男の言葉聞いた!? あいつ、ママにそっくりなアタシのことをダサいなんて言ってたわよ!!」
「聞いてたけどそれがなんだよ。ファッションセンスが壊滅的なヤツをダサいって表現すんだろ? 何も間違ってねえじゃん」
憤慨している女性に、アルジエは心底面倒そうにそう告げた。
「ママはダサくなんかないから!! ちょっと癖っ毛が酷くて服はいつもボロボロだけど、それが超かっこいいの!!」
「うるせぇババァ。メンテナンスが必要なんじゃねえのかよ」
「アンタのそれも!! アンタ、ママのことババァなんて呼んでるわけ!?」
怒りの火に燃料を投下された女性の文句は止まらない。
アルジエはヒトがそうするように、大きくため息を吐くような様を見せた。
「あのな。いくらオレでも母さんのことをババァなんて呼ばねえよ」
「じゃあアタシをババァって言ってるわけ? アタシ、ピチピチの16歳なんだけど?」
食ってかかる女性の額を押さえつけて自分から離し、アルジエはソレア内で最も頑丈とされる扉を見つめた。
横顔がどうにも物憂げに見えて、女性はくっと押し黙る。
「母さんは」
「……当然、まだ眠っているわ」
現在活躍しているヘリオスのメンバーたちが創立メンバーの二人を知らないのも無理はない。
隊長であるヨージクは世界が一変した20年前から行方がわからず、その10年後にはオレグが謎の深い眠りへと就いてしまっていたのだから。
「なあ、ロゼッタ」
名前を呼ばれるとそれはそれで複雑な気分になりながら、女性──ロゼッタ・ノーヴォは顔を顰めながら続く言葉を待った。
しかし、アルジエは彼女の名前を呼んだきり黙ったままでいる。
創立メンバーの二人がいない中でヘリオスが戦い続けて来られたのは、ロゼッタの持つ固有魔法の《
強度不足であったり、魔導回路の不具合であったりと実践に起用できないもの全てがロゼッタのサポートに回っていた。
人知れず世界中を飛び回ってプリズラグとの戦闘を続けていた完成品ボーイであるアルジエをヘリオスのメンバーとして採用したのは、ロゼッタが引き継いだオレグの意思だ。
「遊びの場じゃないんだし、仲良くしてとは言わないけれどさ。もうちょっとなんとかしてよ」
反感を買うようなことがあって、ヘリオスを追い出されようものならそれはオレグの意思を無碍にする行為である。
ロゼッタの言葉を受けたアルジエはじっと扉を見つめたまま、小さく口を開く。
「オレは、父さんと母さんにしか従わねえ」
それがいくらオレグの日記に書いてあった通りに動いているロゼッタのお願いだとしても。
オレグやヨージクから直接与えられた命令でないのであれば、アルジエはそれを叶えてやるつもりなどないと。
オレグの設定した通りの人格を持って生まれたアルジエは強く突き放す。
『なんだ、この生意気なガキは』
『私、クソガキが大好物なんです!』
生まれて初めて聞いた二人の声は、メモリの中にしっかりと記録されている。
怒りを通り越して呆れ返りながら、それでも静かな声で言ったヨージク。
それに悪びれることもなく、自分がその通りに設定したのだと明かしたオレグ。
戦場での場に相応しいとは言えないやり取りは、まさしく彼らの強い意思の表れ。
負けてたまるか、終わってたまるかと。
そんな声が付随していたのが、アルジエには理解することができた。
「オレは、父さんと母さんをこんな目に遭わせたヤツらを、殲滅するだけだ。その他大勢のニンゲンの生死だってどうでもいい。この世界が滅ぼうと知ったことか。馴れ合いなんてごめんだね。オレは、
脆弱な人間は足手まといになるだけ。
保護対象者に彼らを含めなかったのも、エラーだなんて言わせない。
アルジエは扉に背を向けて、ロゼッタの静止を振り切って研究室を出た。
「仲間だなんだって、そんなもん。雑魚が群れるための言い訳だ」
数多くいるボーイの中でも、完成品のアルジエはどの個体よりも好戦的だ。
それはある種の破滅願望にさえよく似ていて、長い間消息不明のヨージクや眠ったままのオレグを、もう戻らない存在と認識して自身を投げ出してまで仇討ちをしようとしているようで。
プログラムの通りにしか動かないはずのボーイであるアルジエが、何よりも人間らしく思えてしまって。
「……アルの、バカ。お姉ちゃんの言うことくらい、ちゃんと聞きなさいよ」
ロゼッタは思わずその場にへたり込んでそんな文句を呟いた。
アルジエにとってのロゼッタは、ただオレグの娘であるという認識しかないのだろう。
あの子のことも、きっとそう思っているだろうし、あの子だって。
姉弟と思って過ごしてきたのはきっとロゼッタ一人で、身勝手な感情でしかない。
それでも、自ら破滅に向かっていくクソガキな弟たちの行動を許容できるほど、ロゼッタは寛容にはなれなかった。
「ねえ、ママ。ママなら、どうする?」
重い扉を押し開けて、大きなベッドに一人眠るオレグに問いかける。
当然返事などあるはずがなく、ロゼッタはたまらず一人ですすり泣くしかなかった。
食事なんてしていないのに、彼女の意思で延命のような行為もしていないのに。
10年もの間、お伽噺のお姫様のように美しく静かに眠り続けている母親の姿を毎日眺めていると、自分にも誰も味方などいないような気持ちになってしまって。
だから、その代わりとするかのようにアルジエに縋ってしまっただけなのかも知れない。
オレグが突然眠りに就いたその時、ロゼッタはまだほんの6歳の子供で。
強くあらねばならなかったその反動は、心の闇を静かに、そして着実に成長させていった。
「さみしいよ、まま」
ぽつりと零した言葉を拾ってくれる相手もなく。
「いましかないわ」
ロゼッタは虚ろな目をして、ふらふらと歩き出す。
「いけません、お嬢様。それは──」
「だって、こうでもしないと」
危険を察知したボーイたちが次々と目を覚ます。
制止しようと声をかけるも、彼らにはそれ以上の行動は許されていない。
彼ら全ての支配権はロゼッタが握っている。
ロゼッタは誤作動防止用のカバーを突き破って魔導器具のスイッチを押す。
「アルは、アタシをすてていくわ」
それは、愛と寂しさが生んでしまった狂気。
ロゼッタは、研究用として生きたまま捕らえていたプリズラグの封印を解いてしまった。
ソレア内部にけたたましい警報が鳴り響く。
初めて聞いた者も多いだろうその警報は、施設内へのプリズラグの侵入を知らせるもの。
「ロゼッタ、お前──」
思い通りに、アルジエは彼女の元へと戻ってきた。
「ねえ、アル」
ロゼッタは唇を歪ませて、甘い声で囁いた。
「アタシだって、アンタを弟だなんて思ってないわ」
「やめろ、ロゼッタ。それ以上は」
「アタシね。なんだかんだ言いながらもアタシを守ってくれたアンタのことが」
ロゼッタの体から、闇と形容するのが一番似合う影のようなものが吹き出した。
それは真っ直ぐにプリズラグの口元へと伸びていく。
「お前が……母さんの娘であるお前が!! アートを生み出すつもりか、ロゼッタ!!」
「何を言っているのかわからないわ、アル。だけど、そうね。今、なんだかとっても気分がいいの」
ゆらりと揺らぐ体は陽炎のように不確かなものへと変わろうとする。
アルジエは両腕の先を短剣へと変化させた。
「寂しい思いをさせて、ごめん──姉さん」
低く静かな声で呟き、アルジエはプリズラグの核へと短剣を突き立てた。
最強人型兵器の正しい育て方〜この兵器、クソガキにつき要注意〜 浅霧紲 @lycos_311
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