最強人型兵器の正しい育て方〜この兵器、クソガキにつき要注意〜

浅霧紲

序章

 結局のところ、大した変化もなく過ぎてゆく日常が一番平和であり幸福なのである。

 そんなことを思いながら、春の陽気に誘われてどこかへ飛んでいきそうな意識を苦いコーヒーで連れ戻す。

 ずっと画面とにらめっこしていたせいか、薄っすらとぼやけた視界をどうにかしようと窓の外を見つめたのはオレグ・ノーヴォ。

 全く手入れのされていないボサボサの髪と大きな丸眼鏡が特徴の彼女は、この平和な世界では異端とされる魔導兵器専門の研究者である。


「私に仕事がないということは、とってもいいことなんですよ」


 誰にともなくそう呟きながら、期限の迫っている請求書の束を確認して頭を抱えた。

 平和であるということは、兵器など必要ないということ。

 兵器が必要ないということは、オレグの研究が進まないということ。

 研究が進まないということは、一切お金が発生しないということ。

 研究費という莫大な出費はないものの、人が生きていく以上出費がゼロになることはない。

 物心ついた時からずっと魔導兵器の研究ばかりをしてきて、生活能力すら皆無に近いオレグに他の仕事ができるはずもなく、悲しいことに赤字続きである。


「あー、ここらでどーんと戦争でも起こりませんかね」

「物騒なことを言うもんじゃない」

「あ、ヨージク隊長。おつかれやまでーす」


 大きく伸びをしながら恐ろしい願いを口にしたオレグを咎めたのは、こちらもなかなか仕事のない傭兵のヨージク・キンジャール。

 あまりにも仕事がなくやけ酒をしてやろうと酒場に向かった二人が組織を立ち上げたのはつい三日前の話。

 どんな状況になろうとも研究室から出るつもりのないオレグが、いずれ必要になるかもしれない貴重な戦力であるヨージクを隊長と呼んだことで始まっただけの組織である。

 故に、現メンバーは隊長のヨージクと研究員のオレグの二人だけである。


「あの場では確かにお前の意見に同意したが、俺達の出番なんてない方がいいだろう」

「でも、この支払いどうします?」


 酒の勢いというものは恐ろしいもので、活動の予定も拠点を持つ必要性も全くないのに購入してしまったこの巨大施設。

 なんでも、戦乱の時代には大活躍していたという立派な建物なのだ。

 物理攻撃は千年以上も風化せずにいた建物の頑丈さが耐えてくれるし、口頭による簡単な起動命令コマンド魔法を無効化するシールドを展開することもできるようになっている。

 そんな立派な建物が子供のお小遣いを数ヶ月分程度の金額で手に入れることができるのだから、現代がどれだけ平和なのかという話。

 そのちょっとした金額の支払いにすら二人が頭を抱えるのは仕方のないことのようにも思える。


「あの時の酒代が無駄だったな」

「それを言ってはいけませんよ」


 いくら金を持っていない人間にだって、飲まなきゃやってられない時というものがあるのだ。

 それに、使ってしまったものはいくら嘆いたところで戻っては来ないのだから。


「ヨージク隊長、アングルベアでも倒してきてくださいよ」

「今夜は鍋か?」

「不味い肉でも気分的には豪勢に思えますんで」


 世界には魔物という瘴気しょうきと呼ばれる使い古された魔力に侵された生物が存在する。

 それを倒すのも傭兵であるヨージクの仕事ではあるのだが、実を言うとこの魔物退治はほとんど金にならないものばかりなのだ。

 というのも、魔物というのは人を襲うような凶暴性を持つわけでもなければ利用価値の高い素材が手に入るわけでもない。

 ただ、瘴気に侵されてしまっただけの、ちょっと鍛えれば幼い子どもでも討伐できるような生物である。

 金がなくまともな食事を買えない者が討伐してその肉を食らうための存在として知られている。

 ちなみに、アングルベアというのは文字通り瘴気に侵された熊の魔物で、その肉は本来の熊の持つ独特の臭みとエグみを何十と集めたような強烈な味をしている。

 ヨージクは平然とそれを口にしていたが、初めて食べたオレグはしばらくヨージクの手料理を警戒してまともに食事をしようとはしなかったくらいだ。

 それが今としてはこうして自分から提案するほどなのだから、慣れというものは時には恐ろしいものである。


「こんなに平和じゃあ、ヨージク隊長の腕も鈍っちゃいますね」


 オレグの言葉に、ヨージクはこっそりと小さなため息を吐いた。

 時代錯誤もいいところではあるが、もしやとの思いもあって祖父の言葉を忠実に守って今まで鍛錬を欠かすことなく生きてきた彼も、少しばかりうんざりしていた。

 来たるべき災厄のために。

 それが今は亡き祖父の口癖だったが、その来たるべき災厄とやらが本当に訪れることなどあり得るのだろうか。

 便利なもので溢れかえった、子供の笑顔の絶えない平和な世界。

 多少の飢えはあろうとも、それによって人が命を落とすことも滅多にない、わざわざ争わなくても資源も食料も分け合うことのできる裕福な世の中。

 何度もこんな無意味な鍛錬などやめてしまおうと思うことはあった。

 それでもやめられなかったのは、祖父の持つ固有魔法が《予知夢ナイトメア》だったから。

 固有魔法というのはその者が生まれ持った魔法術式のことで、ヨージクには何の因果か《身体強化エンハンス》が備わっていた。


「あー、明日は雨だそうですー」


 のんびりとしながらも憂鬱そうに言ったオレグがそれを知ることができるのも、彼女の固有魔法である《天候報知ウェザーニュース》のおかげである。

 固有魔法は全ての者が持つわけではないのだが、それだけで地位が確立されるほど稀少なものというわけでもない。

 あれば便利、なくても困らない、そんなものだ。


「今晩と明日の分だな」


 ヨージクは重い腰を持ち上げてようやく立ち上がり、戦斧を手に取る。

 外の様子を窺うために窓の外を見て、そして怪訝そうに首を傾げた。


「……おい、オレグ」

「はいはい、なんですか」


 ちょいちょいと指で招くと、面倒そうにオレグが立ち上がりヨージクの隣に立つ。

 彼が指で示した先を見て眉を寄せた後、オレグは眼鏡を外した。

 オレグの眼鏡は人間離れした視力を矯正するためのものなので、遠くを見るためには外してしまった方がいい。


「空間魔法の一種でしょうか」


 オレグがそう呟き、ヨージクは肯定も否定もせずにじっとそれ・・を見つめる。

 雲一つない青く澄んだ空に、ぽっかりと穴が空いてしまっているかのようにも見える。

 その場所だけが無という闇に飲み込まれてしまったかのような、そんな不思議で不気味な光景。

 それは太陽の光の対となって、同じ程の大きさでそこにある。

 ヨージクの脳裏に、祖父の言葉がよぎる。


『それは、闇を伴って産まれる』


 と、すれば、あれが来たるべき災厄の正体なのだろうか。

 表情は変わらないが、ヨージクの背筋には冷たい汗が伝っていた。


「魔力反応は」


 すぐに席に戻って魔導器具を弄り始めたオレグに問いかける。


「ここからだとさすがに遠すぎてわかりませんね」

「遠い? あれがか?」


 この感覚を何と表現するべきなのか。

 ヨージクはぞっと背筋が凍るような気分になりながら闇を見つめていた。

 確かに、太陽と同じように見えているのだから距離はあるのだろう。

 しかし、手を伸ばせば掴むことができてしまいそうにも思えて、その感覚のズレがあまりにも気持ち悪い。


「ソレアの限界出力ですら拾えません」

「それはつまりどういうことだ」


 この基地、ソレアを実際に購入した所有者はヨージクだが、あまりにも色々なものが揃い過ぎていて全くといっていいほど把握できていない。

 それを完全に理解した上で使いこなしているのがオレグだ。

 研究者らしい顔つきになったオレグが胸に手を当てて強く握り込んだ。


「ここからかなり離れたところにあるのか、それか」


 考えたくはない可能性。

 あれだけのものがそんな存在であっていいわけがない。

 オレグの言いにくそうにしていることと、ヨージクの当たってはほしくない嫌な予感は一致していた。


「全く、魔力を持たないもの」


 意図せず二人の声が揃ってしまう。

 眉間に握った拳を押し当て、それからヨージクは目を閉じた。


怪物モンスターじゃないだろうな」


 既に忘れ去られてしまっても不思議ではない遠い過去の存在。

 魔力とは異なるエネルギーを扱い、世界を創るも壊すも自在な力を持つとされる神々ですらも苦戦した個体もいるという、伝説上の生物。


「嫌なこと言わないでくださいよ。さすがにそこまでは望んでませんって」


 警鐘が鳴り止まない。

 胸の奥、逃げろと騒ぐのは本当に自分自身なのだろうか。

 そして、世界は闇に包まれる。

 確かに目を開けているはずなのに、何も確認することができない。

 ヨージクとオレグはそれぞれ手を伸ばし、なんとか互いのそれと思わしきものを掴み合った。


 一体、どれだけの時が経っただろうか。

 とてつもなく長い時間だったかもしれないし、ほんの一瞬のことだったかもしれない。

 声を掛け合うのさえ忘れていた二人がハッと息を呑んで口を開いた時、そのタイミングを見計らったかのように闇が晴れた。

 先程までのことはなんだったのだろうか。

 もしかしたら、色々と考えるあまり疲れ果てた二人が目を閉じて休んでいただけに過ぎないのかもしれない。

 そんな馬鹿なことを考えてしまうほど、窓からはいつも通り何もない平和な景色があるだけだった。


「できる限り調べてみます。私は研究者ですから」

「専門外じゃないのか」

「言ってる場合ですか」


 謎の現象、とだけ結果を出して片付けてしまうにはあまりにも危険な感じがして、オレグはすぐに原因を究明しようと魔導器具をフル稼働させた。

 それがどんなものを使ってどんなことがわかるものなのか、ヨージクには一切理解できないのだが、彼女が調べてみると言ったからにはあの闇の正体は意外とすぐにわかるかもしれない。

 オレグにはそれだけの実力があるのだ。

 畑違いの自分がどれだけ頭を捻ろうと意味はないこと。

 戦斧を握り直して外に出たヨージクは、まるで何かに導かれたかのように空を見上げた。

 建物の中からは見えなかった空高く、真上の方向。


「……あ、れは」


 ヨージクの喉から漏れた声は、これまでにないほど情けなく揺れていた。


「オレグ!!」


 できる限り声を張り上げて、作業に夢中になっているであろうオレグを呼ぶ。

 普段そうすることのないヨージクが声を荒げたせいだろうか。

 作業している時には周りが見えなくなりがちなオレグだが、すぐに窓から顔を覗かせた。

 もうあれを視界に入れたくない。

 そうとでも言いたげに俯いているヨージクが指し示す指の先。

 オレグは窓から身を乗り出して確認して、大きく目を見開いて短い悲鳴を上げた。


「俺の、勘違いだと、言ってくれないか」


 いつも毅然として振る舞っていたヨージクですら、体の、声の震えが止まらない。

 オレグに調べさせるまでもなかった。

 来たるべき災厄とやらのためにこれまで鍛錬を重ねて生きてきたのだ。

 あれ・・を見てわからないほど無知ではない。

 正体がわかって安堵する気持ちがないとは言い切れない。

 だが、わかってしまったからこそ。


「な、んで……」


 子供の頃、親にひどく叱られたことがあれば聞かされる脅し文句がある。


『悪い子の所にはアートが来るぞ』


 それは悪夢と絶望の象徴。

 神話で語られる、不滅の神すらも手こずらせたという、地獄の意味を持つ名前をした最も恐ろしい怪物モンスター

 その成獣の姿を描くことは禁じられているため、どんな姿をしているのかはわからない。

 しかし、その卵に関しては、実態のあるものの方が子供に言い聞かせるのにちょうどいいという理由からよく描かれていた。


「嘘……嘘、でしょう……」


 思わず溢れ出した涙で顔をぐちゃぐちゃにして、オレグは大きく首を振っている。

 そんなことをしても、そこにある事実は変わりはしないというのに。

 読み聞かせられたお伽噺にアートが出てくれば、どこかにそれがいるような気がして暗闇が怖くなって、電気を付けたまま誰かと一緒でなければ眠れなかった。

 幼少の頃、しっかりと植え付けられた心的外傷トラウマが蘇る。


「おい、あれ見ろよ!!」

「あ、あれは、まさか……」

「趣味の悪いイタズラだな。誰の仕業だよ」


 どこからともなく声が聞こえてくる。

 その存在に気づいた者でも、それが本物だなんて思うわけがない。

 それほど現実味のない、それでも変わらない恐怖を与えてくるものなのだ。


「……どうしろってんだよ」


 ヨージクは思わずといった様子で脳裏に浮かんだ祖父に悪態をついた。

 そうでもしなければ。


「答えろよ、くそジジイ!!」


 恐怖に飲み込まれて呼吸すらままならなくなってしまいそうだったから。


 その日、世界は恐怖と混乱に飲み込まれ、そして。


 在るべき形を失った。

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