第二十一話 剣の手入れをする時


雨が上がった午後、あやかは屋敷の縁側に座っていた。


湿った空気の中に、雨だれがぽつぽつと木を叩いている。

音は静かで、けれど絶えず続く。


その膝の上に、一本の刀。

黒漆の鞘に、わずかな傷。

戦の跡ではない。日々の移ろいが刻んだ、生活の細い痕だ。


あやかは、そっと布を手に取った。



まず鞘を拭う。

端から端まで、音も立てずに滑らせる。

布がこすれる音が、雨音に溶けていく。


鞘から刀を抜く。

刃は光っていない。

だが、あやかの目には、それで十分だった。


鍔の隙間に詰まった細かい埃を、竹の棒で軽く払う。

指にかすかに触れる冷たさと、鉄の静かな重み。


「……よし」


昔のことが、ふと喉元まで浮かびかけた。

けれど、あやかは何も思い出さずに、ただ静かに刃を納めた。



その時、猫が現れた。

濡れた足で、縁側にぺたぺたと音を立てる。


あやかの隣に座り、刀の鞘の先に鼻を寄せた。


「これは、まだ眠っていてもらおう」


そう言って、刀を布に包み、膝の横に置く。



湯をすすり、干し柿をひとつかじる。


甘さが静かに広がる。

その甘さは、刃の冷たさとは違う“確かさ”だった。


風が吹く。

羽織がそっと揺れ、猫のひげがわずかにしなる。


刀は眠っている。

だが、整えられたまま、そこにある。


それでいい。



第二十一話・了

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風の中に立つ侍 風のあやか屋 @mikazuki2025

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