第十四話 椀をかえす音



昼時の村。

あやかは、一軒の小さな食事処に入った。


暖簾は少し色褪せ、軒先の花は風に揺れていた。


出されたのは、味噌汁と漬物、麦飯だけの質素な膳。

それでも、湯気はやわらかく、味はしっかりと沁みていた。


「……うまいな」


ぽつりと、誰に言うでもなく、あやかは呟いた。



隣の席にいた旅の若者は、汁に一口もつけず、飯も半分ほどで立ち上がった。


「……やっぱ合わねえな、こういうのは」


箸を雑に置いて、若者は去っていった。


店主は皿を下げながら、軽くため息をついた。


「最近は、味の奥を見てくれる者も少なくなりました」


あやかは、何も言わなかった。


ただ、最後のひとくちを口に運び、湯呑で流し込む。


そして、椀を両手で包み込み、音を立てず、ふわりと返した。


その音は、まるで“ありがとう”と風が言ったようだった。



店主は目を細めて、ぽつりと。


「……また、来てくれますか」


「風が戻るころにな」


あやかは立ち上がり、草履を履く。



軒先に、白い猫が現れていた。

椀が置かれていた席の足元で、じっと香りを嗅いでいる。


猫は一度だけあやかを見上げると、

何も言わずに縁に飛び乗り、店の奥へと消えていった。



その日、店主は味噌を一さじだけ増やしたという。


そして風が吹いた。

羽織の裾が揺れ、あやかの背中が、遠くに溶けていった。



第十四話・了

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