第十三話 黙ってそばにいた


その村の外れに、空を見ている老人がいた。


誰とも目を合わせず、誰とも話さず、

ただ一日じゅう、縁側に腰をかけて空を眺めていた。


あやかが村を通ったのは、そんな春の終わりの日だった。


「……あの人、ひと月ほど前に孫を亡くしましてね」

農具を手にした村の女が言った。

「それから、ほとんど何も口にしなくなったんです」


あやかは頷くだけで、縁側の反対側に座った。


老人は目を動かさない。

あやかも、何も言わなかった。



次の日も、あやかは同じ場所に座った。


空は青く、鳥が一羽、尾を引いて飛んでいた。

縁側には、二つの影。

ひとつは年を取り、ひとつは風を連れていた。


どちらも黙っていた。

だが、その沈黙は昨日よりも、やわらかくなっていた。



三日目の朝。

あやかは腰袋から小さな包みを取り出した。

干し柿がふたつ。


一つを自分の手に残し、もう一つを、隣にそっと置いた。


老人はしばらく見つめていたが、やがて手を伸ばした。


干し柿を口にし、もぐもぐと咀嚼する。

そしてぽつりと、呟いた。


「……よく晴れてるなあ」


それが、あやかが聞いた最初の言葉だった。



午後、縁側に白い猫が現れた。


老人の膝に乗ると、するりと丸くなった。

老人は、手を動かし、猫の背をなでた。


あやかは湯を飲み、空を見上げた。


風が、静かに吹いた。


声ではなく、そばにいることで、

誰かを癒すこともある。


名乗らずとも。

語らずとも。



第十三話・了

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