第十二話 名を偽る者
その村では、ひとりの若者が“殿様の末裔”と呼ばれていた。
堂々とした物言い、手入れされた衣、腰には立派な刀――
村人たちは誰も、それを疑わなかった。
「昔、戦で落ち延びた武家の血筋だそうです」
あやかにそう囁いたのは、年配の女だった。
「見るからに立派でしょう。字も読めるし、町で買ってきた本も貸してくれるんですよ」
あやかはうなずきながらも、何も言わなかった。
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その夜、村の広間でささやかな酒の席が設けられた。
若者は自信に満ちた笑みを浮かべていた。
「侍とは言っても、今となっては飾り物だ。
大事なのは、どう見えるかだよ。ねえ、旅のお侍さん?」
あやかはその言葉に、ほんの少しだけ目を細めた。
「……そうかもね。見た目は、立派だ」
それきり何も言わず、湯を飲んだ。
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夜更け、あやかはそっと若者の家の前に立った。
開け放たれた戸の奥、壁に掛けられた刀。
鞘に模様、鍔(つば)は細工もの。だが――
抜かずとも分かる。
重さがない。
刃の重みも、所作の気配も、そこにはなかった。
それでもあやかは、何も言わず、刀に手も触れずに背を向けた。
⸻
翌朝、旅支度を整えたあやかは、村のはずれで足を止めた。
若者がひとり、見送りに来ていた。
「……立ち姿、だけは、嘘がつけなかった」
ぽつりと、若者がつぶやいた。
あやかは微笑まず、ただ前を向いたまま答えた。
「名は、名乗るためにあるんじゃない。背中にあるものさ」
そのまま歩き出す。
若者も村人も、何も言わなかった。
⸻
小道の途中。
あやかは腰袋から包みを取り出し、干し柿をひとつ口にした。
甘さは変わらない。
だが、今日はほんの少し――渋みがあった。
風が吹いた。
羽織が揺れた。
名を偽った者の名も、
それを名乗らぬ者の名も、
風は何も語らなかった。
⸻
第十二話・了
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