第五話 草の名を識る者



その村ではいま、“毒”が恐れられていた。

誰が名づけたとも知れぬが、「赤の病」と呼ばれていた。


最初に倒れたのは、川沿いの畑を耕していた男だった。

次いで、似たような症状で倒れた者が数人。

吐き気、目眩、寒気。

村人たちは口を揃えて言った。「山に毒草が生え始めた」と。


――そして、あやかが呼ばれた。



あやかは、風のように現れた。


黒い羽織の袖を押さえ、草履の音もなく畑に立った。

腰に刀を差しているが、誰もそれを武器だとは思わなかった。

あやかが睨む先にあったのは、畝の端に咲く、ひとつの花。


深い紅色の、可憐な花。


「これを毒だと?」


問いかけると、村の若者がうなずく。


「ええ、これが……生えた辺りで倒れた者が多くて。刈っても、またすぐ生えるんです」


あやかはしゃがみこみ、草を摘んだ。

指で葉の裏を撫で、茎の切り口を嗅ぐ。


「……毒じゃないよ。これは“夕朱草”。弱った体を冷やす性質がある」


「え……? でも……」


「問題は、こっちだ」


あやかが指差したのは、その花の陰に潜むように咲いていた、地味な、白い草。


「見えづらい。けれど、こいつが強い。胃を焼く毒を持ってる」


村人たちは言葉を失った。



その夜、あやかは焚き火の前にいた。

静かに湯を飲み、包みに入っていた干し柿をひとつ取り出す。


「……柿は毒を消すとは言うけれど。こうも続くと、少しはありがたみが減るな」


それでも、口に運ぶ。


甘さは、悪くない。


火の向こうで、猫が一匹、丸くなっていた。


「……おまえも、草の名くらい知っているのかい?」


猫は答えず、あくびをひとつしただけだった。


風が吹く。

草の名も、花の名も、そのうち忘れられる。

だがあやかは、それを一度見たら忘れない。


草の名を識る者――

それは、ただの侍にすぎぬ女の、ひとつの在り方だった。



第五話・了

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