第四話 静けさの底
風が止んでいた。
山の斜面にひっそりと広がる村、その空気が“静けさ”に包まれていることを、あやかは足を踏み入れた瞬間に感じ取った。
木々は揺れず、鳥は鳴かず。
音はするのに、響かない。
「……重たいな」
つぶやく声も、土に吸い込まれるようだった。
あやかが訪れたのは、二日ほど前に“水音が止んだ”という噂が立った村。
本来なら、山の湧水がせせらぎとなって村を通るはずだが――今は、まったく音がない。
迎えたのは、村の長。
痩せた体に無精ひげを生やした老人は、伏し目がちに言った。
「川が……止まったんです。ある朝、突然に」
「せせらぎが、か」
「ええ。それからです。村の者が、山に入るのをやめました。風が……風が逆さに吹くと、言う者もいて」
あやかは何も言わず、腰に差した刀の鞘に軽く手を添えた。
抜かぬまま、歩き出す。
⸻
村の端。
川のはずれには、木々が倒れ、苔が乾いていた。
だが、あやかは膝をつき、地面に指を当てる。
「……流れている」
「えっ?」
「音がしないだけだ。水は通っている。下の層だな」
土を少し掘ると、わずかに湿った土が現れる。
そこに小さな石を落とすと、ごくわずかな振動が返ってきた。
「……川が沈んだんだよ。“土に引き込まれた”とも言える」
「そんな……じゃあ、川はどこへ……」
あやかは目を閉じる。
「山が声を変えただけだ。恐れることではない。場所を変えた水は、また場所を変えて戻る」
⸻
その夜。
村人たちは、久々に火を囲んだ。
あやかはひとり、縁に座って湯を飲んでいた。
猫が、いつの間にか足元にいた。
「来たのかい」
そう言っても、猫は顔を上げるだけで動かない。
村の長が小さな包みを持って現れる。
「これを……礼に。干し柿ですが」
あやかは包みを受け取り、ひとつ口にした。
「……甘い」
その言葉は、褒め言葉か、ただの事実か。
風が、ゆっくりと戻りはじめた。
どこからか、せせらぎの音がしたような気がして、
誰もが一瞬だけ顔を上げた――
だが、あやかはもう、村の外れに向かって歩き出していた。
⸻
第四話・了
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