日常パンデミック

氷雨ユータ

相反せしパンドーラー

 フィクションが好きだ。

 彼らは往々にして想定外の行動を取り、読者を驚かせてくれる。たとえそれが文字通り架空だったとしても、その思想こそが美しい。隣の芝生は青く見えるとのことわざがあるように、人は自分に無い物を羨ましがる。その癖、人と違う事を気にする人もいる。例えばそれは見た目であったり、身体的な機能であったり、特技とも呼べないような普通の事が出来なかったり。

 もしも解像度が低いと思うなら、それは俺が普通の人間だからだ。何かが人と違う人間だったならその気持ちは痛いほど分かっただろうに、残念ながらそのような事実はない。

 だから最初に戻るが、フィクションが好きなのだ。主に読書。

 時にリアリティがないと言われる事もあるが、俺に言わせればそのリアリティとやらが何よりつまらない。俺が見たいのは読者に寄り添った価値観の共有ではなく、その人物の価値観に基づいた異常な判断だ。

「おーい、聞いてるか?」

「うん。カツオノエボシの出汁が薄い話だろ」

「言ってねえよそんな事! 駄目だコイツなんも聞いてねえ」

 言葉を選ばずに言うと、本の主人公のような人間と友達になりたい。もっとこう、人生には思いもよらぬ事があって然るべきだ。砂地に水が染み込み、やがて泥が堆積するように日常は広がっている。例えば横のクラスメイトは1ーG(俺達は1ーA)に居る人間について話しているし、その内容は問題児が多くて関わりたくないという物だ。

 だから俺とは関わっている? いや、彼らはクラスメイトだが俺と仲が良い訳じゃない。二人で盛り上がっていて、帰り道たまたま俺が横に並んだから絡みに来ただけだ。つれない反応をしたら『こいつつまんねえ』と言わんばかりに口を尖らせ先に駅の方へと行ってしまった。

 いつもこうだ。予想出来ないような事は一度も起きない。俺の発した言葉次第で、人でも操ってるみたいにつまらない反応しかしてくれない。


 ―――そうじゃないだろ。


 皆、特別に憧れる癖に特別になろうとしない。普通はこうだから。日常は安心するから。反吐が出る。学校で散々、勉強しない奴の殆どはテストで点数が取れないって言われているじゃないか。結果は過程に紐づいている、特別になろうともしていないのに特別に憧れるなんておかしな話だ。だから俺は、そんな人達の為に話の流れを踏まえた上で変わった返事を返しているのに。誰も付き合ってくれない。

 駅のホームに到着してしまった。逆算して次の電車が来るまで二分とない。殆どが携帯を見ているか友達と話しているかで、話しかける余地がない。入学したての頃はのべつくまなしに話しかけて色々期待した―――高校デビューなんてあるくらいだし、本の中のような変人が一人くらい居ると思って―――が、全ては幻想にすぎず、俺との会話に付き合ってくれる人は居なくなった。SNSにおけるクラスのグループも最初は入っていたがもう弾かれた。悲しいなんて思わない、全ては予想通りだ。それが一番つまらない。

 電車に乗って、家に帰って、寝て、起きて、また学校。つまらない。つまらない。つまらない。つまらない。つまらない。つまらない。





「なんだお前その恰好は!」




 

 平穏をつんざくしゃがれた男の低い声。何事か分からぬトラブルに胸を膨らませて最前線に様子を見に行くと、この世の者とは思えぬ怪異のような女性がサラリーマンっぽい男に絡まれていた。

「な、何じゃあこりゃあ!」

 ファッションセンスの善し悪しなど分からないし然程興味もない。しかしそれはあまりに、斬新だった。

 黒々としたガングロ肌、色鮮やかなメッシュを入れた髪は虹というより千羽鶴みたいで、顔周りのメイクはハイライトを極端に白っぽく、つけまつげはコントかってくらい誇張されたように大きい。もう世の中にはつけまつげかどうかもいまいち分からないようなナチュラルなサイズもあるが、その女子のデフォルメっぷりは尋常ではない。ここは確かに現実だが、現実味のないファッションセンスに鳥肌が立った。

 俺の絶叫に周辺の視線が全て注がれるが、どうしてきっかけを作った二人までこちらを見るのだろう。こっちはただ驚いただけなのに。何事も続かないと分かると、トラブルの中心は再びサラリーマンと女子……制服から、恐らく同級生の子へ。

「今時そんな恰好をする奴があるか! 普通の格好をしなさい普通の!」

「か、関係ないじゃないですか。おじさんに迷惑かけてないでしょ」

「あー? その恰好が迷惑なんだよ! 周りを見ろ! 今時そんな恰好をしてる奴なんかいないだろ! そんな悪ふざけみたいな格好なんて今すぐやめなさい!」

 話の流れが見えてこないが、難癖だろう。事態の流れを知った周囲の生徒達は皆馬鹿にしたように彼女を嗤っている。他人の不幸は蜜の味とも言うが、それなら誰も話しかけてくれなくなった俺を見て全員が嗤う筈だ。この違いは一体?

 そんな嘲笑をかき消すように電車が向こうからやってきて停車する。これもまた日常の象徴だ。予定通りの時間に来て予定通りの時間に去る。交通インフラにつまらないもクソもないから俺も使っているが、この状況で乗り込む人間には理解に苦しむ。

 トラブルが面白いのに、自分からつまらない場所に行くのか?

「あの、電車来たんで……」

「今すぐやめろと言ってるんだ! 話は終わってない!」

「え、駅員さん呼びますよ!」

「ああ呼べ! 見てもらおう、他の人にも! なんだこの髪は! 全員におかしいって言ってもらおうじゃないかええおい!」


 タタン、タン、タタタタタ、タッタッタタン、タタンタン。


 この機を逃す術はない。間に割り込むようにタップダンスの音を構内に響かせながら再度声をかけた。

「やあやあおじさん。俺は、おかしいかな?」

「は、は? な、何してるんだ?」

「見ての通りタップダンス。上手いもんだろ? さあ見てってくれ。見て、是非に感想を聞かせてくれ。それとも一曲提供してくれるか?」

「…………」

 男は呆気に取られて暫く俺を見つめていたが、それはガングロ肌の女子も同じ事。思い出したように男に手を取られて、今すぐ立ち去るべきだったと後悔した……様に見える。

「ほら、来い!」

「ちょいちょいちょいちょいちょいちょいちょい。ちょちょちょちょちょちょちょちょちょ。俺を無視? おいおいそりゃないよ。今この場でおかしいのは俺! 駅員に見せるべきも俺! 違う?」

「なんだお前頭おかしいのか? 高校生にもなってイタいぞ」

「そうなんだよイタいんだよ俺。だからさ、駅員には俺を連れて行こうよ。時間は沢山あるからさ。もう全部、全部踊るから。駅員さんの前でさ、おじさんは俺のダンスが何故そんな変なのかを熱弁してってば」

 関わりを避けるように電車の扉が閉まり、反対側へと走り去っていく。ガングロ肌の女子が「あっ」と叫んだが時既に遅し。ここは都会じゃないから、どんなに早くても次の電車は五分や十分そこらで来てくれないのだ。

「―――お前らのせいで電車を逃したじゃないか! どうしてくれる!」

「え、マジ? 俺もなんだよおじさん。じゃあお互い時間たっぷりあるし、やっぱり見せに行こうか」

「くだらん! どけ!」

 肩で立ち塞がる俺を突き飛ばし、男性は駅前のタクシー乗り場の方へと向かってしまった。



「…………つまんねー」


 

「えっ」

 ここの生徒が駅のホームにいる以上電車待ちである事は明白だったにも拘らず、わざわざこのタイミングで絡む人間なんてさぞ空気が読めず頭のおかしな人間だと思ったのにがっかりだ。俺の予想通りの反応しかしてくれないなんて。

 しかも自分も電車待ちだった上で絡んだ。目の前に我慢ならない物が飛び込んできたから身体が動いたという事なのだろう。そんな常識はずれな行動をしておいて何故ここまで面白くない反応をしてしまうのか。

 あー、電車も乗り過ごしたし、最悪だ。

「あ、あの。助けてくれてありがとう……」

「ん?」

 お礼を言われる事は想定していたが、お化けみたいな見た目から普通の行動をされると混乱する。それでようやく気付いたが、顔よりも何よりもネイルが凄まじかった。日常生活に困る事など想像に難くないくらい長く伸びた爪に、桜や藤のような綺麗な花が描画されている。指をその辺の壁にぶつけるだけでもへし折れそうで、怖い。

「わ、私を助ける為にやってくれたんでしょ。変な人に……見えないし」

「あー……まあ助けたは助けたけど、どうかな。結果論な気もする。あのおじさんが居なかったら俺が声を掛けてたし」

「……やっぱり、見た目?」

「うん、見た目」

 その奇抜な見た目がどんなに難解でも、しょぼくれている事くらい体の動きで分かる。

「え? もしかして凹んでるの? そりゃおかしいだろ。自分でそのメイクしてるんじゃないの?」

「ぞうだけど。どんなおめかしするかは個人の自由じゃない。人を見た目で判断しないでよ」

「だけど普通とあまりにかけ離れた見た目をするなら絡まれる事くらい想定出来るでしょ。ファッションなんてこの世で一番身近な自己表現なんだから責任持たなきゃな」

 遅れて、自分の言葉に語弊が生まれそうだと思い慌てて付け足す。

「あ、その恰好するなって言ってるんじゃないよ。俺はその恰好、最高にイケてると思う」

「えっ? ほ、本当にそう思う?」

「そう思わなきゃ助けてない、かな。色々聞いてみたい事があったんだ。えーっと」

「あ、阿万代理世(あましろりよ)って名前」

「若綱信介(わかつなしんすけ)だ。じゃあ理世。電車を乗らなかった場合、家に帰る方法は?」

「え、ええっと……歩く」

「歩く? タクシーじゃなくてか?」

「タクシーは……話題が大抵私の見た目だからさ」

 ああ、そういう事。

「じゃ、歩いて帰るか」

 理世の手を引いて外に出ようとすると、見た目の割に手ごたえが重い。どちらかと言えば痩せじしな体型だと思っていたが見誤ったか。振り返ると、腰を落として踏ん張っている彼女の姿が。

「ちょ、ちょっと。何で歩くのよ。次の電車を待てばいいだけじゃない」

「もう十分好奇の目には晒されたと思うけど、まだここに留まるのか?」

 踏み止まっていた足が楔の抜かれたようにするりと抜けて動き出す。歩いて帰る方法は家が近くなければ大抵、最も遠回りな帰宅の手段になる。俺も家が近い訳じゃない。ただ帰りたいだけなら、歩くのは非効率だ。

「…………あ、歩いたら二時間くらいかかるわよっ。家の方向は同じなの?」

「近所だったらもっと前からお前の事知ってると思うし違う気がするな。まあ気にしないでよ。長時間かかればそれだけ長く話せるだろ?」

 聞きたい事が色々とある。さっきから随分と俺の中ではチグハグで、全くかみ合わないのが気になっていた。

「へ、変な奴」

「そんな見た目の奴に変とか言われたくないよ。あ、そうそう。見た目の話。そのメイクは何? うちは確かに校則ゆるゆるだけど、限度ってモンがありそうじゃない? 少なくとも大人ウケは悪そうだ」

「だ、大丈夫よ。これでも成績は頑張って維持してるんだから……成績が良かったら授業中に寝てても許される、でしょ? それに、私より周りの方が酷いし。G組のGはゴミのGだって言われてるの聞いた事ない?」

「そうなの? へー」

 また面白みのない蔑称だ。クラス分けのアルファベットは英語なのだから基準を合わせてGarbageと言うべきだ。それをまさかGOMI呼ばわりとは、誰が言い出したか知らないが英語力に疑問を覚えてしまう。

 色々考えこんでいると会話に妙な間が生まれた。何気なく顔を見ると不思議な事に俺が顔を見られていた。自分で言うのもなんだが、そんな変な見た目はしていない。

「俺の顔に何かついてるか?」

「……そうじゃないけど、何で私を助けたのかなって思って。正直さ、このメイクで人から近づいてきた事がないの。トラブルは来るけどね。あはは」

「や、俺が助けたのは正にそんな理由なんだけど、率直に聞くか。ちょっと話した感じで悪いけど、お前から特別な感じが全くしてこない」

「もしかして、見た目が変だから私も変人だって思われた?」

「そうそう。どんな人間なのかなって思ったんだ。俺の周りには刺激が欲しいとか特別な人間になりたいとか言う癖につまらない奴しかいないんだよ。男ウケどころか同性ウケもあんまりよくなさそうなメイクをして、現にやめろと言われてたな。見た目で判断する俺に対して嫌悪感みたいなのも抱いたように見えた」

「うわ、好ましく思われてないのを知ってて絡んでるの……?」

「まああのおじさんは他人との距離感を間違えるアホだ。それはともかく、疑問が残るよな。理世、お前は普通過ぎる。なのに何でそんな恰好してるんだ?」

「ほ、放っておいてよ! 私のファッションとアンタに何の関係があるの!?」

「それだよ、それが噛み合わないんだ。誰が何と言おうとこのメイクをした私が世界一可愛いと思ってるなら分かるんだ。誰も口を出すべき話じゃない、文句をつけるのは筋違いだって。でも、お前の尺度は周りの奴らとそんな変わってないように見える。無理やりやらされてる訳じゃないなら変だよな、これって」

 最初は見た目の割に普通過ぎてがっかりしかけたが、聞けば聞く程不可解な状況に心の躍る自分が居た。これは『普通』とやらでは定義しきれない。自分でも可愛いとは思ってないのに自分からするメイク? 他人から敬遠される事など容易に想像出来るのにそれでも止めず、見た目で反応されれば相応に凹む。

「…………あ、アンタさ。普通って言うけどアンタも大分普通じゃないからね! こ、こんなに絡んでくるとか、友達とか居ないの!?」

「うーん、それは逆だと思うな。普通だから友達がいないんだよ」

 理世の手を取ると、綺麗なネイルに視界が吸い寄せられる。こうして間近に見ると意外とネイルも悪くない。全体的に爪の長さが足りないけど、俺もやってみようか。

「特別? 異質? 何でもいいけど、普通じゃないならこういう所から会話って広がるだろ。綺麗なネイルだねとか、爪が長いね、とか、こんなに爪長くて不便はないの? とか。俺にはそういう話題がない。だって普通の格好だしな」

「普通じゃないってそういう意味じゃないんですけど! 行動がおかしいのよ! みんなが遠巻きに見てたのに私を助けに入る所とか、絶対一番変だから!」

 話が噛み合わない。俺が変らしいが、それこそ鏡を見てから言ってほしい。理世のように目立つ人間なら気の合う合わないに拘らず話せる相手くらい生まれるだろう。だが俺は普通で、普通だから気の合う合わないで話さないといけない。友達がいないのは単にそういう理由だ。話しかけたけど、皆俺と気が合わなかった。

「…………でも、ありがと。理由が何でも嬉しかったわ。このメイクして初めて……親切にされたかも」

「ほら、やっぱり不便ばっかりなんだな。でもやめないんだろ」

「ええ、止めない。止めたくないの」

 理世は十字路で足を止めると、道路から少し外れたところにあるカラオケボックスを指さした。メイクの特徴としてとにかく目を強調しているせいか、その感情もありありと伝わってくる。

「カラオケで少し歌わない? どうせもう帰るの遅くなっちゃうし……駄目?」

「いいじゃん。でも近くにあるのか?」

「電車乗り過ごすのって別に初めてじゃないから知ってるわ。こっちこっち」

 カラオケも商売だ。相手の見た目が幾ら可笑しかろうと対応しなければならない。全身にゴミを被った掃きだめみたいな臭いの奴が来たら流石に断る気もするが……理世は見た目が奇抜なだけで匂いは至って普通。香水が嫌いだったら、苦手かもという程度。無事カラオケボックスに入れたので料理は適当にこちらで注文しておく。

「私が先に歌っていいの?」

「どんな歌を歌うか興味があるんだよ」

「……ホラー系のおどろおどろしい奴を歌えって言いたいの?」

「そんな事は言ってないけど、どうしたんだよ」

「このメイクはヤマンバって言われてるの。そんな事も知らないのに絡んできたの?」

 メイクの種類について詳しい男子もそう居ないと思うが。メイクに詳しいなら多分理世のメイクは面白いし十分話題を広げられるだろう。そんな事をしようとする人間は一人としていなかった。やはり山姥―――妖怪は遠くから眺めるに限るという事か。

「合いの手とか、出来る?」

「よし。注文を聞いてやろう。普通にやるか、情熱的にやるかだ。と言っても曲の中身次第だけどな。しんみりした曲に合いの手とか入れられないし」

 どんな人間とも人付き合い出来るように一通りの曲は覚えてきたつもりだ。尤もこれまでいかせてきた記憶はない。何故俺は初対面の人間の歌う曲が分かってしまうのだろう。いや、何故俺の予想通りの歌を歌ってしまうのだろう。それが日常という名の麻酔だ。みんな、どうかしている。

「…………」

 理世がタッチパネルとにらめっこする事何分か。ポテトが届いてしまった。

「いただきまーす」

「うー…………」

「自分から誘っといて悩むなんて変わってるな。普通こういうのは言い出しっぺの歌いたい曲は決まってると思ったけど」

「そうじゃなくてね……アンタの裏を掻くにはどんな曲が良いか悩んでるの。予想通りなんてぜえったいに言われたくないし!」

「普通って思われるのが嫌なんだな。ますます変だ。逆張りしたい気持ちは分かるけど、カラオケは楽しむ事の方が大事なんだから普通に楽しもうぜ」

「……めっちゃくちゃムカつく! 普通じゃない奴に普通って言われた~!」

 そんな文句を言われても俺は普通だ。この手のやり取りは不毛というか、俺の発言がよっぽど気に食わないからただ噛みついているだけだ。そういう精神性も見た目からは想像もつかぬ程平凡で……それなのにまだ、つまらないと思いたくない。

「よし、きーめた! じゃ、合いの手よろっぷ~♪」

「はい! はい! ひゅー! 理世ちゃーん!」


「…………まだ歌ってないんデスケド」















「楽しかったけど、疲れた~」

「意外と歌上手いじゃん」

「歌は結構好きなのよね~。一人でも楽しめるから、練習しがいがあるっていうかさ。ここだけの話だけど一人カラオケって結構楽しくない? こんな見た目だとさ、色々ストレス抱えるっていうかさ……やりきれない思いの発散? 最高」

「……まあ、そのメイクなら色々はあるだろうな。黒すぎてお前の顔とかもう見えないよ」

 時刻は夜の八時くらいで、解散したのもこれ以上カラオケに居たら宿泊になってしまうからだ。家の近くらしい坂道にさしかかったところで理世が掌を壁の様に突き出してこれ以上進むなと頭を振った。

「ここからは一人で大丈夫。アンタも帰った方が良いよ」

「おう。夜道には気をつけろよ。見た目はお前の方が怪物だけど女子は女子だからな。不審人物が居たら逃げろよ」

「不審人物はアンタだから! ていうかさ、家どっち方向? こっちに来るわけじゃないんでしょ?」

 今来た道を指さすと、理世は怪訝そうに目を細めた。

「もう通り過ぎたって事? じゃあ先に帰ったら良かったのに」

「いや、通り過ぎたって言うか真反対」

「え?」

「カラオケ店入るまではまだリカバリーも効いたけど、そこからはお前と反対方向だ。なんで、今から往復する」

「………………何で付き合ったの? 夜道が怖いから付き添ってほしいなんか行ってないでしょ」

「俺の好きでやった事だから気にしないでくれ。じゃあなー」

 丸一日付き合って分かった事は、見た目が怪物染みていても中身は他の奴らと同じくらいつまらない…………訳でもない事だ。いや、語弊がある。つまらないのは確かだ。ただそうと切り捨てるにはあのメイクを止めない理由が気になる。せめて理由を教えてくれるまでは絡みたい。それとなく聞きたかったのにそれとなく流された。


 ―――初めて会ったなあ。あんな奴。


 今から家に帰ると更にもう一時間くらいかかる。補導を受けるのは何時からだったか。警察は面倒だ。何時に帰ったって俺の親が何か言う筈はない。そういう家だ。


「あー……次なるお化けでも探すかな…………」


 わざわざ人気のない道を選んで、たっぷり怖がるフリでもしてやればお化けがきてくれる筈だ。そう信じて、そう願って。






















 次の日も何か話す口実があれば話しかけたかったが、案外直ぐにそれは見つかった。それは駅構内で起きたトラブル然り、あのメイクが引き起こす凶事と言えるだろう。普通の格好をする奴はあんな風に絡まれない。可哀想に。

 体育倉庫の裏側にまで連れていかれたので、外側から様子を見る。今度はどういう理由で絡まれているのだろう。


 ―――水?


 男が四人も雁首揃えてやる事がバケツに水を持ってくる? 

「何? このバケツ。言っとくけど昔は昔だから。誰がアンタの為に化粧落とすの?」

「昔のお前の写真見せてもらったけどすげえ可愛いなって思ってさ。普段のお前みても女どころか怪物にしか見えなかったけど、昔だったら付き合ってもいいなと思えたんだ。な、一回化粧落としてくれよ。肌はまあ無理かもしんないけど……撮影させてくれって!」

「嫌! 女子が男ウケの為にメイクしてると思ったら大間違いよ。その勘違い、まーじで駄目だからね」

「はぁ……まあ、断られると思ってはいたけどな。おい―――やるぞ」

「何、ちょ、やめてよ!」

 どうやら大人数で理世の身体を抑え、その間に残る一人が化粧を落としてしまおうという作戦らしい。叫び声を上げようとした口も押えられ、腕も足も抑えられ、バケツが顔に近づけられる。

「お前のメイクは元々許されてるだけでみんなよく思ってないんだよ! 俺らは良かれと思ってだな―――」

「むぐ! むぐぐぐ! ぐぐぐぐぐぐぐ!」

「いっとっけど、手加減なんかしねえぞ! 化け物に手加減とか無理だからマジで! 分かったらさっさと女に戻れ!」




 ザバァッ!




「つまんねー事すんねお前らさ」

 後ろからバケツを蹴っ飛ばす事くらい訳はない。その内一人の足にしこたま水が被さったものの気にしない。元々そのつもりで蹴ったし。

「て、てめ誰だ!」

「俺? 俺は信介。外からずっと見てたけどさ、面白いと思ってやってんならギャグセンがないからやめた方が良いよ。お前らに芸人は無理だな」

「は、はぁ?」

「おい、高田、こいつには関わらない方が良いって。行こうぜ」

「んだよこいつがなんだってんだよ!」

「そうだそうだー俺は普通だー」

 なんとなく調子を合わせているが、有名になるような心当たりは本当にない。俺が何かしただろうか。まだ一年生で、そんな、嵐を呼ぶような期間も経っていない。理世が泣きそうな目でこちらを見つめているとさっきまでは言いたかったが、既に少しは泣いているのでメイクも多少崩れてきた。

「お前らさ、そいつはそのメイクだからいいんだろ? 酷い事すんじゃねえかよ。ええ、おい」

「信介、待てって。こいつの昔の写真見てみればお前も考え変わるって。見てみろよ」

「はい駄目! 地味! 映す価値なし!」

「まだ見せてねえよ!」

 この顔より奇抜で面白みがあるというなら別だが、そうはならないだろう。地味に見えるメイクくらいは知っているが、ヤマンバと呼ばれるメイクはどう考えても人を派手にする方向の技術だ。元がこれより派手になるとは思えない、というかそうはならない。

「ほんとお前らってまんねえよな。なーにが美人だブスだ、つまんねえ価値観見せやがって。んなしょうもないの気にしたかったらあっちの山んとこにある行儀が良くてぱりっぱりの制服着た展示会みたいなJK引っかけてろよ。ウチはルール無用、色んな奴が見られるからいいんじゃねえか。帰れ帰れ、ここは闇市だ、正規品が欲しけりゃ市場に行きなぼんくら共!」

「てめ―――このっ!」

「信介!」

 強烈な拳が顔に叩きこまれて身体が今にも吹き飛びそうになる。だが耐えた。体はぐるりと回転して頭がぐらついているが問題ない。

「喧嘩売ってんのか? お? 舐めてんじゃねえぞコラ!」

「凄むならもっとセリフ変えろよ。頭のてっぺんから爪先まで陳腐で出来てんのか」

「おい高田! やめろ、こいつに関わるな! 無視した方が―――」

「うるせ! ここまで馬鹿にされて黙るのは男じゃねえ! 舐めた口ききすぎだろうがてめえ!」

「あ、逃げたい奴は逃げていいぞ。危ないからな」

 暴力沙汰は好きじゃない。それは非常にシンプルで、だからこそつまらない。だが降りかかる火の粉があるというのなら―――




 それから理世が生徒指導の先生を呼ぶまでの三十分あまり。俺はただ無抵抗に殴られ続けた。




 今は保健室で先生の治療を受けた後、のんびりと授業をサボって寛いでいる所だ。理世が見舞いにきたのは意外だった。

「よお。あいつ一発停学らしいな! ざまあねえやあっはっは!」

 盛大に笑ってやるのが礼儀と思ったが、どうにも彼女は怒り心頭の様子。予想した反応から大きくずれている。

「……あの状況で殴り返さないの。頭おかしいんじゃないの? う、馬乗りで殴られてさ。下手したら、し、死んでたかもしれないのよ!」

「死んでた? 俺はボクサーにでも殴られてたのか? 大袈裟だぜ理世。それにさ、痛いのは嫌だけど面白いモンも見られるんだ。おまけに相手の人生も邪魔出来るなら十分見合ってるだろ」

「……どういう事?」

 椅子を遠くから持ってきてちょこんと座る理世。メイクは作り直せたみたいで何よりだ。

「人を殴ってる時の顔ってどんなモンだと思う?」

「…………そういう時は大抵怒ってるから、剣幕が凄いんじゃないの?」

「正解。だけど面白いのがさ、こっちが痛がってないとなんか困惑してくるんだよな。笑ってやると終いには泣き出すんだよ。はは、変だよな。泣きながら相手を殴るんだ。感情の整理がつかない子供かよ。怒りってさ、本当に長続きしねえんだよな。色んな奴に殴られてきたけど、だーれも持続しなかった。変化は十人十色で、その顔を見るのが面白くてさ。殴り返すのは誰でも出来るけど、こういうのは殴られ慣れてないと出来ないだろ? 抵抗しないのはまあ、そんな理由だ」

「―――――――――よ、よくそんな感性で自分は普通って言えたわね!? 正気じゃない。頭がイカれてるって」

「みんな痛いのが嫌だからやらないだけだ。VRで俺の目線を撮って見られるんだったら結構な奴が見ると思うぜ。だって本当に面白いんだもん」

 ○○だから、と。誰もがそんなもっともらしい理由を探している。大抵それはやらない理由の方だ。やりたい事があったら一々理由なんて自分の中で用意しない。やりたいからで十分すぎる。俺と他の誰かに違いがあるとすればそこだけで、それ以外は何も変わらない。俺はやりたいからやっただけ。

「………………発言全部理解出来ないけど。でも、助けてくれてありがとう。それだけは言っとく」

「あー感謝される謂れはないと思うぞ。何なら俺は観察してたからな。これがさ、お前にメイクを教えてほしいつってアイツらもヤマンバになるならそのまま眺めてた。助けたのは文字通り水を差すような事をしようとしたからだ。理由は知らないけどお前はそのメイクを続けるんだろ。ならやめさせられるのもお前だけだ。こんなゆっるゆるの学校に入ったのもメイクが続けられるからだろ」




「…………これ」




 会話の流れを無視して唐突に携帯を見せられた。映っているのは中学の卒業アルバムか。理世の名前の上に見た事もないような女子が映っている。

「……おー。薄目で見たらお前だな」

「薄目で見なくても私だわ! 地味でしょ?」

「めーちゃくちゃ地味だな。これから刑務所に入りますって顔してる。後ろに身長計る線みたいなのが欲しい」

「誰がマグショットよ! ……アンタの言う通りさ、私は面白くない女なの。クラスに居るけど思い出せないとか、友達だと思ってたら向こうはただ喋りかけてくる人くらいの認識だったとかそのくらい。高田は褒めてたけど、私は昔の私が嫌い」

 時計を見ると休み時間ももうすぐ終わりだ。俺は負傷中につきこのままサボるが理世の方は帰った方が良いだろうに。話を続けてくれるらしい。

「親からもたまに存在を忘れられるくらいなのよ。手のかからない子だからって。褒めてるつもりだったのかな……寂しかった。そんな時思ったの。特別な存在になれたらこんな悩みを持つ必要はないんじゃないかって」

「だからそのメイクを?」

「昔のままだと、私は違う誰かに劣等感を持ったまま苦しんでたと思う。でも今は、このメイクをする人なんて誰も居ないでしょ? 厄介事ばっかり呼んでくるし見た目だけで敬遠される事も凄く多いけど、でも誰も私を無視しなくなった。もう誰にも私の事は見えないなんて言わせない。私はここに居る!」


 キーンコーンカーンコーン.。


「あ、もう終わり? 微妙に遅刻するけどまあいいか。じゃあね。本当にありがとね」

「おう…………あ、そうだ。最後に言っとこうかな」

 保健室を出る間際。声を掛ける。今更言う必要もないと思ったが、そんな理由でメイクをしているなら是非もない。



「構内でお前を見た時さ。俺は、お前しか目に入らなかったよ」






















 な、何言っちゃってくれてんのー!?

 男ウケを捨てたメイクなのはそうだけど、それはイコール女心を捨てた訳じゃない。あ、あんな事言われて恥ずかしくない訳ないでしょ!

「はずい…………!」

 ていうか二回も私を助けてくれて、もしかして私の事が好きなの? そんな感じは全くしないけど……でも、私の顔を見て怖がらない人なんて初めての事で、どう対応したらいいか……

「り、理世。さっきはごめん」

「んえ?」

 教室に居ると先生以外は誰も私に話しかけてこないのがいつもの流れだけど、今日は全く流れが違う。話しかけてきたのはさっきまで私のメイクを落とそうとして―――信介に茶々を入れられた一人。彼に限らず、全員同じクラスの人間だ。

「お、俺は無理やりやらされて…………マジでごめん。もう二度と関わらないから、マジで。ごめん」

「…………啓吾さ。信介の事知ってんの?」

「ん? おお、知ってるよ。同じ中学の奴なら知らない奴は居ねえよ。アイツの事知りたいのか? つーかアイツとどういう関係だ? 俺が言う事じゃないけど、友達になるのはやめといた方が良いぞ」

「聞いてるのは私」

 バツの悪い顔を挟み、啓吾はゆっくりと話し始める。

「……まあ俺らの中学、あそこにある三中なんだけどさ。酷い虐めがあったんだ。虐められてたのはなよっとして泣き虫だった男子だ。悪い奴じゃないんだろうがやる事全部空回りして皆の足を引っ張る奴でほんのり嫌われててさ。詳しい因果は当事者しかしらないがいつしかクラスのリーダーみたいなやつに虐められてたんだよ。虐められてた奴は先生にも相談してたみらいだがお前が悪いみたいな感じで突き放されてたっぽくてなあ。誰も助けなかった」

「アンタは見て見ぬふりしたの?」

「加担する程嫌いでもなかったが、助ける程好きでもなかった。助けたら俺らまで虐められるかもしれないし、女子も男子もその見解は一致してた。唯一介入したのがアイツだよ。つまんねー事やめろっつってさあ。代わりにそいつらに殴られた。何ならついさっきまで虐められてた奴も信介を殴った」

「はあ? 何で?」

「仲間に入れば虐められないからな。ただ、問題はここからだ。アイツは折れないどころか殴られに来たと言わんばかりにつけ回してくるようになった。学校だけじゃない、家に帰るときもだ。数日は色々ムカつくからって理由も出来たんだが毎日毎日へらへら笑ってる奴を殴るのもしんどい。そうしてたらいよいよ引っ込みがつかなくなって、その内現場が近隣の人に目撃されてイジメ発覚。大問題になったよ」

「…………ど、どうなったの?」

「まあ、イジメなんてもう出来ないわな。その内アイツには関わらない方が良いって暗黙のルールが出来るようになった。やんちゃしたい奴が居ても、アイツの前でだけはやらないようにしてた。見た目は何てことない奴だけどさ」

 啓吾が人差し指で頭を叩く。

「ここがイカれちまってる。悪い奴じゃないのは確かなんだ。一番悪いのは傍観者の俺達だけど、なんかさ。関わりたくないだろあんな奴。気味が悪いっつうかさ。俺も未だに怖いよ。だから嫌だったのに高田の奴……」


 ―――信介。


 彼が悪い人じゃないのは私も十分わかってる。このメイクをしてから親切にしてくれたのは彼だけで、カラオケにも付き合ってくれて、歌ってる最中はノリが良くて…………家の近くまで来たのは物のついでかと思えば、単に私を心配しての事だったり。

 何、この変な感じ。

 私みたいに怖がられてるって事? 私の方は単に遠巻きにされる感じだけど、駅構内見た時のアイツは―――まるで最初から存在しないみたいだった。明確に怖がることすら許さない、存在すら認めたくないみたいな。

 思い返せばタップダンスを踊って乗り過ごした下りもおかしかった。普通の人ならだれかしら親切で声を掛けてそう(私みたいに怖がられていないから)なのに、気にしないでみんな乗って行って。信介もあまり気にしてなかったけど、でも、でもそれは―――


 誰も彼を見てないって事なんじゃないの?


 話を聞いてると、誰も信介に向き合おうとしてない。彼が私に『何でそんな恰好をしているのか』を聞いてくるみたいに、誰もその理由を聞こうとしないし、知ろうともしない。自分を普通だって言ってるのは単に逆張りなんじゃなくて……誰も教えてないからじゃないの?

 私を見た目でおかしな人と決めつけたみたいに、自分の事も見た目だけで普通と断定してるから全部ズレていく。誰も指摘しないから、私以外は指摘しなかったから。



 それから先の授業は、珍しく集中出来なかった。



 単に信介の事が心配で、様子を見に行きたくて。最初は私だって『変な奴に絡まれちゃったな』って思ったけど、でもカラオケをしてる時はそんな事全然感じなかったし。何なら楽しそうにしてたし。私も楽しかったし。

 授業が終わって昼休み。保健室に行くともう信介の姿はなかった。クラス……聞いてない。片っ端から当たれば出会えるけどそれは恥ずかしいし。放課後まで待つ事にした。入れ違いになっても困るから、待つとすればあの場所しかない。




 ―――――――。




 駅構内。二人が初めて会った場所。

 そんなロマンチックな関係でも何でもなく、もし言葉に表すとするなら一人ぼっちが二人いた。友達というよりも、多分そう言った方が適切。

「…………」

 私も彼も電車に乗ろうとはしていた。だからここで待っていれば必ず来る。クラスを探してたら入れ違いになったなんて不運も起きない。このメイクをしてから嫌な目にばっかり遭ってきたけど、でも良い事もあった。今日とか。

 電車を待つ為のベンチ。誰も私の傍には座らない。誰も私に関わろうとしない。これでいい。こんな私だからこそどんなに人が居ても二人で話が出来る。こんな私だから……信介と話がしたい。


『やめた方がいいと思うけどなー私』

『何で?』


 SNSで会話しているのは私の唯一の友達のリカちゃん。違う高校になったせいで離れ離れになったし、今の私とは会いたくないって言うくらいにはこのメイクを嫌ってるけど、会話だけはしてくれる。


『話を聞くにやばい奴じゃん。りよさ、見た目はともかく性格はまともなのにそんな奴と絡んだら性格まで疑われるよ』

『そんな事を皆が言うからアイツは孤立したんだよ。酷くない?』

『好きなの?』

『好きとかじゃなくて。もう一度話したいだけ』

『好きなんだ』

『好きじゃない』

『好きなんだ』

『好きじゃない!』

『じゃあ嫌い?』

 

 ………………。

 ふと横を見ると、信介が横に座っていた。

「――――いやああああああああ!!」

「どうした? お化けを見たような顔をしやがってさ。俺が死んだと思ったか?」

 顔は傷だらけだが、傷の直りが早いのか幾らか絆創膏が取れている。体の方は制服で隠れているだけでまだ傷はある筈。体の動き方がおかしい。

「信介……声くらい掛けてよ」

「と言っても携帯に夢中な奴を邪魔するのはな。今度はトラブルに見舞われないと良いけど」

「…………電車さ。隣に座らない?」

「おう。今度こそちゃんと家に帰れたらいいな」

「………………」

 この沈黙が、気まずくない。

 初めての事で、私も良く分からない。何故と言語化する前に電車がやってきて話は忽ち迷宮入り。他の皆と一緒にやってきた電車に乗車して、示し合わせたように隣に座った。



 がたんごとん、がたんごとん。



場所が何処でも……それこそ電車の中でも私の顔は目立つ。殆どの人は私が隣に座るだけで(そうせざるを得ない状況だったとしても)逃げていくのに。信介は最初からそうだった。友達になる前から…………ただの一瞬も怖がった事なんかなくて。

「……アンタさ、寂しいって思った事ある?」

「寂しい?」

「そう。寂しい。友達いないでしょ。考えた事はないの?」

「……俺の一番好きなことわざにこんなのがある。朱に交われば赤くなる」

「人は環境や付き合う友人によって良くも悪くもなるっていう意味ね」

「俺はさ……もう面白い事に飢えてるんだよ。何でもいいんだ、ただ思ってたのと違うって思わせてくれりゃ何でも。だけどさ、大抵そうはならないんだよな。日常ってそういうもんだからさ。生活ってのはループさ。みんな同じことを繰り返して生きてる。一人ぼっちはつまらないけど、そういう奴等と付き合ったら俺までつまらない奴になると思わないか?」

「アンタ、自分は普通だって言ったと思うけど?」

「俺は普通だからこそ面白い事を探してるんだ。自分がそうであろうと努力もしてる。けど本物にはきっと程遠いな。例えば俺がどんな突飛な事をしても、お前のヤマンバメイクの衝撃には敵わない」

 どっちが異質な存在かと言われたら、もうどうでもよくなってきた。私達は実に下らない事で争っていたと思う。

 信介は私の見た目に引かれて近づいてきた。自分にはない特別な要素を感じたから。

 私は近づかれた被害者だったけど、今は彼の、自分を譲らない意思に憧れている。人並みに寂しいと思うような感情はあるのに、それでも自分を曲げない、曲げるつもりがない。この様子だと悩んだ事すらなさそうで。

「実を言うとお前に興味が湧いたのもまさにそれなんだよ」

「へ?」

「朱に交われば。あ、お前の場合は茶か」

「色は問題じゃないと思うけど……」

「お前は見た目の割に中身があんまり変わってない。だけどお前は赤くなってない。だろ」

「それは……ちょっと前にも言ったけど、私は自分の存在をなかった事のように扱われるのが嫌だから。悪名は無名に勝るじゃないけど、前よりは今の方がいいの。それに、朱に交わって赤くなるのは染まる用意がある白だけでしょ。肌が黒かったら染まりようがない、ね?」

「……色は問題じゃないと思うが……」

「アンタが言ったんでしょうが!」

 軽く肘で突くと、信介は心底おかしそうに笑った。私も、何だか久しぶりにまともな付き合いが出来てホッとしている。普通の人付き合いって、フラットなんだ。見た目を理由に攻撃してくる人もいなければ、奇行に及んでまでつまらなさを否定する事もない。

「…………あー、電車も急に違う路線走らないかな」

「それは……無理でしょ。どう考えても」

「いつも乗ってるとたまに思うんだよ。もし違う駅に到着するとしたらどんな駅が面白いかな」

 それは大喜利。

 どうやら本当に退屈してるみたい。付き合うのも馬鹿らしいって前の私ならそう思っただろうけど……今は、付き合ってやろうかなって。問題は『駅』自体に面白みは基本的に存在しないという事だ。駅なんて人が電車に乗る為の場所に過ぎないから、面白さなんて当然追究されていない。 

「そりゃなんてったってこのメイクが流行ってる頃に行かせてくれるタイムステーションに行きたいわね」

「時間旅行を電車でしたいのか? 変わってるな。だけどお前はいいのかよ。お前みたいなメイクが跋扈してたら特別も何もなくないか?」

「そりゃそうだけど……私もその時代に生きた訳じゃないから、せっかくだから一度見てみたいでしょ。私は結構怪物呼ばわりされるけど、怪物塗れの駅だったらアンタは面白いんじゃない?」

「確かに! 因みにそういう駅に到着したらお前は…白ギャルになるのか?」

「……偏見凄くない? 私黒い塗料を全身に塗ってる訳じゃないよ? 戻せるけど、そんな一時間かそこらで戻せる訳ないじゃん」

「そうなのか?」

 偏見は無知や誤解が生む……なんて今更だけど、信介には偏見があってもそれに伴う拒絶行動がない。メイクについて詳しくても詳しくなくても、彼は私に話しかけただろう。そこの知識は問題じゃない。ただ、私が他と違うという理由だけで。


 ―――アンタが一番変わってんのにね。


「俺は…………そうだな。一方通行の電車に乗りたいな」

「は?」

「到着する駅は毎度違うんだけど、一度過ぎたら二度と通らない。逆に降りても二度と電車はやったこない。そういう駅があったらいい」

 

 がたんごとん、がたんごとん。

 

 進む電車に日差しが途切れ途切れに差し込む。互いの表情が見えなくなって、会話も不自然に途切れた。

「―――信介さ、やっぱり生きててつまんないって思ったりする?」

「何言ってんだ。日常はつまんないけど、そこから面白いモノ探すのがいいんだろうが。お陰でお前に会えただろ?」

「な、何言ってんの馬鹿! ほんと……馬鹿じゃないの!?」

「はははっ」

 下らない話を二人でしていて、ある事に気が付いた。二人で会話していると、トラブルが起きないかもしれない。少なくとも今は誰も絡んでこない。仮にも公共交通機関だから幾ら私の見た目が奇抜でもわざわざ絡みに来る人は少ないけど、それでも陰口みたいなものは聞こえてくる。これだけ大勢の同級生が乗っていると、嫌でも。

 してこないのは、彼のお陰? それとも私達は目立っていない?


 ああもうすぐ、駅に着いちゃうな。


「アンタ、何処で降りるの?」

「終点」

「……今まで先に降りてたから出会わないと思ってたけど、単に乗ってる車両が違ったのね。私は次の駅で降りる。大した事は話さなかったけど……ありがとね。つまらなかったわ」

「…………そりゃ、結構な誉め言葉だな」

 私にはこれくらいしか気の利いた事を言えない。電車に揺られて駅に着くと、鞄を持って席を立った。

「……また明日ね」

「おー」

 気のない返事を受けて駅に足をつける。一時の楽しい時間はこれで終わり。短いようで、長いようで、やっぱり短い。信介との付き合いなんて他の誰と比較してもずっと短いけど―――こんなに楽しかったんだ、大事にしたい気持ちに時間の長さは関係ない。このメイクでも臆せず話しかけてくれた人は―――このメイクをしていなかったら出会う事はなかった。

 それだけで十分。

 振り返って電車の扉が閉まるのを待っていると、信介が思い出したようにぴくっと動き、こちらへ振り向いた。

「言い忘れてた事があったよ理世」

「ん?」

 

「お前に惚れた。付き合ってくれ」




「は―――――――」






















 がたんごとん、がたんごとん。


 最初は、見た目が奇抜だっただけの肩透かしな奴だった。けれどなんだ。俺の思う面白い存在にはならなくても、話していると不思議と楽しくて―――その理由を色々考えていた。

 普通の奴と話してもつまらないのは、結局未来予知でもしているみたいにテンプレ通りの行動しかしてくれないからだ。全てはまるで俺の掌。なんとなく先に予想がついてしまうからつまらない。その中で理世だけは俺の予想から度々外れた。見た目がどうあれ心は他の奴と変わらないって……そう思ったのに。何かがやっぱり違った。

 それでさっき、答えが出たばかりだ。理世は俺の望んだ、誰より隣に欲しかった『特別でありたい存在』だ。そんな事を言って日常に甘んじる奴等とは違う。どんな目に遭ってもその苦難を受け入れて自分の判断を貫く―――俺には、その新年こそ好ましい。

「おー。こっちも予想外だな!」

「な、な、な、何言ってんのぉ……!? い、家に帰り損ねたんですけど!」

 理世が慌てて飛び乗ってきたのには驚いた。俺はこういう手遅れになりがちな場所で大事な事を言えば、明日くらいまで相手がモヤモヤしてくれる期待で言ったのに。乗り直すなんて。

「で、で、で、で? な、なんて言った?」

「お前に惚れたから付き合ってほしいって言った」

「………………」

 ガングロ肌でも照れる様子は良く分かるらしい。口をパクパク動かして、席にも座らずその場に立ち尽くしている。

「………………わ、私なんかに告白ってどういう事? だ、大体出会って三日も経ってないのに……からかってんなら承知しないわよ! こっちは家に帰りそびれてるんだから!」

「人を好きになるのに時間は関係ないだろ。何年一緒に居ても好きになれない奴はいるさ。俺はお前の―――つまらない感性に惚れたんだ」

「は、はあ?」

「日常の愛おしさを知りながら、その中で自分は目立てないと知って拒絶する。誰にも受け入れられなくても、自分の決断を尊重する。そんな奴には出会った事がない。お前の見た目を怪物だのお化けだの幽霊だの、悪し様にいう奴は居るだろうが、俺に言わせればその心は誰よりも人間だよ」

「………………あ、あのねえ」



「アンタは何もかもズレすぎ! 一体どの目線から私を特別扱いするかこの異常者!」



 電車内で壁ドンをされたのは初めてだ。人が多ければ迷惑になっていたが、あと一歩の所でラインは超えていない。

「もう全く……全然、ついていけないわよ。タップダンスもカラオケも、急に助けに来てくれた事も告白も。みんながつまらない反応しかしない? そりゃそうでしょ、アンタがズレすぎてんだからそりゃ関わりたくないっての。人付き合いってそんな単純なモノじゃないからっ。自分がどんだけ変な奴か自覚する所から始めなさいよ」

「…………怒られたのも初めてだ。やっぱりお前の行動は読めないな」

「私は……私だから」

「そうだな。お前は…………お前だものな」

 言語化能力なんて、今は要らない。相手に伝わるように削られた言葉に意味なんてないから。俺にも理世にも伝わる頃には、こんな悩みすら必要ない。口にすれば嘘になる。それはきっと、本当の気持ちとは言い難い。

「…………ま、まあ? 私はモテすぎて正直困ってるくらいだけど? アンタがどうしてもって言うなら付き合っても……」

「人はそういうの、つまらない見栄って言うんだ」

 口を尖らせ無言の抗議をはかる理世。初めて可愛いと思えた。どうせ誰もが俺の予想通りに動くなら……理世の為だけに面白い事をするのも悪くない。

「……何で笑ってるのよ。不気味な奴」

「いい気味だな。電車に乗り直すからだ」

「―――ああもう! こんな変な奴に告白されるなんて」

 理世は怒りに身を任せて隣に座る。そして俺から携帯をかすめ取ると、勝手に連絡先を交換した。

「………………浮気なんてしたら、ぶち殺してやるから」

「……とりあえず俺の家にでも遊びに来るか? 殺すのは、それからでも遅くない」

 小指を差し出す。色鮮やかなネイルの塗られた細長い小指が反対側から絡まった。応えるようにぐっと力を込めると、理世は肩を傾け体重を預けてくる。終点までの微かな旅路。俺達は電車に揺られて身を委ねる。





「ほんと…………馬鹿なんだから」










 







 がたんごとん、がたんごとん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

日常パンデミック 氷雨ユータ @misajack

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る