第11話 人龍族の慧

 日がまだ昇っていない時間に、白龍の鳴き声で跳ね起きた。

 与えてもらった寝床から急いで駆けつけると、預けていた黒龍の卵が孵化ふかしようとしていた。


「わぁあ、がんばれぇ」


 自力でからを破ろうと動く黒龍の子どもに、ラズリが目をキラキラさせて見守る。

 初めて見るのだから当然だろう。里では、龍の孵化は一種の儀式として考えられていた為、立ち会えるのは両親となる龍やその相棒である人間か、孵化の専門家くらいだ。

 ゆっくりと着実に殻を破り、ようやく黒龍の子どもが卵の殻から這い出てきた時には、朝日が昇り始めていた。


【きゅ、ああぁ~】


 欠伸を1つして、朝日を一身に浴びる黒龍の子どもが、ゆっくりと薄目を開けてこちらを見上げてきた。


「おはよう、よく頑張ったな。これから宜しく頼むぞ、ムー」

【きゅわぁぁあ~】


 産まれたばかりの黒龍の小さな頭をできる限り優しく撫でる。

 様子を見ていた白龍が、嬉しそうに目を細めて微笑んだ。


【さすがは地龍様の里の出。産まれたばかりの龍の扱いにも慣れているようで安心しました】

「はい。ありがとうございました。お蔭様で今までより安全に先へ進むことができます」

「ありがとうございました!」


 ラズリも一緒にお礼を言うと、白龍は浮かべた笑みを深くして、ゆっくりと頭を横に振った。


【いいえ。こちらができる事はここまで。後は、貴方達次第……気を付けなさい】


 白龍の真剣な眼差しの意味を悟り、こくっと頷いた。

 昨日言われたように、ここから先は森で卵を集めていた連中が居る海龍様の都がある。

 決して相性は良いとは言えない地龍様と海龍様では、争わない方が無難だろう。

 本当ならサンに乗って海を飛んで行きたいところだが、どこまで続くのか判らない海を長時間飛び続けるなんてさすがに無謀だ。

 やはり海龍様の都で船に乗り、先へ進んだ方が堅実だろう。

 これから起こる事を考えると、自然と拳に力が入る。


【またいつでも遊びに来いよ。お前たちなら大歓迎だ!】


 赤龍が陽気に言いながらサンへ取ってきたばかりの果物を渡す。


「うわぁ、美味しそう! ありがとうございます!」


 ラズリが嬉しそうに赤龍の足に抱き着く。


【果物だからな。早めに食べてくれ。昨日分けてもらった弁当の礼だ!】


 満足そうに笑った赤龍に、頭の片隅で自分たちの父親を思い出していた。

 里から出るように提案してくれたあの陽気な父親は今、元気にしているのだろうか。

 殺しても死なないくらい頑丈ではあるが、一度落ち着いたら手紙でも出すとしよう。


(母親の事も心配だし、黒龍が無事に孵化したことも伝えたい)


 心の中で思っていることが顔に出ていたのだろう。サンがポンッと背中を叩いてきた。


「ッ……ああ、とにかく今はできるだけ早く海に出よう」


 いつもの調子を取り戻した俺に、サンは大きく頷いた。

 赤龍に森の出口まで案内してもらい、また草原を歩き進めていると、遠くの空から……翼竜が二頭こちらへ向かってきていた。


「ッ……アース、ラズリを頼む!」


 立ち止まり、後ろ手にサンへ合図を送る。


【ぐきゃっ?】

「え、なに?」


 呼ばれたアースは一瞬驚いていたが、すぐにぐいぐいとラズリの袖を噛んで引っ張り近くの岩陰へ誘導する。

 引っ張られて行くラズリは困惑したままだが、俺やサンの雰囲気を察したのか押し黙った。


「……ムー、いざとなれば、ラズリとアースをさっきの森まで連れて行ってくれ。あの白龍ならきっと事情をすぐに察してくれる筈だ」

【きゅわあぁ~】


 肩に乗っている今朝産まれたばかりのムーには荷が重い頼み事かもしれないが、もしもの時はどうしても頼むことになる。任された方のムーが少し不安そうに鳴いた。

 だが、今は説得している時間もない。翼竜の来た方角は間違いなく、海龍様の都がある場所だ。昨日の連中が仕返しに来たと考えるのが筋だろう。


「数は少ないが、油断はするな」

【ぐきゃっ】


 しかと頷いたサンを確認したのと、翼竜が前方に降り立つのはほぼ同時だった。


「見つけたぜ。昨日のガキだ」

「まだこんな所をのたのた歩いて居たのか。遅いはずだ」


 翼竜から降りてきたのは、やはり昨日の二人だった。


「これでも先を急いでいるつもりなのだがな~……お前達が余計に時間を取らせなければ」

【ぐぎゃあー!】


 俺の言葉に同意するようにサンが威嚇の為、雄叫びを上げた。

 ビリビリと伝わるサンの雄叫びは里でも有名だった。格下ならこれで一発だ。


「くっ、やはり腕の立つ龍使いだったか」

「おい、俺らが手を出したらマズイぞ」


 やはり翼竜を連れているだけに実力の差が判らない格下という事でもないようだ。

 だが、敵意は感じられるが会話を聞くに、ここで争うつもりはないらしい。


「……さっきも言ったが俺は先を急いでいるだけだ。そっちが何もしないならこちらからも攻撃はしないと約束する」


 正直なところ龍使い同士の争いは周りへの被害が大きいだけで、何の得にもならない。

 子どもの遊び程度なら何の問題もないが、聖域も造らずに戦闘ともなれば、まず小さな島なんて一日と持たずに消える大事だ。

 現にかつての戦争でこの大陸は半分になってしまったと記録に残されていた。

 海龍様の都の龍使いなら、絶対に知らない筈はないだろうが……。


「我らの騎士団長がお前と直に話があると仰っていた」


 一人が言った内容に、ため息と共に手を額に押し当てた。


「はぁ~……さすがは海龍様の都の騎士団長だ。実に分かりやすい戦闘狂らしい」


 少なからず期待した自分が悲しくなってきた。と、その時だ。


「うわあぁあ! 兄ちゃーん」

【ぎゃぎゃああぁ!】


 岩陰に隠れていたはずのラズリとアースの叫び声に、勢いに任せて振り向いた先には、黒っぽい紫の鱗をした龍が、両脇にラズリとアースを抱えて立っていた。

 俺は一気に頭に血が上るのを感じて、真っ先にその龍へ飛び掛かったが、向こうはあっさりと上空へ舞上がった。


「くそっ、サンッ追え!」


 避けられたと知り、すぐに相棒のサンを単身で追いかけさせるが、向こうの方が飛行速度は段違いに速い。飛び上がる時のスピードもそうだが、旋回の仕方も荒いのに洗練せんれんされた動きである為かほぼ直角に曲がっている。


「うわっわあぁー、兄ちゃ、ん!」

【ぎゃうぅ~】


 抱えられているラズリとアースは目を回しているようだ。そりゃそうだろうな。あんな無茶苦茶な飛び方、キレた時の俺でもサンにさせない。


「……これ以上はラズリの体にさわる」


 俺はゆっくりと態勢を立て直し、何もない空間から槍を生み出して、地面に突き立てた。

 離れた所から見ていた翼竜使いの二人が不思議そうにこちらを見ているが、手を出して来ないのなら今はどうでもいい。ラズリの安全が第一だ。

 肩に乗ったままのムーをそのままに俺は目を閉じて神経を集中させた。


「天空を駆ける黄金の龍よ、我と共に見守る漆黒の龍よ。我が願いは蒼き龍の片割れの御身なり。ほとばしる閃光を害ある者への裁きとし、————叶えよ! 双璧の庇ツインアサイラム


 突き立てた槍の切っ先から青白い光が立ち昇り、みるみるうちに辺り一面の天候が怪しくなった。

 暗雲が立ち込める中、時折稲光が起き、ラズリとアースを抱えて飛ぶ黒っぽい紫の龍へ雷が襲い掛かる。


【グルルル……ぐわぁっ】


 威嚇したかと思えば、大きな口をがぱっと開き、深く空気を吸い込んだかと思えば、頭に生えた二本の角から同じく黒い雷を放ってきた。


「クッ……なんだよ、あの龍は……!」

【きゅあ、きゅああぁ~】


 ただの翼竜の亜種かと思って脅かす為に使った技だったが、まさか応戦してくる知能があるとは予想外だった。

 肩に乗ったムーが本能的にアースの身を案じるように鳴く。

 このままでは、本当に取り返しのつかないことになる。


「なあなあ、なんで空が急に暗くなるんだよ。何者だあのガキ」

「俺らここに居たら巻き込まれんじゃね?」


 天候が変わった事くらいで騒いでいる翼竜使い達の声は、今は放っておく。

 予想はしていたが、どうやらどちらもあの龍の主人ではないようだ。


「騎士団長とやらに後でしっかり文句を言ってやる。……効果は未知数だが、試してみるか」


 賭けに近いそれは、実のところ都に着くまで取っておきたかったが、仕方ない。ここでラズリに何かあっては両親に合わせる顔がない。


「何より、俺が俺自身を許さない。双璧の庇護は発動したままで……ムー、産まれたばかりだがすまない」


 技を発動している間は槍から手を放す事はできない為、そのまま肩に乗ったムーへ指示を出す。


「黒龍と白龍は表裏一体と聞いたことがある。ムー、お前の共鳴でラズリが持っている白龍の玉を発動させてくれ。あの龍から助けられれば、後は俺とサンが必ず受け止める」

【きゅあっ】


 通じたのか、目的が一致したからなのか、ムーは小さく頷いて見せると、目を一度閉じて呼吸を整えるように深呼吸をする。一拍置いてから、カッと目を見開いたムーはしっかりと足を踏ん張って、全力で天まで届くように雄叫びを上げた。これが、数少ない詠唱の無いまま発動可能な技の1つ、光陰共鳴リスパレンスだ。


【ぎゅあぁああぁぁ!】


 ムーの全身全霊の雄叫びにラズリが持つ白龍の玉が応え、キラリと一瞬曇った空が光ったかと思えば、突然天候から強烈な鋭い光線が一筋、遂に飛び回っていた龍を捉えた。


【うぎゃあぁぁぁっ】


 攻撃が当たった龍は直前に、両脇に抱えていたラズリとアースを解放し、地に落下していく。

 本能で二人を助けたように見えたが、今はそれどころでない。


「ラズリ————!」


 俺は手にしていた槍を消して技を解除し、落下予測地点に向けて急いで走る。


「兄ちゃ——ん!」


 泣き叫んで落ちてきたラズリを全身でしっかりと受け止めてやり、離さないようにぎゅっと抱きしめる。


「大丈夫だ、怖かっただろ……ごめんな、怖い思いをさせて」

「うぅー、兄ちゃん……」

【きゅあぁ~】


 無事を確認する俺の様子にムーもラズリの頭にすり寄っていく。


【ふぎゃ】

【ぎゃうぅ~】


 目を回して失神したアースを抱えて、疲れ切った様子のサンも歩み寄ってきた。


「お疲れ、サン、アース」


 特に方向音痴なのに必死で追いかけてくれていたサンが一番疲れただろう。

 まだ離れたくないのか、ぎゅうぎゅうと抱きしめて来るラズリを抱えて立ち上がり、ぐったりして倒れているあの龍へ歩み寄ると、先程の翼竜よくりゅう使いの二人がおろおろしている。


「おい、その龍は大丈夫なのか?」


 一応敵とはいえ、龍である以上は心配にもなる。

 翼竜使いに話しかけてみれば、最初の威勢はどこへやら、ヒィッと二人して抱き合ってガタガタと震えてこちらを見てきた。


「……だからその龍の安否だ。白龍の攻撃だから致死量ではないだろうが」

「ひぇ……けい様のご心配をしてくれるのですか?」

「ひょえ~……なんと心優しい龍使いだ。騎士団長もお喜びになります」


 いちいち悲鳴を上げられるのも気分が悪い。


「その龍、お前達の騎士団長の龍なのか?」


 とにかく会話を早く終わらせたくて言ったのに、二人は不思議そうにこちらを見て来る。

 全く会話が成立しない。

 このままでは治療が遅れて後遺症が残るかもしれないと判断した為、俺はラズリを抱えたまま気絶している龍の様子を屈んでた。


「よし、息はあるな。鱗が丈夫だったのと、この辺の草と土がクッションになったお蔭だな」


 俺はサンに持ってきてもらった荷物の中から、小瓶を1つ取り出して器用に片手で蓋を開け、龍の薄く開いた口の隙間から中身の液体を飲ませた。

 ごくりと飲み込んだことを確認すると、ラズリを抱えたまま立ち上がって数歩後ろへ下がった。


【ぐっ、ぐえぇぇ~】


 目を見開いて不味そうに舌を出して飛び起きた龍を見た翼龍使いの二人は、嬉しそうに喜んだ。


「慧様ぁ~、よくご無事で!」

「本当ですとも。一時はどうなる事かと思いましたよ、騎士団長」


 喜んでいる二人のうち一人が、今とんでもない事を言わなかったか? この龍を騎士団長だと呼ばなかったか? 嘘だろ……。

 引き攣った口元をそのままに、俺は確認する為にもう一度二人と会話を試みようとするが、その必要はなかった。


「ぎゃあぎゃあ五月蠅い奴等だな。産まれたばかりの龍かよ」


 不機嫌に刻まれた眉間のしわと目付きの悪さに、またヒィッと悲鳴を上げた二人を無視して、龍から人の姿になった男はこちらに意志の強い緑の目を向ける。


「……お前、人龍族だったのか」


 俺の問いに龍だった青年は、ケッと短く吐き捨て胡坐あぐらをかいた。


「あーそうだよ。本当はメンツを汚したお前を倒すつもりだったのによ。……まさかこんなに強い奴だとは思わなかったぜ。そりゃウチの連中も負けるわけだ」


 口調は乱暴だが、気さくに話すこの話し方、そして何より手の甲にある鱗の形と色、間違いない。例の宿屋の主人の息子だ。

 生きていた。だが、出会いは酷いものだし、仲良くなれる気が一切しない。


「何より俺様を助けたその器量のデカさ。気に入ったぜ、お前名は?」

「……プラネットから来たラピス。こっちの金龍はサン。この肩に乗っている黒龍がムー」


 どうやらあの宿屋の主人の遺伝子はしっかりと受け継がれているようだ。

 敵ではあったが人龍族である以上、龍使いとして問われれば名乗るのが礼儀だ。俺は抱えているラズリの背をポンポンと叩いてやる。恐る恐るではあるが、男、慧に振り向いてくれた。


「僕は、弟のラズリ。こっちはアース、です」

「おぅ、よくできました~さっきは悪かったな。どうしてもお前の兄貴と戦いたくてよ~」


 ラズリの頭を撫でながら謝る慧に、ラズリも小さくこくりと頷いた。


「うんっ、いいよー」

「ははっ、サーンキュ。って、お前の目って色違いなんだな~かっけぇー」


 初めてラズリと目を合わせた慧が、覗き込むように見てくるから、びっくりしたラズリがまた俺に抱き着いた。


「あっはは、まあいいや。敗者は勝者に従う物って決まっているからな。俺たちの都へ招待してやるよ。ついでに泊まってけ泊まってけ」

「ああ、それは助かる」


 どうやら慧の方は俺たち兄弟を気に入ったらしい。


「あー、でも待て。さすがに腹が減った。なんか食い物とか持ってねぇか?」

「とかってなんだよ、とかって……仕方ないな。これは食べられるか?」


 言いながら渡したのは、赤龍から貰った果物だ。


「おー、ありがてぇ。貰うぜ!」


 受け取った慧はリンゴを丸呑みにした。さすがは人龍族だ。


「よっしゃ、そんじゃ帰るぞ、お前等!」


 言い終わった慧は再び先程の龍の姿に戻り、俺とラズリを背に乗せて飛び上がった。

 サンはアースを抱えて再び飛ぶことになった。少しふら付いているが、二頭の翼竜に支えてもらっているので都まで持ちそうだ。


【二人とも、見えてきたぜ。あれが、俺たちの住む都。海龍様の守護する天之泉国あまのいずみこくだ!】

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