(26)第二階層

 画面に映し出された楕円形の黒い板に、服を着熟し帽子を被った青いゴブリンの姿が消える。

 幻聴か耳鳴りが重なったかの様な、『ワァアアアアア……』といった感じの音と共に。

 そして映像は黒い楕円板に迫り、画面の全てが黒く染まると、その次には映像は切り替わっていた。


 後方上からの俯瞰視点。

 青いゴブリンは、岩壁の通路の真ん中に佇んでいる。

 ノスタルジックで軽妙な電子音の音楽が流れ始める。


 ――ブッブッ♪ ブブブ♪ ブブッブ♪ ブッブッ♪


 青ゴブリンが動き出す。右腕と左足を前に出したポーズと、直立したポーズ、そして左腕と右腕を前に出したポーズの、その三つのポーズしか知らないとでもいった感じで、しかし足下は床上を滑り、一歩で十歩以上の距離を進んで行く。

 その先に、黄土色の肌をした野蛮なゴブリンが現れる。


 ――ピプピプピプピプ♪ プ♪ プ♪ ピ♪ ピ♪


 音楽が切り替わり、画面の左上に『かいわ』『しらべる』『どうぐ』『まほう』の四つのコマンドが示された枠が表示される。

 文字はジャギー強めでぎざぎざだ。

 高速で、『かいわ』から『よお、ちょうしはどうだい?』の選択がされ、青ゴブリンの前の中空に、紋様の様な文字が浮かび上がった。


「ギャヒー!! ギャー!!」


 黄土色ゴブリンは叫ぶ。

 画面には、『しかし、ことばはつうじなかった!』の文字が現れる。


 ――キュピー♪ キュピー♪ パッパキャラピラ♪


 音楽がまた変わると画面は一瞬暗転し、次に表示された時には横からの俯瞰視点。画面の左に熱り立つ黄土色ゴブリンの姿、画面の右に微動だにしない青ゴブリンの姿。

 そして左下には『たたかう』『まほう』『どうぐ』『にげる』のコマンドが、右下には『バカゴブリンA』の表示が。

 音楽は更に、リズム良く変わる。


 ――プパプパプパプパ♪ ポピポピポン♪


『おれゴブリンのこうげき!』


 青ゴブリンが姿勢を変えずに山形やまなりに跳んで、黄土色ゴブリンの頭にその手の杖を振り下ろす。

 元の位置に戻る時には、後ろ向きに姿勢を変えない二回ジャンプだ。

 黄土色ゴブリンは倒れる。『ギャーーー』という電子音が重なって聞こえる。

 青ゴブリンが画面に向かって正面を向き、杖を掲げる。


『くうせき×1をてにいれた!』

『0ゴールドを手に入れた!』


 画面は暗転。再び青ゴブリン後方の俯瞰視点に戻る。

 再びの移動、再びの邂逅。しかし今度は野蛮なゴブリンが二体。

 『かいわ』から続けられたのは『よお! なかよくやってるか!』。

 しかし、『しかし、ことばはつうじなかった!』。


 今度の戦闘で青ゴブリンが選んだコマンドは、『まほう』だ。

 『まほう』から『もえよ』が選択され、青ゴブリンの足下から棒グラフが順に伸びる様に、野蛮ゴブリンの前まで赤いポリゴン染みた柱が波の様に伸びて行き、そして野蛮ゴブリンが飲み込まれる。

 『ギャーーー』という電子音が重なって響き、戦闘は終了した。


『くうせき×2をてにいれた!』

『0ゴールドを手に入れた!』


 再び移動して、また一体の野蛮ゴブリンと出会う。

 『かいわ』からの『よお! ちょっとはなしでもしないか?』

 しかし、『しかし、ことばはつうじなかった!』。

 更に続けて、『おれゴブリンは、かいわをあきらめた!』


 映像の上端からメニューバーが下りて、『ファイル』『ツール』『デバッグ』……と横に並んだメニューの内、『デバッグ』が選択されて、更に『実行速度×10』にチェックが付けられる。

 そして、その文字が嘘では無いと実証する様に、映像は怒濤の速度で変遷し、青ゴブリンは一気呵成にダンジョンの第二階層を制圧していった。



 ~※~※~※~



“という訳で、正解は②だ。”

“いや、待って待って待ってwwwww”

“大草原と言いたいが、ぺんぺん草すら根絶されとるwww”

“展開が早すぎて追いつけねぇwww”

“トブリン、固定ハンドルの正解者は押さえているな? 抽選で五名だ。”

“あったぼうで、しゃかりき承知♪ バルス飛込隊長、剣の青山、クエリー、GOGO黒猫ちゃんねる、はるまっさんの五名は、景品の到着を楽しみに待ってハッピー♪”

“は?”

“探索者同士で物の遣り取りが出来るのは、迷宮庁サービス様様だな。とは言っても、無一文の俺ゴブリンが、何かを送れる様になるのは大分先の事だろうがな。”

“は?”

“は?”

“待って待って、どういう事??”

“もしかして、答えてたら?? ワンチャン……ああああー、過去の俺のバカーー!!”

“いや、そもそも長老探索者じゃ無いじゃん!?”

“ん? 探索者の登録証は窓口で貰う必要が有るが、登録だけならオンラインで出来たぞ? 名前や住所といった情報と、オンラインでのテストに合格したなら探索者番号が発行される。実際にダンジョンに潜るには、実地研修を受ける必要が有るらしいが、流石にダンジョンで暮らす俺ゴブリンにそれを言われても困ってしまうな。”


 様々な書き込みで溢れるチャット欄にそう返しながら、俺はこの階層の構想を練る。

 まだボス部屋は見ていないが、その他の百二十八体のゴブリンが、全て馬鹿になっているとはな。

 予想はしていたが、これではこの階層は危険地帯の儘だ。

 空席は既に捕獲済み。それを活かしてどうにかするとなると――


“そう言えば長老が無一文って、絶対もう収益化できるジャン! 長老の収入が増えたら、視聴者プレゼントも爆増ジャン?”

“それだー!! 長老、早く収益化して!!”

“せんよ。お前達の歴史も調べたが、投げ銭を受け入れては陸な事になりそうに無い。

 それこそ大昔から芸事には付き物だった様だが、アイドルの主役級を投票で決める様になってから箍が外れたのでは無いか? 投票券の付いた品を一人で買い漁ったのに始まって、ゲームなどもコンテンツで課金する様になり、一つのアイテムやイベントアイテムで正気を疑う金額を要求する。配信という文化が出来てからは不相応な額の投げ銭が飛び交った。

 そもそもは溺れる程に大量のコンテンツに晒されて、“いいね”と表明しているだけの頃ならまだ真面だったが、俺ゴブリンが見る限り、金が絡むと人は狂う。

 濡れ手に粟の泡銭を手に入れる胴元もそうなら、入れ込み過ぎて身を持ち崩す者も同じだ。

 しかもコンテンツに晒されてどれを選ぶのかばかりで、それをすればどうなるのかと自分で考える頭を無くした者達となれば、バイトの募集に応じた先で指示されただけと、容易く悪業にも手を染めるだろう。

 そうして全てがおかしくなったその結果が、二十年前に起きたという陰陽頭達の引き起こした結末を導いたのでは無いか?”

“うわ、あかん。長老に全部把握されてる!?!?”

“ダンジョンの外ならまだいい。しかし、陰陽頭の掛けた制約は、ダンジョンは除外されると解釈出来ると聞いた。そうなると、俺の行いは陰陽術での善悪の判定がされていないのだからと、少しでも公序良俗に反すると取られれば、私刑に走ろうとする者が出てもおかしくない。

 俺ゴブリンはそんな面倒事への対応は、御免蒙る。それにダンジョンで金は使わん。今回は初回配信記念でのプレゼント企画だと思え。度々する物で無ければ、広告収入で十分だからな。”


 チャット欄では俺の書き込みに対して議論が巻き起こっているが、それは外の事情だ。構わず俺はダンジョンの改造に手を付ける。

 先ずはボス部屋前の隠し部屋へと通じる穴を、その壁に開ける。

 開けてから気付いたが、今回は鍵となる装飾も既に手に入れていた。対応する壁の装飾に当てると、吸い込まれる様に一体化して、それぞれ三つの宝玉をあしらった小さな装飾が、合わせて六つの宝玉を正六角形の頂点に配置した壁飾りとなった。

 大きさは掌に収まる程度で、手を当てると壁の一部が消えた。


 少し微妙な気分になったが、消えたり現れたりする扉では、水を引く道には使えない。

 俺は必然だったのだと消えた壁から中に入り、水場の水を樋に通して開けた穴から外へと導く。


“あー! 長老がまた畑を作ろうとしてる!”

“いや、畑を作っても世話をする奴が居らんぞ? 一層のゴブリンに世話をさせるのか?”

“いや、お前達も見ただろう? この階層には馬鹿みたいなゴブリンしか居なかった。普通に次の発生を待っても、馬鹿みたいなゴブリンしか生まれてこない可能性が有る。

 しかしそれなら、ダンジョンの指令がどうで有ったとしても関わらず、穏やかに畑仕事をする人形ゴブリンを増やしておけば、或いは次に発生するゴブリンに影響を与えるかもとは考えられないか?”

“あ、あー……”

“二上山ダンジョン、長老に魔改造される運命が決定しました。”

“二階層が終われば、三階層目は兎に扮させるのも良いかもな。魔力を付加させなければ食えた物では無いが、あのシチューとやらに入っていた肉は美味かった。兎の振りをさせれば、ドロップもするかも知れん。”

“めっちゃマッド!!”

“慈愛と仁愛の長老と思ってたのに、結構えげつない!”

“馬鹿を抜かせ。ダンジョンの操り人形と化した魔物への配慮など無意味だ。一階層でも馬鹿になってしまったゴブリンは、ゴッヘムだけでは無いぞ? 其奴らは、言ってみればその人形と同じ。

 そんな理屈を述べなくても、お前達も知っている筈だ。馬鹿は死ななきゃ直らない、はお前達の言葉だぞ。”


 足の裏から魔力の流れを押し遣って、押し遣った分の床面を耕して、一定の距離を置いて木の種を蒔いて、植物魔法で生長させた木はゴブリン人形へと加工する。

 今度は穏やかな顔をした普通のゴブリンだ。

 仕込んだ文字魔法は、ダンジョンの指令に反応させる物では無く、どんな指令であれ農作業をする回路に構成した。

 それに回収した空席を繋げれば、直ぐに元気良く動き始めた。


 ゴブリン人形は、軽く解した床面に更に土魔法を使って耕し、水魔法で潤し、植物魔法で種を植え、陽光魔法で光を齎す。樋で流した水は、栄養剤の役割を果たす事になる。

 空席と繋げる事や、その形を除けば、これらは昔、俺の拠点でも使っていた仕組みだ。

 今では植物魔法で創り出した種は幻側では無いかとの懸念から、使わなくなって久しいが、それ以外の機構は現役だ。

 一体のゴブリン人形が世話を出来るのは、半径五メートルが精々。空席の数が百二十八だから、階層全てを畑には出来無い。精々が本道の一部だ。

 しかしそれだけのゴブリン人形が魔法を使い、そして生えてくる作物にも魔力を奪われれば、この階層に充満する魔力も少しは落ち着くだろう。


“この階層が溢れるならその先は一階層だ。流石にそれは看過出来ん。この階層は疾っくに溢れておかしくない程に魔力が煮詰まっているが、それもゴブリン人形で解消されるだろう。何が優先されるか考えもせず、感情だけで動いた先に未来は無い。

 理性の無い感情論も、感情の無い合理主義も、どちらも詰まらん。俺ゴブリンの前で、詰まらん台詞は言ってくれるなよ?”


 チャットでは色々な言葉が流れている。

 しかし、何と言えばいいのだろう。ゴブリンに転生して、しかし一人で生きていける者が社交的で有る筈が無い。

 視聴者の反応が見えるからと言って、迎合する必要性も全く感じない。

 だからこそ、俺は未だにゴブリンとして生きていけるのだ。


 ふと思い至って、一言だけ残しておく。


“ゴブリンには睡眠も必要無い。暫くはゴブリン人形の製作で終わる。適当に休みを取るのをお勧めするぞ。”



 ~※~※~※~



 加納くるるは混乱していた。

 長老の配信が、全然ほのぼのじゃない。

 初めはほのぼのにも思えたけれど、根底に流れているのがほのぼのしていない。


 でも、長老の言葉を見れば、長老の厳しさが有るからこそ、ゴーベンやゴッハーン達のほのぼのが有るのが分かる。

 くるるが求めるほのぼのは、長老の様に「それをしたら何が起こるのか」を真剣に考えている存在が裏に居るから成り立っているのだ。

 それを見ずに、長老の配信がほのぼのしていないと嫌うのは、それは絶対に何かが違う。


 ダンジョンに潜って殺伐とした探索をする人が居なければ、防御機構が有ると言っても魔物は溢れて何が起こるか分からない。

 長老の居るダンジョンの中には、防御機構なんて無いから、より身近に迫った死活問題だ。

 それをくるるの感情で否定してしまえば、長老の言う通りに只の詰まらない人間だ。

 それならばと、ほのぼのを求めて二上山ダンジョンの定点カメラ映像だけを見たとしても、もうくるるは知ってしまったのだ。その裏には長老の献身が有ると。


 だからくるるは混乱する。

 それはくるるの価値観が再編され、パラダイムがシフトするまで、解決する事は無いのだろう。

 それをくるるも分かっていたから、混乱しながらも必死に頭を働かせ、理解しようと悩み、そしてその視線はずっと画面の長老へと向けられていたのである。



 ~※~※~※~



 エリーは踊る。くるくると。

 長老がすっかり雑談モードに入ってから、視聴者プレゼントは魔法を感じられる品物がいいとリクエストを出したら、“良いぞ”と端的な回答を貰えた。

 だからエリーは踊る。ジャジャンジャン♪ と。

 今日はもう眠れそうには無かった。

 故に、エリーは踊るのだ。



 ~※~※~※~



 迷宮庁技術部の執務室は、嘗て無い慌ただしさだった。

 事故が起きた訳では無い。

 配信に映し出された、技術部開発の筈のドローンの、異常な挙動が原因だった。


『計算では平均して時速百四十三キロメートル、瞬間的には時速二百キロメートル以上の速度で飛翔しています。何より異常なのは、その状態で速度を緩めず直角に移動した事です。これは既存の技術では実現不可能な挙動です』


 十倍速との設定で見せ付けられたその世界が異次元だった。

 相対するゴブリンの動きが、通常速度なだけに、違和感が弥増しする。

 それでいて、十分の一の速さで再生しても、異常に全く気が付けないのだ。


 長老もトブリンも、未知の怪物と化していた。


 技術部の米澤部長が号令を掛けて、何か解明の手掛かりは無いかと探させているが、主任の相模は諦め顔で部長へと訴える。


「いや、もうそろそろ諦めましょう。長老は、僅か一月も掛からずに、それまで全く未知だった我々の技術を解き明かし、それを超える改造を施した。それ以外の答えは有りませんよ」

「いや、だが、だがなぁ。あいつらは……あいつら、だぞ!?」

「長老の配信を信じれば、俺達の知る魔物は、自我の無い操り人形か、自我が有っても這い這いする赤ん坊の様なものです。ですが言い換えれば、魔物は異世界の生き物という訳では無く、ダンジョンの端末と考えられます。

 ダンジョンを創ったのが神の様な存在なら、神の端末とも言えそうですね。それならこれくらい出来てもおかしくないとは思いませんか?

 私達はつい神が存在していたとしても、時代後れのオカルトと考えがちですが、案外神が今の世界を一目見れば、次の瞬間には未だSFの産物な、自律行動するアンドロイドでも創り出してしまうのかも知れませんよ?」

「おい! 迂闊な事を言うなよ! そっち方面に話が言ったらそれこそ泥沼だ!!」

「まぁ、私は現実の否定に躍起になっても意味が有るとは思えませんし、配信で零れる情報の方が重要と思いますから、ゴブリンチャンネルの監視は私とマミで請け負いましょう」

「ぐぅ、随分落ち着いているな! だが分かった。何か有れば逐一報告しろ!」


 部長に了解を返した相模は、配信画面へと視線を戻す。

 長老は時折思い出した様に雑談に応じながら、厭きる事無くゴブリン人形を作り続けている。

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