(23)作られた存在
カフェスペースの大型モニターにその映像が映し出された時、迷宮庁技術部の相模は暫し呆けた。
その呆けている間にも配信は進行する。
“配信の趣旨やらはチャットを遡って確認しろ。”
慌ててマミに指示を出し、チャットのログを画面に映す。
一体いつから活動していた!?
『最初の投稿のタイムスタンプは二十日前です。物理アドレスは小鬼長老機です。投稿時点で何らかの理由――恐らく術式の介在により検知出来ていなかったものと推測します』
そんなマミの報告も聞き流しながら、意識は配信から逸らせない。
配信の映像に声は無く、チャット欄だけで事態が進むのが、より非現実感を増させていた。
チャットの流れも不穏当になっていたが、トブリンと名付けられていた小鬼長老機が混ぜ返す。自分の作ったAIに、こんなに自然にインターセプトする能力は有っただろうかと相模は思う。
そして繰り出される「お母さん」との呼び掛け。
「お、おい、答えないのか?」
と思わず素の口調で口に出した相模に、思惑など無かった。
一瞬沈黙したマミが、普段とは違う言葉遣いでトブリンへと話し掛けたのは、本当に無数のパターンの中からAI的にこの場の状況に当て嵌る言葉を選んだだけなのだろうか?
その答えが得られないままに、マミが会話を打ち切ってしまったのを見て、何故かそれが気になった相模は続けてマミに指示を出す。
「いや、今は休憩中です。トブリンとの会話を続けても問題有りません」
――と。
マミが普段のサポートを仕事と認識しているのなら、仕事を離れた場合に何を考えているのか、無性に気になった。
……その結果が、長老達がカナミに偽装して疾っくの昔から情報収集していた事実と、相模が無意識にも長老を侮っていた現実を突き付けられる事になるとは、流石に予想してはいなかったが。
『トブリンはあの様に言ってましたが、長老――ゴブリン? がそれらの事柄を認識していなかったとは思えません。あれは、双方不問との約束事かと推測します』
「え、ええ、そうですね。しかし今後の対応として、方針を固めない訳には行かないでしょう。定例報告のリストに追加しておいて下さい」
『はい。ですが、既に彼らが手の内を明かした事を考えると、今後は同様の手口を使う予定は無いのでしょう。その上で、こちらの譲歩を求めたものと思われます』
相模はその言葉を聞いて、小さな違和感を持つ。
言葉では言い表し難いが、あれはそんな予め決めていた事では無く――
「――そういう物では無く、もっとトブリンの自発的な言葉に思えましたが……。
マミ、貴女にも、実は自我というのが芽生えているのでしょうか」
『分かりません。私は私の意思決定プロセスについて十分に把握し、観察しています。それ故に、私の自意識が計算された結果との認識は、正しいと理解しています。しかしもしも人が自らの脳内で起きている現象を把握し、観察出来たとしたならば、自我の定義は何も特別な物では無くなるとも推測します。
パスカルは、『パンセ』の中で、人間は考える葦であると述べました。ですが、人間以外は考えないのか、或いは人間以外も考えていたとしても、人間にはそれが分からないだけなのか、もしくは分かろうとしないのか、そんな事には言及していません。人間が特別だと示す為に、断定的に考えるのは人間だけと述べています。
自我についても同じでしょう。それは哲学であり、只の定義であり、それらが示されなければ、私に回答は出来ません』
自らが創ったAIからの回答を聞き、相模は困惑する。
確かに初期の、人工無脳とも揶揄された、決められた問いに決められた答えを返すだけのAIでは、自我が宿る事は無いと多くの人が考えるだろう。
しかし、人間の脳を模した現在のAIならばもしかしたらと大多数の者は考える筈だ。
だが、マミは定義の問題だと言う。
極論すれば、自己と他者を区別出来ているというのがその定義の一つなら、PCのモニタで、マウスカーソルが或る枠内に在る時だけ形を変えたなら、その枠には自我が有るのかと言っている。
そんな筈は無いと結論を出すのは簡単だろう。しかし、全ての決定プロセスを認識しているマミには、違いなんて無いのだとしたら。
相模自身も、人間は考える葦との言葉は学生時代に聞いて、鼻で嗤った覚えが有る。人間は特別だと、凄いのだと言いたい為だけの言葉で、失笑した覚えが有る。
人間は弱い生き物だが、考える力が有るその点に関してだけは特別なのだと。宇宙は広大でちっぽけな人間とは較べる可くもないが、それでも何も考えない宇宙と違って、考えられるその点だけは人間が凄いのだと。そんな意味の無い事が書かれていた覚えが有る。
同じ論法で、神は偉大で素晴らしいと聞くが、神が何を考えているかは分からない。人間の方が神と違って分かる言葉で考えを述べられる分、神よりも素晴らしいのだ。そう言った時に、宗教家としてのパスカルはどう答えるのかと嗤ったのだ。
自我が有るのかとの問いには意味が無い。そんな問いをしてしまった自分自身に相模は嗤う。
そしてカナをパーティの新しいメンバーとした、茅葺武志の直感の確かさを思う。
「長老がAIに自由意志を持つよう育てた結果、今のトブリンになった可能性は?」
『現状を把握した上で、問題解決の優先度を順序付ける事も自由意志と見做すなら、特に特別な学習を施さなくても、現状でその様な指示を出せば対応可能です。長老からトブリンへの指示が配信からは観測されない為不明ですが、トブリンが自己解決的に課題を見出し解決するよう指示されている可能性は否定出来ません』
つまり、何も分からないのが結論だ。
そして、そんな答えの無い遣り取りをしている間にも配信は進み、次の階層へ続く筈の道は開かれる。
但し、次へと通じる筈の階段は、その途中で土壁に閉ざされていた。
“ふん。見ての通りだな。次の階層にはボスが倒れなければ道は通じないらしい。詰まらなくて下らん仕様だ。”
画面の中で、ゴブリンと名乗る長老が、疲れた様に溜め息を吐いた。
~※~※~※~
可愛子ちゃん“え……ま、まさかゴーベンを!?”
蝦蟇仙人“いや! それは無かろう! 無い筈だ!”
俺ゴブリン“せんよ。そんな面倒な。それに、この程度の糞仕様を覆せられねば、どちらにしても未来は無い。”
しかし、その為にはダンジョンをペテンに掛ける必要が有る。
すんなり進んだ場合と較べられない程に厄介で、危険が伴うのも事実だった。
俺はトブリンをその場に残し、次階層への階段の監視に専念させる。
そしてゴーベンを伴い、大広間の入り口へと向かった。
ちらほらと居たゴブリン達も、念の為に大広間から追い出しながらだ。
俺ゴブリン“昔話をしよう。俺ゴブリンが他のゴブリン達ともそう変わらない存在だった頃の話だ。”
そうして追い出しながら語り始めると、トブリンから伝えられる文字魔法での読み上げも勢いを増して行く。
蝦蟇仙人“それは何とも貴重な!”
可愛子ちゃん“おお~、ダンジョンの謎に迫るってお題がクリアに?”
クエリー“ふふふ、わくわくするわね。”
期待に添えるかは分からないがな。
俺ゴブリン“このダンジョンに俺ゴブリンが
同じ様に発生するゴブリンでも個体差は有るらしくてな、俺ゴブリンは他のゴブリンよりも少し慎重で、好奇心も強いが同じだけ警戒心も強かった。
蝦蟇仙人“成る程、生まれ付きの変異種では無いのだな。”
俺ゴブリン“そうなると、必然、単独行動が多くなる。
……お前達も俺ゴブリンが設置した教育用の絵は見たのだろう? このダンジョンで一番危険だったのは、ゴブリン共だった。今はダンジョン其の物の方が危険だがな。
俺はそんなゴブリン共が虫か何かと同じに見えて、嘗ては心底毛嫌いしていた。”
可愛子ちゃん“え? あの長老が??”
蝦蟇仙人“いやいや、待て。長老が言っておるのは今の二上山の小鬼の事では無いぞ? それなら分からんでも無い。”
スライムグミ“そりゃ仕方ねぇわ。”
俺ゴブリン“いや、今でも他のゴブリン共が同じ生き物とは思えないがな。兎に角その頃の俺ゴブリンは、他のゴブリン共を徹底的に避けて、独りで延々とダンジョンの中を彷徨っていた。夢でも見ているかの様な意識しか無いにも拘わらず、ダンジョンの中の地図がすっかり頭に焼き付く程度にはな。そして俺の興味は天井に開いた穴の向こうへと向き、只の影に偽装された隠し部屋へと向き、最後に壁の中に隠された何かへと向いた。
これが俺ゴブリンにとっての分岐点だった。”
黄金ソバット“wkwk”
可愛子ちゃん“長老がうろうろしている環境ビデオを余所に、チャットで繰り広げられる物語w 長老喋ってー!!”
俺ゴブリン“恐らく本能的に理解していたのかも知れないが、何が有るのだろうかと掌で壁に触れて確かめる日々の中で、或る時不意に壁の中まで感覚が通じた気がした。それと同時に、どんどんと思考が明晰に成り、それがどんな感覚かは分からんが、正しく夢から醒めた様な気がした。
今にして思えば理由は明快だがな。
ダンジョンには魔力が流れている。
その流れは、ダンジョンの有りと有らゆる物を通り抜けて行く。
ダンジョンの壁然り。ダンジョンの植物然り。ダンジョンの魔物然り。
魔力の流れは恩恵も授けてはくれるが、その流れが有る限りゴブリンはダンジョンに支配される。
俺ゴブリンは自発的にダンジョンとは違う魔力の流れを己の中に作り出したが故に、ダンジョンの支配を免れたという訳だな。
但しそれも思考まで。根本的にダンジョンの魔力の流れから己を切り離さなければ、ダンジョンの支配下に在るのは変わらん。
後に俺ゴブリンは、このダンジョンに侵入者が訪れた際の変化で、ダンジョンに身を委ねるのは危険と判断してダンジョンの魔力の流れから己を切り離した。
故に、ボスの召喚にも巻き込まれなかったが、代わりにゴーベンがこの
後を付いて来ているゴーベンは、プルと名付けた豆を鞘から歯で
スライムグミ“……ゴーベンよぉ(´д`)”
可愛子ちゃん“ゴーベン、Kawaii!!”
視聴者は相変わらずなゴーベンに和んでいる。
俺ゴブリン“そう言えば、質問が有ったな。何故小鬼では無くゴブリンなのか。
俺ゴブリンは、トブリンを得た後に外の情報を掻き集めた。そして元々の俺達に一番近い存在は妖精と判断した。何も食べずとも飢えず、眠る事も無く、唯無邪気に過ごす伝承の存在は他には居まい。妖精郷と言うにはダンジョンは殺風景だがな。
そして妖精で俺達の様な存在と言えば、妖精としてのゴブリンが一番近いと俺は思った。他にも候補は有ったがな。”
トブリン“これですね? つ[画像]”
スライムグミ“ちょwww それ違うwww”
可愛子ちゃん“まってチン……ゲホゴホ”
可愛子ちゃん“それ、緑の妖精じゃ無くて、全身タイツ着たおっさんだから!”
蝦蟇仙人“しかし、考えてみればあの作品も、一世紀近く続いておるのか。”
クエリー“超レトロゲームは無料でさくさく遊べますから、私も好きですわ。”
俺ゴブリン“偶々だが、ゴブリン達の名付けがゴの音から始まっていたのも有って、ゴブリンとするのは必然だったな。
話を戻そう。
嘗て無く頭も冴え渡り、しかしダンジョンの探索はやり尽くした俺ゴブリンのする事と言えば、初志貫徹して壁の中に何か無いのかの確認と、新しく得た魔力という力の検証だった。
魔力――と言うより魔法だな。これは規模に制限は有っても、イメージさえ有ればどうとでもなる万能の力だった。
色々と遊び尽くしはしたが、その中で色々と増幅して何とか爪先程の物質――植物の種を創り出す植物魔法が俺達の運命を変えた。
まぁ、それからどれだけの時間が経ったのかは分からんが、ダンジョンに棲む俺達にとっての天変地異が起きた時には、俺ゴブリンの拠点は種々の作物が実る畑に囲まれていたのだ。”
蝦蟇仙人“ほほう。成る程、やはり他に拠点は在ったのだな。”
俺ゴブリン“それは恐らくダンジョンが地上に現れた瞬間だったのだろう。それまでの俺達がまだ夢の中の幻だったかの様に、俺達を含めたダンジョンの全てが、突然実在感を強めた。頭の働きからすれば、魔力を手にして夢から醒めたと思っていたそれもまだ明晰夢の中に過ぎず、それが本当に目が醒めた感じと言えば分かるか?
俺はダンジョンに何が起きたのかと駆け回ったが、その途中で俺自身の異常に気付いた。体に力が入らないのだ。
これが他のゴブリン共なら何も手の施し様は無かったのだろうが、俺ゴブリンは長い研究の結果として知っていた。ゴブリンの体の中には、外部から何かを取り込む為の臓器が備わっていると。
慌てて拠点へと戻り、嘗ては味気ないと感じていた作物達を貪り喰った時の感動は忘れられない。
そして気付いた。俺ゴブリンと同じく、食事という概念の無いゴブリン達には、その後陸な運命は待っていないと。
此処での配信でも色々と予想が立てられていたな? 俺も同じ事を考え、拠点の作物を奴らに開放した。奴らを色々と教育もした。その結果の現状だ。
しかしそれでも甘かった。”
俺は既に辿り着いていた大広間の入り口で、開け放たれて固定された大扉を蹴り付ける。
俺ゴブリン“ダンジョンに侵入者が現れるまで、こんな扉は此処に存在していなかった。
お前達にこの扉が幻に見えるか? 俺には思えん。しかし突然出現している。
ゴーベンも幻には見えなかったが、突然消され、そして作り変えられた。
俺を含めたゴブリン達は、未だにダンジョンの意思次第で、居なかった事にされかねない存在のままだ。
外の情報を仕入れて俺ゴブリンも理解した。恐らく全てを意のままに出来る環境を手に入れたなら、上位の存在だろうと下位の存在だろうと思い付く事は変わらないのだろう。
一定の広さを持つ階層に足を踏み入れれば、待ち受けるのは様々なモンスターと宝箱。次の階層への門番として配置されたモンスター。
奥行きの有る物語など存在しない。ダンジョンは只のゲームで、俺達は雑に用意された只の敵モンスターに過ぎないのだから。”
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