(10)『奈良県二上山丙種迷宮第一回侵入調査実況配信』~驚倒~

 俺達は、怪我をさせてしまった小鬼、名前はゴッハーンに案内されて、今、小鬼の集落の中を歩いている。

 小鬼の集落に飾られていた壁飾りを、凄いなと褒め称えていたら、何故かゴッハーンが俺達を何処かへと誘ったのだ。


「俺は今、六層の鬼丸大将を斃した後の様な疲労感だ」


 思わず胸の中の思いを零したら、隣に並ぶ大が噴いた。


「気持ちは分かる」

「餓鬼窟がそれかはまだ分からんが、とても地獄の一層目とは思えん体験をしているな。一番攻略が進んでいる日本で、餓鬼窟の最前線は九層。此処が等活地獄と伝えられている物と同じなら、恐らく十六層まで有って、次に黒縄地獄が在る筈だが、一体どんな超人が地獄の底まで潜ったんだか……」

「まぁ地獄の記載は諸説有る。案外黒縄地獄までは到達したとしても、其処から先は想像かもな。確かに斬られても復活するのは等活地獄らしいが、此処の小鬼が斬られたとして、代わりに現れる小鬼は他の餓鬼窟と同じ馬鹿な小鬼になるだろうさ」

「……殺意が高い餓鬼窟には馬鹿な小鬼ばかりが溢れ、賢い指導者に統率されたならば此処の様に平和に暮らす餓鬼窟も有り得る訳か。新階層に至った直後の対処が物凄く重要にならないか? 深い階層の方が魔物も頑丈だ。一時騒乱に興じたとしても、生き延びて思慮深くなった個体も居ておかしくない」

「戦闘続きの興奮状態でそんな判断は無理だな。加えて鬼の強さを前にそんな余裕も無ければ、昔話には人を騙す鬼や、人に成り代わろうとする鬼の話も多いぞ?」

「あー、雑談で教授達の頭を引っ掻き回すだけの話題だな」

「今頃奇声を上げたり、フェイクだと叫んでるのが出てる頃じゃ無いか?」


 笑いを含んだ大の言葉に、俺も思わずくつくつと笑う。

 思わず雑談に興じはしたが、目はずっと小鬼の集落へと向いている。

 壮観だ。暫く歩いてもまだ続く集落で、壁も見えない数の装飾品が、足を進める度に様相を変える。

 きっと今頃大会議室もネットも大騒ぎに違い無い。


 だが、そんな異国情緒溢れる一角も、暫く歩けば外へと抜けて、再び洞窟な光景が広がる。

 時折壁に装飾品が飾られていても、あの集落の様子を見れば納得だ。


 その適当な壁を指差して、ゴッハーンは言った。


「ホンホムコビナゴロッコゴロゴナヒタンプテア」


 壁に何かが有ると言っているみたいだが、見ても荒れた岩肌が有るだけで分からない。

 そんな表情のままゴッハーンを見下ろしてみれば、ゴッハーンは得意げにその岩肌をほじくり始めて、最終的には筒状の何かをほじくり出した。毛がびっしり生えた大きな葉を取り出して、それで出て来た筒を丹念に拭いてから、渡してくる。


 ……装飾品だ。


 疑問を抱きながらも、俺も適当に壁をほじくると、指先に硬い物が当たる。

 それを頼りにほじくり出すと、腕輪の様な飾りが現れた。


 仲間達も皆それぞれほじくり出して、呆然と何かしらの装飾品を眺めている。

 何でこんな物が壁に埋まっているんだ?


「凄い! 宝探しみたい! 持ち帰って売れば大金持ちよ!」


 脳天気な屁っブバーンの声に、我に返る。


「おい、やめろ! 貰っていくとしても三つまでだ。二つを提出して、一つは記念品だな。

 なぁ、それぞれ三つ程貰っても構わないか?」


 最後の台詞は、指を三本立てて仲間のそれぞれを指差しながらゴッハーンに向けて言うと、意味を理解したのがゴッハーンが笑顔になって、更に俺達を何処かへと誘う。


「えー、いいじゃ~ん」

「駄目だ。殺意剥き出しで飛び出してきた奴らのダンジョンなら賊のアジトだが、此処は違う。嫌な予感しかしないぞ」

「ま、土産物にするにしても、もっと出来のいいコピー品を幾らでも作りそうだぜ」

「小鬼さんの物を盗っちゃ駄目だよね~」

「壁に埋まってるんだから、誰の物でも無いじゃない」

「他の餓鬼窟に無い以上、此処の小鬼の為に用意された物かも知れんだろうが!」

「ぶー」


 探索時には真面目な京子が、気が抜けて屁っブバーンに戻っている。

 気を付けなければいけないと、俺は大と視線を交わした。


 ゴッハーンが案内して来たのは、他の場所と何も様子が変わらない洞窟の一角だ。

 だが、ゴッハーンが手を伸ばす先を見て、何故ゴッハーンが此処に案内したのかを俺は悟る。

 天井付近の壁から飛び出した何かの角が、綺麗な紫色に輝いている。


「これは、俺でも届かんが……」

「あ、あ、お兄ちゃん! 肩車!」


 結局恵美が肩に乗り、降り掛かる土塊つちくれを遣り過ごしながら取り出したそれは、美しく宝石らしき物の四角い薄片が配置された八角形の皿だった。

 小鬼達が踊っている様な絵柄が描かれていて、正直やばい代物だ。


「オー! イデイデー♪」

「こいつを貰ってしまっても、いいのか?」

「ホムホム! ヒミラヤクッチャナ!」


 とても笑顔で許されている感じだったから、俺達はそれと、更に各人三つになる様に装飾品を掘り出して、それぞれの鞄に仕舞い込んだ。


 一応最低限の用事を終えて一段落付くと、諸々の情報の洪水に曝された気疲れで、もう引き上げてはいいのではという気持ちになってくる。


「もう引き上げないか?」

「……いや、駄目だろ。気持ちは分かるが」


 だよなぁと、自分でも分かっていながらも、つい胃の辺りを手で探ってしまっていた。


「アーーー!!! チャルクッチャニーヤ、ゴッヘムルイルアンニーヤ!」

「あ、拙い……いや、違うぜ? ほら、こうぽんぽんと、もうお腹が一杯だよなって奴だぞ?」

「インニーヤ、コルトゴッヘムハンプハルタン! ニャシャーラヘンプナ!」


 疑わしそうにゴッハーンは言って、また俺達を誘う。

 いや、もう本当に腹一杯なんだがな。


 辿り着いたのは、小鬼の集落の裏手辺りだ。

 ぱっと見、岩の陰の様な場所に、一度挨拶をした小鬼達が入れ代わり入っては出て来るが、出て来る小鬼はその手に水を湛えた器や袋を持っているのを考えると、この奥に水場が在るのだろう。

 それはそれで興味深いが、そんな物よりも俺達の興味を引いたのは別の物だ。


 水場の前の一角が、掲示板か何かの様に石板画が壁に何枚も飾られていて、その一番端の石板画の下に、俺達の良く知る餓鬼窟の餓鬼が、壁に設けられた石のブロックに手足を拘束されて囚われの身となっていた。

 口には五月蠅いからか轡というか口枷というかギャグというか、その中でも無理矢理口を開けさせるのを目的とした、SMで使われそうな物を嵌め込まれた黄土色の餓鬼が、そんな状態で有りながらもいきり立っていた。


 回りで見守る小鬼達の呆れた様な憐れむ視線と、お供え物の様に置かれた恐らく食物と思われる物が入った籠とのギャップが酷い。


 ゴッハーンがその餓鬼に手を向けて言う。


「ゴッヘム。ゴッヘムニャシャラクッチャイハシンニャシャプルポルコム」

「成る程、此奴がゴッヘムと――」

「ゴッヘムニャシャクッチャプルポルコム」


 そして次に、ゴッヘムという名前らしい餓鬼の上に飾られた、石版画の隅に手を伸ばした。

 そこからは、呆然とする時間だ。


 最初、その石版画には一体の小鬼が描かれていた。と言うよりも、タイルを貼り付けて絵にしたタイル画だ。

 ゴッハーンが石版画から手を離して、暫くするとその石版画の地肌部分に、文字らしき紋様が浮かび上がってきた。

 当然読める筈が無い。

 なのに、何が書いて有るのかは分かる。

 頭が真っ白になっている間に、今度はタイルが動き出した。

 絵の形を次々に変え、その度に新しい文字が浮かび、そしてまたタイルが動く。

 一通りの物語が終わったらしき後にも、俺達は暫く無言でそのタイル画を見ていた。


 ふと我に返る。


「――カナ、今俺はタイル画に文字が浮かび上がり、タイルが動いて次々に絵を変えていった様に見えたが、それは俺が見た幻か? それとも映像にもその様に映っているか?」

『模様が浮かび、タイル画が変わっていったのが映像にも残っています』


 カナ――AIがそう言うなら、配信にも乗っているのだろう。


「黙ってしまって悪かったな。こうも爆弾並みの衝撃が続くと、な。配信で見ている先では分からなかったかも知れないが、この場で見ている俺達には浮かび上がった紋様は読めなくても、何が書かれているのかは何故か分かった。

 もう一度最初から見てみよう。

 お、此処の掌マークに手を当てるのか。――何も起こらないな。なら、魔力を流して……ん? ああ、魔力が入らなくなるまで流せばいいらしい。では離れるぞ――」


 そして石板画に文字が浮かぶ。


「ゴッヘムは凄い偏食」


 絵が動いて、地蟲から顔を背けるゴッヘムの絵に。そして違う文字が浮かび上がる。


「虫は嫌」


 絵が動いて、赤い実から顔を背けるゴッヘムの絵に。そしてまた違う文字が浮かび上がる。


「実も嫌」


 絵が動いて、ゴッヘムが痩せ細った姿に。そして食べ物からは顔を背ける。文字がまた変わる。


「お腹が空いて苦しくても嫌」


 絵が大きく動いて、ゴッヘムを構成するタイルが緑色の物から黄色の物に。そして形も凶悪に。浮かぶ文字も何処かおどろおどろしい。


「そんな事を続けていたら、ゴッヘムの姿が変わって馬鹿みたいな姿に」


 絵のゴッヘムの手足が暴れる様に動き回り、文字はまた変わる。


「馬鹿になったゴッヘムは大暴れ」


 絵のゴッヘムの手足が固められ、上向きにされた口から嫌がっていた食物が流し込まれる。文字は変わる。


「ゴッヘムの手足を固めて、無理矢理ご飯を食べさせても、もうゴッヘムは元に戻らない」


 絵が元の配置に戻りながら、また文字が浮かぶ。


「ご飯はちゃんと食べましょう。

 おいおいおい、だな。世界が変わるぞ? バベルの塔も実は迷宮で、それ以前の統一言語を俺達は目にしているだとか言わないだろうな?」

「おいこら、宗教戦争を勃発させようとするな」

「だ、大丈夫だって、こんな奥まったところから電波は届いてないって。カナちゃんが黙っていれば大丈夫だよね?」

「おいこら、中学生からやり直すか? ダンジョンの中には深層からの魔力の流れが有って、何処で配信しても入り口まで魔力に流されて電波が通るのは常識だろうが。その所為で逆に外からの連絡を受けられずにいるのを忘れたか?」

「ほ、ほら、京子さんも思わず口が滑っちゃったんだよ。てんぱって、いつもの安直な考えが出て来ただけなんだから」

「陽一君、それフォローになってないよ!?」


 息を吹き返した仲間のお喋りにも動揺が見られるが、何と無く俺は吹っ切れてしまった。


「ほら、他の石板画に行くぞ。

 と、次のは、良し。

 ――名無しのゴブオは楽しい事が好き。

 ――或る日ゴブオは高い場所から飛び降りる、飛び降り遊びを思い付いた。

 ――毎日楽しく遊んでいたが、或る時素敵な考えを思い付いた。

 ――頭から飛び降りたらもっと楽しいに違い無い。

 ――ゴブオは飛び降り遊びで頭から飛び降りて、苦しみ抜いて死んだ。

 ――高い場所から下りる時は、安全に気を付けて下りましょう。

 よし、次だ。

 ――名無しのゴブオは食べるのが好き。

 ――或る時ゴブオは転がる小石を食べてみた。

 ――どんどんどんどん食べてみた。

 ――ゴブオはもうお腹が一杯。

 ――そのまま苦しみ抜いて死にました。

 ――ご飯では無い物を食べるのはやめましょう。

 よし、次だ。

 ――名無しのゴブオは力自慢。

 ――鍛えた力を自慢するのが好き。

 ――誰かを屈服させるのは気持ちいい。

 ――どんどんどんどん屈服させていたら、

 ――もっと強い者にぼこぼこにされてしまいました。

 ――力を自慢したくても誰かを傷付けるのはやめましょう

 ゴブオばっかりじゃねぇか」

「名無しの権兵衛みたいな言い回しなのかな?」

「……確かに名無しとは言ってるな。

 だが、ゴッヘムは其処に居る。それに、千年も昔の物には見えない」

「おおー、じゃあお兄ちゃん、今もその統一言語を使う小鬼が居るのかな?」

「小鬼とは限らないだろうさ。

 だとしても、どれも寓話で教訓だ。小鬼達の事を大切に思っているのには違い無い」


 まぁ、それは別として、さっきからゴッハーンがちゃんと分かったのかと未だ疑わしげに俺を見ている。

 俺はぐっと腹を膨らませてから、服をまくってゴッハーンに腹を触らせた。

 ゴッハーンは一転して、満足した様子で頷いている。

 種族が変わっても納得した時に頷くのには、共通する何かが有るのだろうなと考えつつも、確かにこんな物を見て育っては、腹を空かせた者を見掛けたら心配するのは当然だ。


「ねぇ、それよりうちはこれも気になるんだけど」


 京子は頻繁に空気の読めない屁っブバーンになるが、緊張とは無縁だからか細かい事に良く気が付く。

 その京子が目を向けたのは、ゴッヘムへのお供えの籠に有った赤い実だ。


 そして、例によって俺達は、ゴッハーンに誘われて、何処かへと導かれていく。

 本道に沿う様に、その奥へと。


「どなどなどーなーどおなー♪」

「恵美、もっと未来が明るくなる様な曲にしないか?」

「大丈夫だ、問題無い!」

「いつの時代のネタだ!?」

「ま、これで言われていたミッションは、全て最高評価で終えられそうだな」

「最高過ぎて頭が弾けてるかも知れんがな」


 そんな馬鹿を言っている間にも、遠目にボス部屋が確認出来る様になるのだが、……なるのだが……。


「うわぁ~、お兄ちゃん、丸で市場みたいになってるよ?」

「あはは、大会議室には匙の差し入れが必要みたいだね」


 恵美と陽一が呆れているが、大は少し考え込んでいる。


「……つまり、農耕文化を築いているから、平穏な暮らしが出来ているのか」

「何々? 分かる様に言ってよ」

「誰の学説だったか、地蟲は餓鬼の食料だが行き渡る量の発生が無いから餓鬼は常に飢えていて攻撃的だってのが有っただろ。その説で言えば、元々餓鬼窟に居たのは小鬼だが、飢えて殆どが餓鬼に変異したとも考えられる」

「あー! 餓鬼はいなごだったんだ!」

「バッタの相変異は生まれ付きでいなごは相変異を起こさないから、喩えとしては間違っているがニュアンスとしてはそうかもな」

「そうそう相変異」

「うざ!」


 大は京子のうざ絡みにも、初めの内は真面に対応しようとするだけに、より深くうざさを感じて嫌がっているが、それだけまぁ大は真面目だという事だな。


 そして俺は俺でどうやらボス部屋の中が耕されてしまっている予感に何とも言えない気持ちを抱きながらも、そう言えばボス部屋の前の安全地帯はどうなっているかと見回して、何とも気の抜ける物を見てしまった。


「武志、どうした?」

「……あれだ」


 俺が指差した物を見て、大も思わず噴き出している。

 魔物が入らず安全な筈のその場所が、壁に穴を開けられて自由に魔物が出入りする場所になっていた。


「鍵を見つけ出しての解放が必要な安全地帯が意味無しというか、此処から水を引いているのか? ……随分と贅沢な畑を作っているらしいな」

「写真でしか見た事は無いが、安全地帯の鍵は装飾品の見た目らしい。クク……この餓鬼窟ではそれを探し出すのが一番大変そうだ」


 大の台詞の状況を想像して、俺も思わず噴き出してしまう。

 この餓鬼窟で未探索の場所など残っていないだろう事を考えると、安全地帯の鍵はきっと何処かの壁飾りに紛れてしまっている事だろう。

 それを見付け出す事を考えるなら、俺でも壁に穴を開けたくなるに違い無い。


 そんな風に笑い合っていると、先行していたゴッハーンが戻って来てしまった。

 俺達が安全地帯に気を取られているのを見ると、そちらへと進路を変える。

 壁に空いた穴は、思った以上に表面が綺麗に処理されていて、元々こういった穴が空いた部屋だったと言われても知らなければ信じてしまいそうだった。

 部屋の中を覗いてみれば、貴重な回復の泉は空となっていて、泉に注ぎ込まれる聖水は樋が受けて、その樋が壁の穴を通ってボス部屋まで続いている。

 そして何故か安全地帯の中が、小鬼達のトレーニングルームとなっていて、今もダンベル代わりの棍棒を振り上げては下ろす小鬼達が何体も汗を流していた。

 そして汗を流せば樋に落ちる聖水を横から器で受けて飲んでいる。


「はは、流石に此処は汗臭い異臭が漂っているが、普通の餓鬼窟や体育会系の部室と較べれば、やっと同程度ってところだな」

「ナイスバルク!」

「黙れ屁っブバーン。また変な物を流行らせて怒られるネタを作るな」


 中に入って行くゴッハーンに続いて、安全地帯改めトレーニングルームへ俺達も入る。


「ゴーベン――ゴルホン――ゴホッセ――ゴギャーン」


 ゴッハーンが簡易に紹介するのに合わせて、俺達もそれぞれの名を名乗る。


「武志」

「京子!」

「……大」

「恵美!」

「陽一」


 まぁ、大が大臣と名乗らないのはいつもの事だ。

 そして、名乗りを終えたなら、積年の友の様に扱われるのも、集落でのそれと同じ。

 通常の餓鬼の邪悪さに較べて、眩しい程に善良な生き物だ。


 ゴーベンは俺の筋肉に目を付けたのか、頻りに自分が振るっていた棍棒を押し付けてくる。

 俺がそれを容易く振るうと、「ホーー!!」と感嘆の奇声を上げた後、奥に転がされていた丸太へと向かった。


 そう、丸太だ。この棍棒もそうだが、木材が有る。

 丸太は直系三十センチ程だろうか。

 成長が早い木でも十年以上。中には百年掛かる木も有るだろう。


「こんな丸太が有る時点で、迷宮時代以前を知っているのは確実か」

「それは少し気が早い。より深層から持って来た可能性も有る。餓鬼窟で森は四層以降だな」


 ゴーベンは持ち手部分を握れる細さに削られた丸太を、気合いと共に腰まで持ち上げ、そして下ろして、にやりと得意げな表情を向けてくる。

 そして手招きをして、試してみろと俺を誘った。


 だが、まぁ、俺なら片手で持ち上げられる。

 六層まで攻略しているとは、そういう事なのだ。


「フッホオオオオオ!!!」


 流石に調子に乗って腰より上に持ち上げたりはしなかったが、ゴーベンは驚愕の叫びを上げて、俺の腕の筋肉を触って、悔しげながらも負けを認めて瞑目した。

 そしてゴッハーンから俺達が畑に向かっていると聞いたのだろう。ゴーベンも俺達に同行する事になった。


 ただ、畑――恐らくはボス部屋の中――は、もう目と鼻の先だ。

 市場の様に積まれた作物の横を通って――


「そう言えば、屁っブバーンがこれだけ積んである食い物に手を出さないとは珍しいな?」

「うっ……うちだって、黄泉の国の食べ物を食べたら戻れないって知ってるわよ!」

「……この状況じゃ、神話関係も丸呑みするのは怪しいがな」


 ――殆ど二言三言話す間にも着いてしまう。


 正面には他の餓鬼窟で何度も見た大扉。

 そして、その手前の左の壁に、何処の餓鬼窟でも見た事の無い隧道。

 足下を這う樋は、その隧道へと続いている。


 何故かその隧道へと入っていく小鬼達の何体かは、態々大扉に跳び蹴りをかましてから隧道へ向かっているが、ちょっとその隧道は俺達には小さい。

 だからこそ何気なく――それこそ何度も開けているから、何も疑問を抱かない無意識加減で、俺は大扉へと手を伸ばしてしまった。


 そして、いつもの様にそれ程負荷を感じる事も無く、大扉は内側へ向かって開かれた。


 その瞬間、目を刺す陽光に思わず腕を翳して影を作る。

 ダンジョンの中で陽光を感じるのは、それこそ四層の向こうからだ。

 目を細めながらもボス部屋の中を見渡すと、青々とした植物が茂り、瑞々しい野菜や果物の姿が入り口からも見て取れる。

 端には果樹園も有るのか、木々が立ち並ぶ一角も見えている。


 その中で、小鬼達が作物を収穫し、屈託無く笑っている。


 先に隧道から入っていたゴッハーンが手を振って誘い、その横にゴーベンも並んでいる。

 それに誘われて、俺達は一歩踏み出し、扉を越えて、暖かな畑へと足を踏み入れた。


 拙い事をしてしまったかも知れないと気付いたのは、背後で扉の軋む音を聞いた時だ。

 背後に振り返ると、大扉が閉まり始めている。

 小鬼達が挟まれてはと一瞬頭に浮かんだが、小鬼達は扉から先へは立ち入れないのか、足踏みしていて寧ろ安全と分かり、ほっと胸を撫で下ろした。


 しかし、その事実がこの後に起こる事を予感させる。


「気を引き締めろ! ボスが出るぞ!!」


 餓鬼窟の一層目に出るボスは、当初は多財餓鬼とも呼ばれていたが、二層目以降に出て来る他の鬼との兼ね合いも有って、今では簡単に中鬼なかおにと呼ばれている。昔話に倣おうとすると、呼び名が山程有ってどれと同定する事が出来無かったからだ。

 しかし、此処に限っては餓鬼達を導いた指導者が出る可能性も有り、その事実は酷い緊張を俺達に齎していた。


 だが、そんな俺達の目の前で、俺達の様子をぽかんと見ていたゴーベンが、何やらあわあわしだしたかと思えば、突然消える。

 その代わりかの様に、何度も見たボスの登場の黒い靄から現れた中鬼は、その首から涎掛よだれかけの様に、棍棒のアップリケが付いたポンチョを下げていた。

 その眼は赤光を放ち、爛々と輝いている。


 餓鬼や小鬼が小学生低学年から中学年の背丈だとすると、中鬼は大人とそう変わらない百六十センチ程。

 俺達にとって脅威では無いが、それがゴーベンだとすれば手を出せない。

 周りの小鬼達も突然そんな大きな鬼が現れたとなると気が付いて、しかし何か通じる物が有るのか、「ゴーベン?」との囁きが漏れている。


 暫く自身の体を見下ろしていたそのゴーベンが、標的に定めたのはどうやら俺だ。

 凶悪に顔を歪ませて、俺から二メートル少しの場所まで近付いて来たゴーベンは、首に掛かったポンチョのアップリケから何やら取り出すと、それを握った右手を左掌に叩き付けて、そしてその左掌を突き付けて来た。


「ガーーーーーッッッ!!!!」


 ぐ、ぐぅううう、耐えろ! 耐えるんだ! ここで気を抜かれるな!!


「よ、陽一……」


 俺が右手を後ろに伸ばすと、震える吐息の持ち主が、震える腕で俺の手に何かを握らせる。

 それを確かめた俺は、同じくそれを握った右手を左掌に叩き付けて、そしてその左掌をゴーベンへと突き付けた!


「がーーーーっっっ!!!!」


 微妙な気持ちの俺達に対して、ゴーベンにとってそれは開戦の狼煙だったのだろう。

 益々顔を歪めると、筋肉を盛り上がらせて――


「ガッ!! ガーッ!! ガーーーッッッ!!!!」


 ――三連続でポージングを決めた!

 勘弁してくれ!!


 俺は荒い息で腹筋から立ち上る衝動を抑えると、背中に背負っていた盾を下ろし、身に着けていた革鎧を外し、その下の鎧下と肌着も脱ぎ捨てて上半身裸となった。


「お前達は下がってろ」


 と震えそうになる声で仲間に告げるが、返答は無い。

 指の間から抜ける様な音だけが聞こえてくる。

 気持ちは分かる!


 そして俺も、ゴーベンと同じポーズの三連続で返した!!


「がっ!! がーっ!! がーーーっっっ!!!!」


 同じポーズだからこそ違いが分かるのだろう。

 周りで見守っていた小鬼達が、俺の方にこそ近寄って来て囃し立てる。


 その様子を見て慌てたゴーベン!

 更に三連続ポーズを決めた!!


「ガーーッッ!! ガーーーッッッ!!! ガーーーーーーーッッッッッ!!!!!」


 しかし甘い! 幾ら声を張り上げても、そのポーズは単調で、最初と変わる所が無い!

 人間には磨き上げられた、筋肉を魅せる美しいポーズというのが有るのだよ!


「フロントリラックスからサイドチェスト……はぁっ!」


 気圧されるゴーベン!


「ラットスプレッドからアドミラルアンドサイ……だぁっ!!」


 後退るゴーベン!!


「モストマスキュラーからダブルバイセップス変形の捻り……がぁっ!!!」


 驚愕に息も絶え絶えなゴーベン!!!

 一体何の勝負だ!!!!


 もう心の底では負けを認めていながらも、ゴーベンは最後の力を振り絞る!!

 しかし目は瞑って、ポーズはダブルバイセップスの様な三連続だ!


「ガーーーーーーーーーーーッッッッッッッッ!!!!!!!」


 ならば俺が同じポーズで楽にしてやろう。

 術者の素質が無かったとしても、ダンジョンに潜り続ければ特殊な力――神通力に目醒める事は良く知られている。

 その力を知るがいい!


「筋力倍加……はぁっっ!!!

 賦活……だぁっっ!!!

 乾坤一擲……がぁっっ!!!」


 後ろから大人気無いなどと言われようが気にしない!

 この状態になったら、小さな家程度の大岩もギリで持ち上げられるが、上には上が居る。

 中途半端よりは、出来る限りの精一杯だ!

 ボスになってしまったゴーベンがこれからどうなるか分からないのだから、それこそがはなむけとなるだろう。


 そのゴーベンは、俺がポーズを取る毎に絶望の表情を深め、衝撃波すら伴った最後のポーズを決めた途端、白目を剝いて後ろへと倒れた。

 ゴーベンよ、安らかに。


 周囲は小鬼達の大熱狂だ。

 仲間達は全員籠を持たされて、俺も慌てて装備を着込んだ所に籠を渡された。

 そして次から次へと籠に放り込まれていく作物達。


 もういいだろう?

 もう十分な筈だ。

 撤退だ! 撤収するぞ!!


 そして俺達は入り口の隧道を、体を横にした片手の匍匐前進という無理な体勢で通り抜け、殆どの小鬼達に最後まで付き添われ、見送られながら、今日の探索を終えたのだ。

 全員が持ちきれない程の作物を、しっかりその手の籠に抱えながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る