第24話 兄の来訪
とはいっても、シャルロッテの日常が劇的に変わるわけでもない。
次に屋敷を訪れた時、リチャードは顔色ひとつ変わらなかった。いつものように穏やかで、弁えていて。
だから、彼に何かを問うこともできなかった。ただいつもと同じように新聞や手紙を読み上げて、シャルロッテはリチャードの言う通りに返事を書いた。
パトリックが来たのはそんなある日のことだった。
「お姉様! 見て、びっくりするような立派な馬車がうちの前に止まってるの!!」
そんなことあるわけないだろう、と思ったけれど、ヘンリエッタの言う通りだった。
そのびっくりするような立派な馬車から、颯爽と男が降りてくる。
黒のタイロッケンコートに、合わせたような
けれど、屋敷まで訪ねてくるとは一体どういうことか。シャルロッテが顔を顰めても、パトリックはまったく意に介さない。
「おい、シャルロッテ。ちょっと顔を貸せ」
「何の御用ですか」
そんな風に呼び出されるような覚えはどこにもない。
「ねえねえ、お姉様。こんな素敵な方とどこでお出会いになったの」
ヘンリエッタはぐいぐいと距離を詰めてくる。元から華やかな妹の顔が二割増しで輝いている。
そういえば、ヘンリエッタの好みは昔からこういう分かりやすく男らしい男だった。
「せっかくなら、うちに上がっていただきましょう。わたくしにも紹介してくださらない?」
「そんな、うちになんて」
見送りにまで来てくれたリチャードだって、まだ我が家に入れたことはないのに。それに、シャルロッテとパトリックは、親しく話すような間柄でもない。
「俺はどこでも構わん。早くしてくれ」
「ね、そう仰ってますし。そうしましょう」
妙なところで共鳴がはじまって、押しが強い二人に流されるがままになる。シャルロッテは渋々パトリックを応接間に招き入れる羽目になった。
誰の許しも得ずに、彼はどかりと上座に腰掛ける。そんな風にされるとさながら玉座のようである。パトリックは、ぐるりと辺りを見回すようにした。
「あそこにあの絵はないな。飾った人間のセンスを疑う」
悪かったな、疑われるようなセンスで。
といっても、選んだのはシャルロッテではないけれど。大方父あたりが適当な見栄で買ったのだろう。多分、父は画家の名前もろくに知らないはずだ。
「それに、この部屋の家具に合わせるなら、カーテンの色はもう少し明るい方がいい」
「我が家の調度品の値踏みに来られたんですか」
だったら帰ってくれとシャルロッテが睨みつけたところで、
「お茶はいかがですか?」
色濃く媚びを孕んだ妹の声が響き渡った。両手で紅茶のポットとカップの乗ったトレイを持っている。
ヘンリエッタは普段、こんなメイドの真似事のようなことは決してしない。その証拠に、妹の後ろでメイドがあたふたしている。よほど、パトリックに興味があるのだろう。
「ヘンリエッタと申します。お名前をお伺いしても?」
さっとパトリックの手を取ったかと思うと、するりと隣の席に腰掛けてみせる。我が妹ながら見事な手際だと言わざるを得ない。
「ねえ、お姉様とはどういったご関係で」
パトリックには、切れ長の目でヘンリエッタに一瞥をくれただけだった。
「あなたには用はない」
おお、毅然としたお断りだ。妹はいつも自分の意のままにことを運べる才能があって、それを思う存分発揮してきた。
しかしながらパトリックの方が一枚上手だったのだろう。
「悪いが、シャルロッテと少し大事な話がある。席を外してくれないか」
「へ」
ヘンリエッタは薄く口を開いて固まった。青い目がきょろきょろと、姉とパトリックの間を行き来する。
「そ、そう……」
何かショックを受けたようなヘンリエッタはすごすごと退散していく。扉を閉めるその瞬間まで、潤んだ目でパトリックを見つめていた。最後に小さく「どうしてお姉様だけが……」と呟く声が聞こえた。
そうして、シャルロッテはこの尊大な男と二人きりになる。
パトリックは、妹が未練がましく閉めた扉を見つめて、不機嫌そうに大きく溜息を吐いた。
「似てない妹だな。胸にしか栄養がいかなかったのか」
この男は口を開けば常にそれだ。自分だってリチャードとは、大して似ていないだろうに。
「人の家族を悪く言わないでください」
シャルロッテが反論すると、パトリックはぴくりと形のいい眉を上げた。
「お前だってそう思っているくせに?」
「えっ」
紅茶を淹れていたシャルロッテは思わず声を上げてしまった。零さなくてよかった。
「顔にそう書いてある。大方、頭が悪い妹だと思ってるんだろう」
ゆるやかにさざ波を立てるカップの水面に、自分の顔が映る。
果たしてわたしは本当にパトリックが言うように、思っているのだろうか。分からなかった。
シャルロッテが何も答えられずにいると、パトリックが紅茶を一口飲んで言った。
「いくつ年が違う?」
「三歳です」
「そうか。うちは二つだ」
思っていたよりリチャードとパトリックは年が近かった。リチャードがパトリックを立てているように見えるからかもしれない。
「まあ、姉妹の事情はこの際どうでもいい。本題に入ろう」
そうだ、この人は何か用があってわざわざうちまで来たのだ。
そこまでしてわたしと話したいことなんて、なんだろう。
「この手紙を書いたのは、お前だな」
パトリックは一通の手紙を取り出した。ぱらりと広げられた便箋に書かれているのは、紛れもなく自分の筆跡だ。
「そうですけど」
きちんとリチャードが言った通りに、シャルロッテは書いたはずだ。シャルロッテは肩を強張らせた。
「やはりな」
パトリックは腕を組んでまじまじとシャルロッテを見つめてきた。
その目にはどこか、見定めるような光が宿っている。
「俺は、弟と違ってまどろっこしいことがきらいでな。単刀直入に聞く」
組んだ手を膝の上に乗せて、彼は僅かに前屈みになる。
「お前は、ディック――リチャードのことをどう思っている?」
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